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Koncertperformance “VREDE”

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【Koncertperformance “VREDE (Wrath)”】

-Following on the theme of Seven Deadly Sins-

Featuring: Other Story

November is a sinful month. This year “VREDE (Wrath)” will be presented explosively with music and film at KoncertKirken.

We are extremely honored to screen Other Story’s film “Phyllis” (The description about the film is found below).

“Variations on the theme of Dies Irae (the day of Wrath)” composed by Eriko Makimura will be premiered. She will collect the audience’s “wrath” and insert the explosive emotions into the piano.

Some authorities say that wrath is social criticism. However, do we really need to define intellectually what wrath means? We will keep tranquility about it until we explode on the stage.

More info coming up soon on our Facebook Page. Stay tuned!

Venue: Koncertkirken (Blågårds Plads 6A, Copenhagen)
Dates: 15-16-17, November, 2018
Time: 20:00 (doors 19:30)

【Casts】
Eriko Makimura: concept maker, artistic director and pianist
Sofia Ivarsson: lighting designer
Taeko Kasama: photo and graphic, assistant manager

【Other Story】
Film title: Phyllis
Produced by Other Story
Edit: Madeleine Kate McGowan
Camera: Peter Laugesen & Madeleine Kate McGowan
Sound: Per Buhl Acs
Singing: Mike Little Bear

【Tickets】
Adults: 150DKK
Students: 80DKK

online: https://billetto.dk/da/e/koncertperformance-vrede-de-syv-dodssynder-billetter-306422

Program】

⚫︎Dies Irae Ⅰ
・WRAH 1
Bless And Do Not Curse (improvisation)
・Dies Irae Ⅱ
⚫︎WRATH 2
A. Gosfield: Brooklyn October 5, 1941
・Dies Irae Ⅲ
⚫︎WRATH 3
E. Makimura: Variations on the theme of Dies Irae (premiere)
・Dies Irae Ⅳ
⚫︎WRATH 4
F. Rzewski: Winnsboro Cotton Mills Blues
・Dies Irae Ⅴ
⚫︎WRATH 5
Bolero (piano version)

【Phyllis】

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This Other Story short-film, with Phyllis Young of the Lakota tribe from Standing Rock, is a part of the second series of Other Story films, Tribe of all Colors – intimate film-portraits of people who are investing themselves in the fight for this planet.
In these short documentaries, we get close to people who fight to protect the water flowing in the Missouri River, from oil-leaks in the Dakota Access Pipeline construction.

 

Other Story met Phyllis Young by a side-stream to the Missouri River, and sat down with her by the water, to talk about ancestors, her experience of the uprising against the Dakota Access Pipeline, and about her message to the young people of today going into the future. Phyllis’ Lakota name is ‘Woman who Stands by the Water’.

 

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「七つの大罪」Vol.7 飽食編 プログラムノート

【飽食編プログラム】
①F. ショパン:ワルツ第3、10、14番
②スウェーデン民謡
③F. ショパン:幻想即興曲
④F. クライスラー :愛の悲しみ
⑤W. A. モーツァルト:トルコ行進曲第1楽章
⑥モルヒネ
⑦F. クライスラー:愛の喜び

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【飽食編プログラムノート】

▪️F. ショパン:ワルツ第3, 10, 14番
要するに、私は満腹中枢が完全に崩壊した女なのだと思います。

人並み以上に多くの事を経験して来たというのに、まだまだ全然お腹がいっぱいにならないのです。

・週末ごとにヨーロッパ中の異なった街の豪華なホテルのベッドで目覚める生活をしました。
・王宮まで10メートルの所に建つ、大きくて贅沢で空虚な家に住みました。
・我儘な貴族の子弟たちと馬鹿騒ぎをして、ナイトクラブから何度も追い出されました。
・果実の腐臭のような妖気を放つ恋をしました。
・愛に似た一時の気まぐれもありました。
・紳士面をしたビリオネアが、陰で汚ない臓器売買に関わっていたことを知った時、彼の顔を平手で張り倒しました。
・自分がどれだけ恵まれているかを知らず、不平不満ばかり漏らす人の頭上に槍が千本降る様子を想像して、飛散する血で新しい世界地図を脳内で描いて楽しんできました。
・貧困地帯に逗留を余儀なくされた時は、仙人のようにムシャムシャと霞を食べて生き延びました。
・バクと同じくらい、夢もたくさん喰らいました。

色々経験したというのにまだまだ飽き足らなくて、そこら中にあるものを喰い散らかしてしまうのです。

もうたくさんと、ただ一言そう言いたいのだと思います。

ああ、誰か私を満たして。お腹いっぱいにして。

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▪️スウェーデン民謡
今宵のプログラムの中で、最も音数の少ない曲。ミニマルの極地の、つま弾くような。
しかし、この胸苦しくなるほど美しいメロディを奏でるためには、技術を尽くした指先の繊細なコントロールが必要である。そして北の国、スウェーデンの独特なメランコリーに満ちた旋律を、感情に任せるのではなく、あくまで内的に制御して表現しなくてはならない。

最もミニマルな音楽で、飽食を訴えることが出来るのか。

テーマの真逆でテーマを表したい癖が抜けないまま、七つの大罪のグランドフィナーレを迎える。

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(写真提供:Kazunari Matsuda)

▪️F. ショパン:幻想即興曲

その昔、飽食が過ぎて吐き気を催すような、忌わしく禍々しいまでに美しい恋愛沙汰があった。当時、正気と狂気の狭間で書いた「顔のない女」という散文をそのまま掲載する。

窓から外の風景に目をやっているように見えて、女の瞳は何も映していない。白昼の列車の中、迂闊にも昨夜の記憶再生ボタンを押してしまったからだ。

荒い息がおさまる前に、男は再び手にした彼岸花の束で女の体を激しく打擲(ちょうちゃく)し始めた。朱が散る。打たれている女には、首から上がない。一体どこに置き忘れてしまったのか。

この不恰好な花の猛毒が全身に回って死ねばいい、と顔のない女は醒めた恍惚の情を浮かべながら願う。白蠟のような死体に散る朱はさぞ美しかろう。そしてその朱色は男の脳裏に蛆のように這い拡がって、やがて残像となって一生消えぬ痣となろう。

・・・今にも体中から体液が漏れ出そうになるのを、前の座席に座るこの若い見知らぬ男は知る由もない。膝から這い上がる震えにジッと堪える。

その夜、女は唇にも指先にも紅をつけない。香だけはごく控えめに耳朶につけてみたが、鋭敏になり過ぎた嗅覚がその匂いを酷く嫌って、急いで洗い流してしまった。

蜻蛉の羽ほどに薄い絹が肌に纏いつく感触さえ、もはや煩わしい。

ため息というのは口からのみ吐き出されるものではない。そんなことも知らずに虚ろに生きていたあの頃に、戻れるものなら戻りたいと女は思う。

女の体は死後硬直の状態を経て、やがて今度は腐り始めた桃の果肉と同じにぐにゃぐにゃとどこまでも柔らかくなってゆく。男は容赦なくその果肉の上を土足でずぶずぶと歩き回る。桃は最後の芳香を悲鳴のように放ち、部屋はどろりとした香気でむせ返り、ほとんど息もできない。

やがて果肉は腐肉となり、腐乱して四散して、あとには何一つ残らない。静寂さえも。

種は、種はどこへ行ってしまったのだろう。

男の目から狂気が剥がれ落ちてゆく。女をまるで世界で最も無意味な陶器の置物のように無機質に見下ろし、身じろぎもしない。

女の体に無数のひび割れが入り始める夜明け、美しく張った男の鼻翼を下から眺めながら、この男をいつか刺すやもしれぬという歓喜の予感に女はうち震える。
優雅な幻滅。このような類の幻滅に対して女は泣いたりしない。痴人のふりをして嗤(わら)うのみだ。ましてや女には顔がない。顔のない女というのは喉をぶるぶる震わせながら絹を裂くような声で嗤うそうだ。どうか転生だけはしませんように。宗教を持たぬ女の叫びは神か仏に届くのか。


・・・あれだけ強く否と願ったのに、過去の記憶とともに女は転生した。どれだけの罪を犯したら、これだけの業を背負わねばならぬというのか。全てが白昼夢であって欲しいと思う一方、傍らでガラス玉のように冷え冷えと見下ろす男の二つの目が、これは現実だと女の浅はかな願いを冷笑する。

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(写真提供:Kazunari Matsuda)

▪️F. クライスラー :愛の悲しみ

この歳になっても、未だ愛やら恋やらの問題で度々悶着を起こしている。
いや、この歳になったからこそ、余計に引き起こすのかも知れない。

悲嘆にくれる時間が無くなったことが、昔日の日々と異なっている。悲嘆にくれなくなったのではなく、ただ物理的に時間が足りないだけ。

この飽食の世にあって、私には何もかもが足りていない。まず、時間が。愛や恋に浸る余裕が。人々に対する気配りが。悲しんでいる友達に対する充分な優しさが。思いやりが。
前回の欧州ツアーの時、多くの人に言われた。エリコはなぜそんなに自傷的な生き方をするのかと。

私は激しく抵抗した。自傷的なんかじゃない。今を、この瞬間を、精いっぱい生きたいだけだと。

私の激昂を見て、彼らは口を閉ざした。そして、別の話題へと移った。

帰国してまもなく、今度は別の友人と激しくやり合った。私の生き方について、痛いところを明け方まで何度もアイスピックのように突かれ、歯ぎしりしながら帰途に着いた。

愛情からだったのだと暫くしてから気づいた。

しかし。

大事な友人からの豊饒なる愛情なのに、本当に欲しいものは愛情ではない私は、またその場にひとり、ぽつねんと取り残される。
メインディッシュは肉だと信じていたのに、出されたのは淡白な白身魚だった時のような、肩すかし。

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(写真提供:Kazunari Matsuda)

▪️W. A. モーツァルト:ピアノソナタ第11番(トルコ行進曲付き)第1楽章

記憶が定かではないが、モーツァルトを退屈だと言って世間を驚かせた音楽家がいたと思う。

私も退屈だと思う。その音楽家と同じ理由からなのかは分からないけれど。

ハプスブルクの絢爛と円熟、そこからの退廃と腐敗、散華を知っている、歴史の最先端の今を生きる者だからこそ、彼の音楽を退屈に思うのか、ただの趣味の問題なのか、彼の天才を見抜けない凡人のたわごとなのか。


天才が創造した山のような作品と日々向き合う一介のピアニストにとって、凡人であることに飽き飽きしているが、凡人には凡人の生き方があると思う。


非凡と凡の組み合わせを考えているうちに、「凡(おおよ)そ人と生まれては四苦八苦は必定にしてさけがたく」という経文を思い出した。


… 四苦八苦ではないと思う。私の選択した道は。

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(写真提供:Kazunari Matsuda)

▪️モルヒネ

女であることに飽きた。女の持つ生物学的な特性にも、思考回路にも、外見上の特徴にも、何もかも飽きた。

ファムファタル、「サロメ」のことを想ってみる。自分を愛さぬ預言者ヨカナーンの首が欲しいと、淫猥な目で自分を見る義父のヘロデ王に訴えたのも、結局は望まぬとも何もかもが与えられる飽食の環境に飽き飽きしていた状況での、ほんの女心の気まぐれからだったのかも知れない。
だから、男になりたいと思った。

男に生まれていたらこうしたであろうということを、全て試してみたかった。

だから、男になってみた。

そして、この短絡的で傲慢な決意の所為(せい)で、思いきりしっぺ返しを喰らうとは想像だにしなかった。

今宵の冒頭では、私をお腹いっぱいにしてと媚びを含んだ懇願をしたくせに。

手当たり次第の酒池肉林の末、私に突きつけられた現実は飽食の真逆だった。

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▪️ F. クライスラー :愛の喜び
3年半に及んだ、全7回のコンサートパフォーマンスシリーズ「七つの大罪」。
・7作品×7コンサート分 = 49作品

・曲間に、グレゴリオ聖歌「怒りの日」のアレンジを7作品×7コンサート分 = 49作品
計98作品を手中に収めたことになる。

「七つの大罪」の企画・原作者として、パフォーマーとして、またピアニストとして、国境を越えた数えきれないほどの協力者、支援者、共演者を得て、今日の日を迎えることができた。

憤怒(ふんぬ)、欲望、嫉妬、高慢、強欲、怠惰、そして飽食と、7つの罪に血塗られた3年半だった。いや、7つというのは象徴的な数字で、それ以外にも多くの負の感情と真っ向から対峙しなければならなかった。自分で創りあげた作品なのに、作品自身に自らが乗っ取られた時もあった。荒れに荒れた時もあった。

2014年に始めた当初から、私の環境も思考も生き方も在り方も、全てが変容し続けている。

満ち足りる・・・。満足することは一生無いように思う。芸術の道を行く限り。

副題に名付けた、〜カタルシスへの旅〜。

カタルシス(浄化)は、果たして訪れるのか。訪れて欲しい。

… そういう口のそばから、カタルシスなど寄って来るな、一生来るなと、芸術的飽和に達したことのない私を何者かがそう嘯(うそぶせ)る。
七つの罪を一巡して、元の木阿弥なのか。

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(Photo: Lisa Sawada Petersen)

 

コンサートパフォーマンスシリーズ「七つの大罪」Vol.7 飽食編

 

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【「七つの大罪」Vol.7 飽食編】No word can be found yet except two: JAPANESE SALOME! Concert Performance Series “Seven Deadly Sins” Vol.7 GLUTTONY will take place at Hyogo Performing Art Center on the 14th of January (Sun.) 2018. Let’s see how she concludes the series with her fundamental desire of owning the buptist Jokannan’s brutal chopped head (John the Baptist) as Japanese Salome. Don’t miss it.

2014年夏から始まったコンサートパフォーマンスシリーズ「七つの大罪」。3年半の月日が流れ、ついにVol.7飽食編をもってグランドフィナーレを迎える運びとなりました。

飽食を象徴する生き物は「豚」。ポスターに写る豚の頭は、本シリーズをゼロから共に立ち上げてきた私の半身である親友が注文し、洗われ、毛繕いされ、綿帽子を被った私と1枚の写真に収まりました。重さ8kgの豚の頭を捧げるジャパニーズ・サロメ…。自分を愛さぬ男性の首が欲しいと願い、実際手に入れてしまった魔性の女サロメの行為は、私にとって究極の飽食と言えます。死した首に嫁ぐ私はどのような結末を迎えるのでしょうか。

副題に 〜カタルシスへの旅〜 と名付け、1つコンサートが終わるたびに浄化されたいと願ってやみませんでしたが、残念ながら回を追うごとに欲は深まるばかりです。芸の道を極めたいという思いは日毎に増し、もはや生活の全てが芸術に侵食されている状態です。

七つの大罪は飽食編をもって日本では一旦幕を閉じます。しかし、このプロジェクトは海外の国々で発展していくことになりました。生涯をかけて、芸術家としての欲の限りを尽くして舞台に臨むつもりです。

皆さまのご来場を、七つの大罪チーム一同、心よりお待ちしております。

牧村 英里子

 

【Details】
・Date: 14th of January, 2018

・Time: 16:00 (starts) 15:30 (doors)

・ Venue: Hyogo Performing Art Center (兵庫県立芸術文化センター)

・Tickets Office: (購入可能)
tell: 0798-68-0255 (ticket center/芸文チケットセンター)
Adult: 4,000jpy students: 3,000jpy

・Info (お問い合わせ):
tel: 080-3862-4400
mail: 77deadlysins77@gmail.com (Eriko Makimura &Co.)

芸文インフォ: http://www1.gcenter-hyogo.jp/contents_parts/ConcertDetail.aspx?kid=4296110101&sid=0000000001

Photo and Graphic: Taeko Kasama

「七つの大罪」Vol.6 怠惰編 プログラムノート

✴︎ 怠惰編のプログラムノートでは(も)、乱暴な表現や目に余る言い回しが散見されますが、 全ては牧村英里子の不徳の致すところです。何卒ご容赦賜りますよう、平にお願い申し上げます。

 

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■ 即興風:休日の恵み

Eriko Makimura & Co. は、週の就労時間が168時間という世界最悪のブラック企業であ
る。日本にいる時は、午前0時まで日本の仕事をして、0時からは海外とのテレフォン会議に
入る。3, 4本の会議を終えてヤレヤレと思っていると、開け放した窓から始発の電車が走り
始めるのが聞こえてくる。夜明けのコーヒーを一杯淹れたところで、間もなく早朝の打ち合わせやリハーサルが始まってしまう。

海外ツアー中も、連日の公演、リハーサル、ビジネスミーティング、演奏会場見学、インタビュー、アーティストトーク、講習会開講、スピーチ、と休む暇がない。都市から都市の移動時間は原稿書きに追われる。

私はこの人権度外視も甚だしい企業のオーナー兼奴隷である。もちろん、奴隷である時間が圧倒的に長い。

一見「怠惰」の真逆を行く、勤勉に満ちた日々に思えるが、それは違う。もともと一時足りともジッとしていられない性格なだけで、やりたいことしかやらないという、頑固なまでの人生の生き方を選択しただけだ。やりたくないことは一切やらないワガママを押しきった日々を送ってもう何年も経つ。

つまり、私は自分の才の及ぶ範囲内で努力をしているに過ぎず、繰り返しを要する辛い訓練から逃避して、たかが知れている己の小才で日々を過ごしているに過ぎない、怠惰な人生を送っていると言える。

今宵の1曲目、「休日の恵み」は、休日というものの取り方が分からないと口癖のように言
う、勤勉に見せかけた己に対する強烈な皮肉からの幕開けである。怠惰編のプログラムが進むに連れ、今まで逃げてきた自分の最も苦手とする分野に乗り出して行く、序奏とも言える1曲。88伴との対峙の始まりである。

 

 

■ E. サティ:官僚的なソナチネ

官僚的=お役所仕事=マニュアルの繰り返し=怠惰。皮肉な曲名が怠惰編にピッタリというだけの、いわゆる「ジャケ買い」的に選んだ、恐らくクラシック界一ツマラナイ曲。内容ゼロ。足の指で弾いてやろうかと思うほど簡単。

しかし、楽譜の行間に書かれているフランス語をあぁ面倒だと思いながら翻訳にかけていくうちに、私は思いがけずこの曲の魅力にハマってしまった。朝になって役人が役所へ出勤し、夕方役所を後にするまでの1日の出来事が綴られているのだが、その内容があまりにもドライなユーモアに満ちており、サティのエスプリと皮肉、ナンセンスな諧謔にやられてしまった。

… それにしても、テクニック的には簡単なくせに、翻訳や作曲家がこれを書いた裏の意味の謎解きを含めて、いろんな意味で準備に時間がかかってしまった。なかなかに面倒くさい曲である。

 

Eriko Makimura er japansk pianist og sammen med din danser fortæller de om tidens trends i Japan gennem musik og dans.

Eriko Makimura er japansk pianist og sammen med din danser fortæller de om tidens trends i Japan gennem musik og dans.

(Photo: Helle Arensbak)

■ F. ショパン:雨だれのプレリュード

29歳11ヶ月2週間の時、スペインのマヨルカ島に飛んだ。なぜそこまで正確に年齢を覚えているかというと、島への旅の前日、人生最後のコンクールで私は再び優勝し、同時に聴衆賞を頂いたという鮮明な記憶による。国際コンクールの参加年齢制限は30歳であることが多い。もうこれで、コンサートで95%の音を外す自称ピアニストの審査員たちに審査される側に回らずに済む。私は競争と腐敗に塗(まみ)れた世界での苦しい20代をやっと終えることが出来るのだ。

受賞者記念コンサートの翌日、私は疲れた身体に佃打ってマヨルカ島へ向かう飛行機に搭乗した。恋人とだったか、ただの男友達とだったかは忘れたが、知る人のいない島で茫洋と時を過ごしてみたいと生まれて初めて思ったのだ。

しかし島での約1週間、私は自分でも驚くほど機嫌が悪かった。私の人生は他と比べたら多少ドラマティックでほぼ毎日狂騒の中にいるが、自分自身はいつもなかなかご機嫌に暮らしているつもりである。増してや、激しい20代を過ごし、これからようやく我が道を行ける30代突入前の僅か数日を、このエキゾチックな島でゆったり過ごして何が悪いであろう?

だが前述の通り、私は「休み方」というのが分からない人間である。この楽園のような島で、朝から晩まで一体何をすれば良いのか。

マヨルカに着いて3日目の朝。楽園を追われたイブのような気持ちで、私は泣いた。なぜ、楽園に来て泣いているのだろう。追われた訳ではなく、自らやって来たというのに。

こんなに何もすることがない島に、ヨーロッパ人たちは何を好き好んでやって来るのだろう。私はビーチでゴロゴロする以外、何をすればよいのか。トドではないのである。ああ、一刻も早くベルリンに戻って、毎日7つも8つも約束事がある日々に戻りたい…。

マヨルカ島が人気なのは勿論、そこでは何もしなくて良いからである。西洋人は日がな一日ビーチで身体を焼き、カクテルを飲み、自然に戯れ、シエスタを楽しむ。一夜か二夜か知らないが、情事もオープンである。

ある日、機嫌の治らぬまま自棄のように車で道を走っていると、思いがけずフレデリック・ショパン所縁の場所に行き合った。

1838年から1839年の冬、ショパンと彼の年上の恋人ジョルジュ・サンドはマヨルカ島に滞在した。ショパンの持病である結核が悪化しており、乾燥していて太陽も多いこの島で療養するよう医者に勧められたためだ。しかし、スキャンダラスな女として名を馳せていたサンドとの情事の噂がパリの社交界を席巻し始め、2人はその噂から逃げるためにこの島に逃避したのも、また事実である。

マヨルカ島に渡った恋人たちは、誰にも邪魔されずに音楽と詩的な霊感に満ちた愛の日々を送る筈であった。しかし、この芸術家2人は予想に反して、思いもかけずボタンを掛け違えたような鬱屈した時を過ごすことになる。天候も、2人が期待していたほど温暖ではなく、ショパンの結核は快復への道を歩んでいるとは言えなかった。

この「雨だれ」のプレリュードは、サンドが出かけた時に、ショパンが僧院の一室でいつ止むとも知れぬ雨が、雫となってポタポタと落ちるのを飽くこともなく眺めながら書いた作品だと言われている。雨の雫が滴るような左手のリズムが曲全体を支配している。アンニュイで優美な序奏、そして愛の終焉を微かに予測させるような不安感に満ちた中間部。出かけたきりの恋人ジョルジュは果たして自分の元へ帰ってくるだろうか。

愛情が永続する確証など、ない。

私の体はおそらく99%が情熱で成り立っている。しかし、その情熱の中に「倦み」が知らぬ間にひっそりと侵食してくるのが怖くて、無意識のうちにスケジュール帳を真っ黒にする生活を私は送り続けているのかも知れない。

 

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(Photo: Taeko Kasama)

 

 

■ F. リスト:ハンガリー狂詩曲 第2番 嬰ハ短調

誰もが知っている、超絶技巧曲のハンガリーラプソディ。弾けば(自称クラシックの真髄を理解し抜き、リストをエンターテイメント頼りの亜流作曲家と見なす観客以外は)絶対にウケてくれる。「いかにも」な、キャッチーで感傷的なメロディが散りばめられており、 グロテスクなほど技巧的な曲である。

この曲が怠惰編のプログラムとして選ばれた理由は、私の脳内に棲む意地の悪い小さいオッさんエリオがけしかけてきた故である。

ロマ特有の胸を締め付けるような美しいメロディー頼りで、音楽的な深みはない。サーカスのような技の連続の曲だが「こんなのはなんてことないと、シラっとした顔で弾いてみろよ、エリコ。この間知り合いのバーで呑んだくれて、完全に壊れただろう? あれだけ呑んで呑まれた後でも、この狂想曲がパラパラ弾けるくらい、普段から物凄い練習量をこなして鍛えてやがるんだろうな。怠惰の逆をいくとかヌかしておいて、まさか弾けないなんてないよな」と、オッさんエリオが嘲笑を投げかけてきたのである。

サソリ座の女の絶望的な特徴として、不条理な挑発をされると必ず受けて立つというのがある。挑発してきた相手をまず袈裟がけに一刀して、その後短刀で内臓を抉(えぐ)りに抉り、小腸や大腸だかを掴み出して相手の顔に投げつける。それが自分の内なる声からの挑発だとしたら、尚更である。

私はこの6月半ばまで、19日間で9公演4演目という、気の遠くなるようなヨーロッパツアーで死闘の限りを尽くしてきた。ツアー中も怠惰編の構想を練り続け、日本帰国後すぐ準備に突入したが、体調の戻らぬままの何時間にも及ぶ日本での稽古の日々は辛かった。

小さいオッさんエリオは今日の開演前、楽屋で鹿児島産芋焼酎1本をラッパ飲みするであろう。その上で、ロマたちの血に流れる原始的な激情そのものを現したこのメロディーを、彼女たちの魂が憑依し、かき鳴らすかの如く、私は弾くことが出来るのだろうか。

敵は本能寺(内なるオッさんエリオ)にあり。新たな挑戦の、

「時(土岐)は今」

 

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(Photo: Ramona Macho)

 

■ JAPANESE CHAMBER CABARET:Shamans「或る日本の家庭の場合」

マキムラエリコよ、汝は2歳からピアノを弾き続けている。成人式を終えて早幾年となった今でも、それを職業としてまだ弾いている。しかし、ピアノを弾くだけで、ただそれだけで人生を終えて本当によいのか?

日本は○○道が大好物の国である。1つの道を邁進しそれを極めてこそ、その人物はプロ中のプロだと尊敬を一身に集める。

確かに、ピアノ1本で人生を全うするのも1つの素晴らしい道であろう。しかし、ピアノのハンマーを折るほどの情熱をピアノに傾けながらも 、同時にもっと様々なことに挑戦してもよいのではないか。その代わり、本業がイマイチなので色々なことに手を出す邪道ピアニスト、などと絶対言わせないため、ピアノの練習は今までの3倍はやってやろう。精進し尽くして、上達に上達を重ねてみせる。

今年1月に開催された「七つの大罪」Vol.5 強欲編でのアンコールを弾き終わり、カツカツとヒール音を響かせて舞台袖に戻りながら、私は既に今日の怠惰編のことを考えていた。

私はそこで自らに誓った。サソリ座のオンナである反骨精神の塊のエリコよ、いっその事、怠惰編は「怠惰の真逆」で攻めてみては如何なものか。

世界で一番嫌いなことをやる。身体がもげるほど鍛錬を積んで、何か新しいことをやってのけてみたい。それは一体何か。

間違いなく、肉体トレーニングであろう。

このナマッて腐りきったカラダ、怠惰編までに鍛え上げてみせようではないか。

またサソリ座の話かと思われるであろうが、この星の元に生まれた女性は、いったん決意すると脇目もふらずゴールに向かってただひたすら突進するきらいがある。頑ななまでに自分に対して頑固で、同時にマゾキストなのだ。

というわけで、今年3月より本日のゲストパフォーマー、巖良明氏のレッスンに通い始めた。巖氏とは今からちょうど1年前に知遇を得、Vol.4 「高慢編」のゲストパフォーマーとしての出演を快諾してもらった。

その当時、私にはもう10年以上演じたくて仕方がないジョン・ケージの曲があった。4名の演者による、リズミックで演劇的要素を多分に含んだ曲で、恐ろしく難しい。

初対面の折、巖氏は「自分は楽譜が読めないが、それでも大丈夫だろうか」と尋ねてきた。クラシック界の全友人を失う覚悟で書くが、私は長年夢見ていたこの曲を頭カチカチのクラシック音楽家と演じる気は全くなかった。その悲願が叶い、巖氏を含む「俺なんでもやります」の日本人ジェントルマン2名と「私なんでもやります」の北欧女性1名、そして私を加えた計4名による共演が実現した。

最初のミーティングで、私は巖氏ともう1人のジェントルマンに楽譜の読み方を説明した。2人は20分ほどフンフンと聞きながらメモを取り、その10分後にはなんとリハーサルが開始されたのである。

ピアノ以外の努力は一切したくない私だが、しかし楽譜の読み方を20分で覚えて、30数年間ピアノを弾いている私と同舞台で見事にパフォーマンスを務め上げたこの共演者相手に、私はハローキティのようにカワイ子ぶって「こんなのできなーい♡」などと言ってよいのだろうか。

巖氏の初回のレッスンでは、文字通り死んだ。腹筋200回、ブリッジ、背筋100回、ラバーバンドを使った地獄の黙示録的サディスティックな根幹強化訓練。

翌日は、階段を一段も上がれないほどの筋肉痛が身体中を駆け巡った。翌々日のリハーサルでその事を訴えると、「あんなの、基本中の基本どころか、基本レベルでさえないですよ」と真顔で言い放った巖氏の言葉に、私は久々に後悔を感じて床でのたうった。「ああ、怠惰の真逆を行くなどと誓わなければよかった…」と。

しかし、巖氏にハッパをかけ続けて貰ったおかげで、今日まで私にしては頑張ったと思う。このプログラムノート入稿時点で、身長171cm、体重52kg、体脂肪率は17%まで絞った。本番まであと少し絞りたいものである。

今宵の怠惰編が終われば、私はまた生来の怠け癖からトレーニングも食事制限も放棄して、体重も体脂肪もリバウンドしていくのだろう。食べたいものを食べ、お酒も飲みたいだけ飲む。

だが、世の中はうまく出来ている。七つの大罪のグランドフィナーレにあたるVol.7のタイトルはなんと「飽食編」である。私は今宵のコンサート「怠惰編」が終わるや否や、酒池肉林の世界に入り、次回の「飽食編」の準備にかかる、世界一勤勉なピアニストなのだと世界に叫びたい!

(追記)
Shamans: 「或る日本の家庭の場合」が産まれた背景は、牧村英里子のウェブサイト、
www.erikomakimura.com に詳細を掲載しています。宜しければ、ご高覧ください。
内容を一言で表せば「ピアノ(仕事) か家庭か」の風刺とバイオレンスに満ちた葛藤劇です。

 

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(Photo: Eriko Miura)

 

■ F. ショパン:エチュードより Op. 10-9, Op. 25-10, Op. 10-12

ちょうど15年前の夏のこと、私はベルリンで芸大入試に挑んでいた。前もって知人に入試要項の英訳を頼み、それに従って課題曲4曲の準備を周到に重ねてきた。

しかし、試験会場に入った私は入試会場で審査員から、「なぜ願書には4曲しか書かれていないのか。ショパンのエチュードが抜けているじゃないか」と問い詰められ、愕然とした。課題曲は5曲あったのだ。まるで、センター試験5科目受験のところ、「英語」教科の準備を丸々忘れて試験会場に向かったようなものである。私の顔色は蒼白を通り越えて、御影石色に黒ざめた。

知人の送ってきた入試要項の訳を鵜呑みにして、私はダブルチェックを怠ったのだ…。

言葉も出ない私に、審査員は「エチュードを準備していないなら仕方ないね。では来年会いましょう。Auf Wiedersehen (さようなら)」と追い払うように手を振った。受験生は何百人にも及ぶのである。課題曲を用意し忘れた大バカ者の小娘に用はない。

状況を理解した私は、自分のあまりの大バカぶりに怒り狂い始めた。生まれたての子ヤギかの如く、脚に震えが伝う。

渡独前、私は背水の陣を敷いていた。入試の倍率は非常に高く、しかも日本の大学院を出てからの留学のため、他の10代の受験生より年齢的にハンディがあり、しかもヨーロッパで最も人気の高い音楽大学入試である。合格は予測がつかない。しかし、私は日本で使っていたピアノを売り払い、楽譜と多少の衣服以外は持ち物も全部処分して、ベルリンでの留学以外は道のない状況へ自分を追い込んでいた。日本でのコンサートのオファーも全て断っていた。

そのような状況で、課題曲の1曲を準備し忘れたとてこのままスゴスゴと日本に戻り、来年の受験まで待てるわけがない。更に、来年はもう1つ歳を取ることになり、できるだけ若い生徒が欲しい大学での合格はほぼ絶望的である。

大バカ者の自分への落とし前は、大バカ者自らが付けねばならない。

審査員の1人が見るに見かねて、10分だけ時間をあげるから、その間に受験にトライするかどうかを決めろと言う。私は「Ja(はい)」と答えるや否や走り出し、練習室の1つのドアを蹴り飛ばした。

中ではロシア人の女の子が練習しており、驚きのあまりポカンと口を開けて私を見つめていた。私は英語で、一生のお願い。10分だけ私に練習させてと土下座して懇願した。彼女は土下座姿を見て完全に気を飲まれて練習室を出て行った。

ショパンのエチュード。これを弾かずして、また弾けずしてピアニストにはなれぬ。テクニック、表現力、優美さ、緻密さ、ドラマツルギー等、音楽家としてのありとあらゆる必須要素が凝縮された、難物中の難物である。李朝の白磁のような、全24曲の稀有の傑作。

めまぐるしく思考を巡らせ、その中の1曲を選択すると、10分間、無の境地で弾きに弾いた。そして、受験会場に戻った。

本番で、どのように演奏したのかはよく覚えていない。しかし、人間は追い詰められると恐らく凄まじい力を発揮する潜在能力があるらしい。何がどうなったか、私はその時に一生分の運を使い果たして、後日合格通知を受け取った。受験後の審査員評議会では、あのジャパニーズガールは、本当はエチュードを準備していたのに、我々に印象づけるためにわざと準備していないフリをしていたのではないか。そうでなければ、あんなに弾ける訳がない、と穿(うが)った意見が出たと漏れ聞いた。何とでも言うがいい、と狭量な審査員を鼻で笑う若さに驕った自分がいた。

日本でピアノ馬鹿になりきって、毎日の死ぬほどの練習がモノをいって、よい結果がもたらされた。「勤勉」とは素晴らしい。

… と、美談で終われる私ではないのは周知の事実である。私はその後、それまでの努力や犠牲に対してクソ喰らえとばかりに、ベルリン芸術大学に入学してからの半年間、遊び狂うのである。正確には、半年間 × 24時間である。クラブやバーはいつの間にか顔パス、左手の手首にはいつもクラブ入店時に押されるスタンプの跡があり、それを見るたびに教授は苦虫を噛み潰したような顔であった。必須とされていた語学力は、夜の世界で地元のベルリーナーたちとスラングだらけのドイツ語や英語で話すことで格段に上がった。しかし、品行方正な芸大の学生たちとは全く合わず、大学内では大して友達は出来なかった。

半年間遊び狂うと、私は憑き物が落ちたようにまた音楽の世界へと没入していった。

それにしても、あの日々は一体何だったのだろう。ピアノは確かに怠けきったが、しかし今思えば人生の中の半年くらい惚けたところで何ということもあるまい、と開き直った自分がいる。

… いや、やはりあの半年間のツケは大きかった気がする。甘いな、牧村英里子…。

 

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(Photo: Lone Israelsen)

 

■ F. ショパン:バラード 第1番 ト短調 Op.23

小4の時に、ショパンのバラード第1番に恋に落ちてしまった。今までもう何度も演奏してきたので、目を瞑ってでも弾ける。十八番中の十八番をプログラムに入れて出演料を貰うというのは、例えて言うなら、父祖伝来の価値ある壺を見せるだけで拝観料を取る阿漕(あこぎ)な商売のようで、罪悪感さえ覚える。

しかし、敢えて、だからこそ。何百回と演奏していても、観客に訴えかけるような、まるで今日がプレミアの如く緊張感ある清澄な演奏が出来るか挑戦してみたい。今夜のプログラムは怠惰の間逆を貫いたスーパーハードコアな内容なので、この曲に行き着くまでに私は満身創痍であろう。それでも、研ぎ澄まされ抜いたバラードを会場に鳴り響かせることが出来るのか。

裸一貫、この曲に心を鷲掴みにされた小4の昔へ還り、怠惰編最後のナンバーを渾身振り絞って弾ききりたい。

(プログラムノート:牧村英里子)

 

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