Category: Program Note

「七つの大罪」Vol.2 欲望編プログラムノート其の6

【死と寝るということ】

S. サン=サーンス/ F.リスト: 死の舞踏

ー ペスト、またの名を黒死病 ー
14世紀にヨーロッパ全土で流行し、全世界でおよそ8,500万人、ヨーロッパでは当時のヨーロッパ人口の3割から6割に当たる、約2,000万から3,000万人の命を奪った、悪魔の伝染病。症状としては高熱を発症し、リンパ節がこぶし大に腫れ、ペスト菌が全身にまわって敗血症を起こし、全身が黒いあざだらけになった。罹患者は、痛みに苦しみ悶えながら死んでいった。

ペストは本来ネズミの感染症だが、ペスト菌に感染したネズミを吸血したノミが媒体となって、人間にも感染が拡大したと言われている。

死が常に真横に寄り添って、微笑んでいる中世暗黒時代。その時代の人間の心理は、この恐ろしい伝染病をどのようにとらえていたのだろうか。

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1つに、この悪魔の病気が神からの試練であると受け止め、懺悔して神に祈るというとらえ方があった。

教会では生き残って集まった人々に対して、「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句である「メメント・モリ」を頻繁に説いた。早かれ遅かれ、誰にもいずれ訪れる「死」に備えよ、と。

しかし、死への恐怖と生への執着に取り憑かれた人々は、祈りの最中、墓地での埋葬中、または街中で半狂乱になって踊り始めた。威張りくさった王も王妃も、神父も僧侶もみなペストで死んでいった。殺人鬼も赤ん坊も売春婦も死んだ。死だけが、この世で最も公平に与えられた贈り物だった。

人々は失神するまで踊り狂った。踊りの最中、あまりの恐怖から発狂して、ケタケタ笑い出す者もいた。この集団ヒステリーの様相はやがて1世紀ののち、「死の舞踏」と呼ばれ、多くの音楽家や画家、作家たちに多大なインスピレーションを与える題材となってゆく。

 

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教会で祈り、死の舞踏を踊る者がいる一方で、ペストは祈祷では回避出来ないと思う者もいた。そういった者は、ペストの元凶たる犯人を捏造し、罪をなすりつけて迫害するという行為に走った。

「犯人」はもちろん、呪われた異教徒、ユダヤ人であらねばならなかった。

ユダヤ人たちは、キリスト教徒が最も軽蔑する職業 ー すなわち、金貸し業に従事しており、治世者たちはユダヤ人に対して多大な負債を抱えていた。「ペストの元凶はユダヤ人にあり」と弾劾することは、債権者ユダヤ人を抹殺する絶好の機会であった。

ユダヤ教徒が井戸へ毒を投げ込んでいる。

このデマはあっという間に広まり、ペストを引き起こしたとされるユダヤ人たちが大量に虐殺された。

シュトラスブルクでは、同市のユダヤ人2,000人が、暴徒と化した市民によって焼き殺された。ユダヤ人の家からは全てが略奪されたが、その中には多くの債務証書が含まれていた。マインツでは、12,000 人が焼き殺された。

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暗黒の中世から600年を経た現在。「死」への恐怖はまだまだ克服出来ずにいる。また、死に到るまでの病気への恐怖も和らいではいない。ワクチンによるペストの治療薬が開発されても、次から次へと奇病が生まれ出る。

「死の舞踏」を弾いて踊ることは、「死と寝る」ことである。今日、アマゾネス2人は死と寝ることで、「生きる」ことへの悦楽を思う存分得てみせる。せめて、舞台の上でだけでも。

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「七つの大罪」Vol.2 欲望編インフォ:

http://www.erikomakimura.com/2014/12/七つの大罪vol-2「欲望編」%E3%80%80バレエ&ピアノ/

 

 

 

「七つの大罪」Vol.2 欲望編プログラムノート其の5

【「金」と「愛」を天秤にかける男と、かけられた女について、そしてロマたち 】

M. デ・ファリャ:スペイン舞曲 (オペラ「はかなき人生」より)

オペラ「はかなき人生」は、他の多くのオペラと同じように、惚れた腫れたに一喜一憂する男女の悲恋物語である。

サルーというロマの娘が、スペイン人の青年パコと恋に落ち、愛を約束する。しかし一方で、男には金持ち娘の婚約者がいる。それを知ったサルーは、パコとその婚約者の結婚式場に現れ、「私と愛を誓ったのに裏切るのね?それなら私を殺して」と叫ぶ。パコは逆に怒ってこの女を叩き出せと怒鳴り、あまりのショックにサルーはそのままパコの足元に崩れ落ちて死んでしまう。

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(ロマ   Photo: Josef Koudelka)

正直に言って、毒にも薬にもならない、ひどい筋書きである。

このオペラは現在では上演の機会をほとんど見ない(この筋書きでは仕方が無いか)が、ファリャはこの作中で1曲、ウルトラC級のメロディーをものにした。

それが、今日演奏される「スペイン舞曲」である。

オペラでは、この曲とともにフラメンコダンサーが踊る演出になっているが、もうこの際、ひどい筋書きなどはどうでも良くなってくるほど、切なく胸苦しく美しい曲だ。

スペイン舞曲(3分10秒あたりから)https://m.youtube.com/watch?v=soICFlLudro

このスペイン舞曲以外、取り立てて語ることもないオペラ「はかなき人生」だが、しかし実はこの作品は現在も無視出来ぬ大きな問題を内包している。

ロマ(ジプシー)問題だ。

スペイン人青年パコは、愛より金を選んだと同時に、ロマの女よりスペイン人を妻として選んだのである。

ロマたち「流浪の民」の歴史は、そのまま迫害の歴史でもある。ロマは現在ヨーロッパで600万人以上、全世界で約1,000万人以上いると推定されているが、習慣・文化・思想の相違からロマに対する差別は激烈で、近いところでは2010年のフランス/サルコジ政権下での、ロマに対する強制送還措置があげられる。8,000人以上のフランス国内のロマがルーマニア・ブルガリアに強制送還され、世界中から非難の声が上がった。

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(ヴァイオリンのレッスンを受けるロマの子供たち。ブダペスト)

ロマたちの送還された先の状況はどうなのか。以下、ルーマニアでのロマっへの処遇を、wikipediaより引用する。

【現在のルーマニア】
ルーマニアにおけるロマに対しての差別は根深く、結婚、就職、就学、転居などありとあらゆる方面にて行われている。

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 (ロマ  Photo: Josef  Koudelka)

21世紀に入った現在、ルーマニアでのロマ問題は拡大の一途をたどっている。EU諸国からのロマの強制送還により、ロマ人口が増加しているのである。ルーマニアにおいて、ロマは自己申告に基づく国勢調査では50万人だが、出自を隠している人も含めると150万人に達すると言われる。

ルーマニアの身分証明書には民族記入欄が無いため、ロマであることを隠し社会に同化する人も少なくない。2002年の調査では、ロマの進学率が極度に低いことが明らかになっており、高卒以上は全体の46.8%に対し、ロマは6.3%、全く教育を受けていない無就学者の割合は、ロマだけで34.3%にも上るのに対し、少数民族を含むルーマニア全体では5.6%にとどまっている。

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(ロマの美しい少年)

これらの問題に対してルーマニア政府は、「国内にロマはいないため、ロマに対する差別問題は存在しない」としてロマの存在自体を否定している。つまり、ルーマニア国内にロマが存在しない以上、ロマに対しての差別は存在しえず、ロマ差別はあくまでもルーマニアでは架空の存在でしかない、というのが政府の見解となっている。

このため、国内におけるロマ問題への対策をルーマニア政府は何一つ行っていない。さらに、国内外からのロマ対策を要求する声に対しても何の反応も示していない。この結果、ルーマニアでのロマ問題は解決のめどは立っておらず、逆にロマ差別自体がルーマニア人ならびに国家ルーマニアとしてのアイデンティティになっていることは否定できなくなっている。(Wikipediaより抜粋)

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記憶が定かでないのが悔やまれるが、以前何かの本で、ロマたちは服を着たまま愛し合うのだと読んだ覚えがある。外敵にいつ襲われても、すぐに逃げられるように。

「はかなき人生」の主人公サルーも、青年と愛を確かめ合う時は、服を着ていたのだろうか。」

直感のまま、モメンタム・モメンタムを激しく貪欲に生ききっていけば、いつか死が全てを浄化してくれるのだろう。人生は儚(はかな)くなど、ない。貪欲の末の透徹なカタルシスを求めて、私はこの曲を弾く。

コンサートパフォーマンスシリーズ「七つの大罪」Vol.2 欲望編インフォ:

http://www.erikomakimura.com/2014/12/七つの大罪vol-2「欲望編」%E3%80%80バレエ&ピアノ/

「七つの大罪」Vol.2 欲望編プログラムノート其の4

【多くの愛人を持つ女と、愛人を2人ピストル自殺に追いやった男の話】

C. ドビュッシー: 喜びの島

ドビュッシーによる「喜びの島」は、画家ジャン・アントワーヌ・ヴァトーの作品「シテール島への巡礼」にインスピレーションを得て作曲されたと言われている。

若い男女の群衆が集い、シテール島への船出に漕ぎ出そうというシーンを描き出したもので、甘美な官能性は確かに感じられるが、絵としての魅力には正直いささか欠けるように感じられる。群衆の1人の、イディオティックな法悦のだらしなさを見せる男性の表情はちょっといいなと思うが。

(シテール島に既に上陸した様子を描いたものだという説もある。)

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シテール島。愛の女神、もっと正確には「愛欲」を司る女神アプロディーテゆかりの、エーゲ海に浮かぶ美しい島である。

そもそも、アプロディーテはどのように誕生したのか。彼女の両親は誰なのか。

アプロディーテには母はいない。父はいる ー ウーラノスという名の天空神である。ウーラノスは、地母神ガイアの息子であると同時に親子婚した夫でもあり、ガイアとの間にクロノスら多くウーラノスの子をもうける。つまり、ウーラノスにとってガイアは、母であり妻でもある。

しかし、ある時ガイアの怒りを買い、ウーラノスは息子のクロノスに男性器を切り落とされて、殺されてしまう。クロノスはそれを海に投げ捨てるのだが、血まみれの男性器は海を漂い、海水と混じり合い、やがてきらめく泡となり、その泡から生まれたのがアプロディーテだった。「アプロ」とは泡の意味である。

愛欲の女神、アプロディーテはつまり、父親の精液のみから生まれたのだ。

 

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(ヴィーナスの誕生。「ヴィーナス」はギリシャ語で、アプロディーテ)

生まれて間もない彼女の美しさに魅せられた西風ゼピュロスが彼女を運んだ場所が、エーゲ海に浮かぶシテール島だと言われている。

愛欲の女神、アプロディーテには醜い夫とたくさんの美しい愛人がいた。そして、夫ではなく、愛人との間にたくさんの子を産んだ。情事が終わると彼女は醜い夫の元へと戻った。夫は妻を、許したり許さなかったりした。

現代のモラルから遠く離れた神話の世界で、神々は欲望の赴くまま、自由奔放に生きた。

輝ける肉欲。脳髄が流れ出すほどの法悦。

逞しい男神と官能の女神たちは愛を貪り尽くして、空腹を感じると木にたわわと生る果物をもぎ取って食べた。そして空腹が満たされると、また再び肉に溺れた。ようやく相手に飽きた頃、別の相手がすぐにやって来て、顔を胸に埋めるのだった。

欲望の代償として、彼らはしばしば互いに激しく嫉妬しあった。嫉妬していることを隠そうともしなかった。嫉妬からの殺し合いも実にしばしば起こった。

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本来ならここで筆を置くべきなのだが、蛇足を承知でもう1つだけ付け加えたいことがある。「喜びの島」の作曲者、ドビュッシーについてである。彼の人生を学んだ後、どうしてもアプロディーテの話と併記せざるを得なくなってしまった。以下、ドビュッシーの愛の遍歴のみを年譜にして追っていきたい。

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18歳より、人妻ヴァニエ夫人と8年間の情事ののち破局。

1889年から、ギャビーと同棲。ギャビーは亜麻色の髪と緑色の目を持つ美しい女性で、ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」は、このギャビーから霊感を得て作曲されたと言われている。

1894年、ソプラノ歌手のテレーゼ・ロジェと情事。婚約までするが、ギャビーの知るところとなり、破談。

ドビュッシーの度重なる不実が原因で、ギャビーがピストル自殺を図る(一命を取り留める)。1898年に破局。

1899年、ギャビーの友人であるリリーと結婚する。

1904年頃から、教え子の母親、銀行家の人妻であるエンマ・バルダックと不倫関係に陥る(エンマは作曲家フォーレとも愛人関係にあった)。リリーはこの件で苦しみ、胸を銃で撃ち自殺を図る(一命を取り留める)。

1905年、リリーと離婚。この事件がもとで、ドビュッシーはすでに彼の子を身ごもっていたエンマとともに一時イギリスに逃避行。

長女クロード=エンマの出産に際しパリに戻る。1908年、エンマと結婚。

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(ドビュッシーと愛娘シュシュ。シュシュとはキャベツちゃんの意)

リリーを棄てて、エンマと駆け落ち旅行をしたときに作られたのが、本日演奏される「喜びの島」である。

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どうやら、とんでもない曲を選んでしまったようだ・・・。

 

2015年4月19日、「七つの大罪」Vol.2 欲望編コンサートインフォ: http://www.erikomakimura.com/2014/12/七つの大罪vol-2「欲望編」%E3%80%80バレエ&ピアノ/

 

 

「七つの大罪」Vol.2 欲望編プログラムノート其の3

【身を捧げるものを持つということ、そして持つ者同士の邂逅と果てしない貪欲】

S. バーバー:「パ・ド・ドゥ」「寝室での出来事」「遠足」

「パ・ド・ドゥ」とは「2人のステップ」の意味で、本来バレエ作品において男女2人の踊り手によって展開される踊りのことをいう。同性2人による踊りは「デュエット」と呼ばれ、「パ・ド・ドゥ」とは区別される。愛の象徴とも言える男女の踊りを針山愛美は今日、孤高の静寂の中、1人で舞う。

次の「寝室での出来事」は原題を「Hesitation Tango」と言い、字のごとく、典型的なタンゴのリズムがこの曲のベースを支えている。

バレエからタンゴへ。

image                                                          (Photo: Christian Friedlander)

足を痛めて一度は絶望の奈落を落ちていったバレリーナが、小さな劇場から再びタンゴダンサーとしての再起を誓う。

 

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「遠足」。そんなに「遠」くまで「足」を伸ばしたとは思わないうち、気がついたら世界の中心であるニューヨークの街を歩いている自分がいた。つい先ごろまで、場末の劇場でタンゴを踊っていたなんて信じられない。

ニューヨークを制するものは世界を制すという。この街で、必ず成功してみせる。

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ここで、本日「欲望編」を共にする、針山愛美(えみ)という稀有な才能を持つバレリーナについてお話したい。

針山愛美。13歳で単身ソビエト崩壊直後のロシアに短期留学という、バレリーナとしての壮絶な幕開けがあった。

1993年、15歳で今度は正式にボリショイバレエ学校に入学。混乱の極みのペレストロイカ直後下での生活を生き延びる。爆撃などの非常事態宣言の中、配給の途切れがちな店先に何時間も並んだ挙句、パン一つ支給されることがこの上ない喜びだったと言う。長らく両親とも連絡がつかず、日本の家族は娘の生死さえ分からぬ状態だった。

日本人どころか外国人さえ珍しかったであろう当時のボリショイバレエ学校での日々について、私は詳しく愛美ちゃんから聞いたことはない。しかし、彼女が同僚のロシア人たちと話す、強い意志に満ちたロシア語を聞いているだけで、このバレリーナの過ごした生死をかけたモスクワ時代が透いて見えるようだ。

雌伏のときを経て、1996年より”Emi Hariyama” は、文字通り世界中の劇場のプログラムにその名を躍らせることとなる。ボリショイバレエ学校を首席卒業後、モスクワ音楽劇場バレエ団に入団、パリ国際バレエコンクール銀賞(金賞該当者なし)、モスクワ国際バレエコンクール特別賞受賞、ニューヨーク国際バレエコンクールで日本人として初めて受賞・・・等々、続々と快挙を成し遂げてゆく。
また、2002年にアメリカ国際バレエコンクールで決勝に残り、特別賞受賞を果たした様子は『情熱大陸』で放映され、多くの日本人たちがその勇姿に涙した。

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世界中のあらゆるトップクラスのバレエ団からソリストとしてのオファーが絶えることがない。地球単位で縦横無尽に、時差を利用して東から西へ飛ぶことで、2大陸で同日に舞台を踏んだりしている。『地球の自転軸と逆行するバレリーナ』という異名を私から授かって、本当にそうねえ、とおっとり微笑む美しい人なのだ。
怪我や故障に悩んだ日もあったに違いない。しかし、しなやかで強い彼女はそれについての話も触れるか触れぬか程度だ。

私たちが初めて出会ったのは、2007年、ベルリンでの室内楽コンサートの後の打ち上げの席だった。コンサートを聴きにきてくれていた愛美ちゃんに、共通の友人が引き合わせてくれたのが始まりだった。

それから3年後の2010年、愛美ちゃんはまるで隣の駅までちょっと、という身軽さで私が住むコペンハーゲンにやって来た。ショー当日、彼女が会場に着いたとき、私は傾斜する屋根の上に登って、ともすれば滑り落ちそうになる体を必死に支えながら、明り取りの天窓10枚を黒い布で覆う作業に没頭していた。まさか、ピアニストの自分が、ショー開始前に屋根に道具箱とともに登って金槌をふるうようになるとは、ベルリン時代には思いもよらなかった。

私は屋根から下りてピアノの前に座り、彼女はポワントを履き、2人の目がひたと合った。その瞬間から物語は始まったといっていい。

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出会いからちょうど丸8年。この針山愛美というバレリーナと今日この日、知力の限りを尽くして欲望編を演じ切りたい。

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2015年4月19日、「七つの大罪」Vol.2 欲望編コンサートインフォ: http://www.erikomakimura.com/2014/12/七つの大罪vol-2「欲望編」%E3%80%80バレエ&ピアノ/

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