Category: Essay

A Three Weeks in April and May in 2014

4月某日(木)

この1ヵ月半、日本での日々が忙しくて睡眠不足の日が続いたせいか、関空からアムステルダム行きの飛行機に搭乗するや否や、ホッと安堵のため息が漏れ、目を閉じる。 数日前、東京の友人と京都で落ち合って過ごした2泊3日の旅の記憶がしきりに蘇る。

12年ぶりに謳歌した日本の春。晩春の、いささか妖艶に過ぎる美女のような趣の京都の美しさを堪能しきった旅であった。

日本からヨーロッパに向かうとき、自分はいつも少しナーバスになるようである。軽く閉所恐怖症の傾向にある私は、暗い機内でゆっくり息を吐き、来る狂奔の3週間に備えて少しでも体力を温存しようと、眠る体制を整えた。

4月某日(金)

日本の伝統色に「勿忘草色(わすれなぐさいろ)」というのがあるが、今日のコペンハーゲンの空はまさに和色の勿忘草色。今年は日本の春と、ほぼ1ヶ月遅れの北欧の春、2度の春を謳歌することが叶った。

あまりの心地良さに、ほとんど陶然となって角のカフェでラテを飲んでいると、何人かの顔見知りが通りかかって「あら、Eriko!お帰り!!」と声をかけてくれる。

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(勿忘草色の空)

カフェを出ると、以前私のコンサートで衣装を手がけてくれたデザイナーに、京都で買ったヴィンテージの金銀糸の刺繍が入った黒の羽織をプレゼントとして渡しに行く。非常に喜んでくれ、早速着てみては胸元にアンティークのいぶし銀で作られたブローチを飾ったりしている。蜂蜜のようなこっくりしたブロンドに渋い墨色の羽織が意外なコントラストとなって、美しい。何度もお礼を言いながら、パテントのハイヒールを鳴らしつつ彼女は颯爽と街へ繰り出して行った。友人の俳優がシアターに出演するので、それを観るのだと言う。羽織の袖がハタハタと視界から消えた。

夕方。金曜日というので、たくさんのギャラリーオープニングに招待され、自転車でギャラリーホッピング。コペンハーゲンに来た年、最初の数ヶ月はそれほど忙しくもなかったので、それこそ何百とギャラリーの展示会を回ったものだ。おかげで、コンテンポラリーアートには随分慣れ親しむことができた。たまたま日本人アーティストの展示会も開催中で、覗いてみる。

夕食は久々にイタリアンレストランに席を取った。私たちの隣に座った男性がちょっとしたきっかけからいろいろ話しかけてきたが、彼が席を外した隙に私の友人が耳打つところによると、かの男性はマインドフルネス(瞑想)認知療法で有名な権威だそうだ。 彼によって鬱病を克服し、非常に感謝する患者もいれば、一方でコカインにまつわる黒い噂も後を絶たないという人物。

私の直感から言えば、そこはかとなく胡散臭いにおいがしたが、聖人のヴェールを被った俗な人間の話というのはなかなか面白いから困ったものである。私たちはなんとなく彼のペースに巻き込まれ、フンフンと最後までご高説を聞く羽目になった。

会計を済ませ、告解室を出た2匹の哀れな子羊たちは神妙な面持ちでお互いの顔を見つめ合う。暫く無言で歩き、その後は降りかけられた聖者の金メッキの胡粉を落とすべく、アルコールでの浄化儀式が必要ということで意見が一致。ニューヨーカーの陽気なバーテンダーが作るカクテルでたちまち元気になる子羊たち。

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踊り疲れて丑三つ時に帰宅。

4月某日(土)

コペンハーゲン桜祭り。今年は例年に比べ開花が早かったせいか、既に半数が葉桜の風情だったが、緑が萌え立ち始める晩春の北欧も美しい。ただ、恐ろしいほどの賑わいで、歩くこともままならず早めに退散。

練習後、夜はパワーガールズたちとの恒例の夕食会。カジュアル志向のコペンハーゲンに峻厳な拒否を表明するが如く、私たち3人は夜出かけるとなると過剰なほどドレスアップする。クリスチャン・ルブタン主催のパーティーがあった時など、私は2mのトレインを引いたドレス、友人は上から踝まで黒とゴールドのブロケード織りのガウンに伯爵夫人の被るような帽子で待ち合わせ場所のレストランに現れ、ウェイターはこのはた迷惑で場違いな客をどうして扱ってか分からず、テーブルの脚に躓(つまづ)いて転ぶわ、水はこぼすわで大変であった。

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(今宵はヴェールを被って)

3人揃いシャンパンで乾杯すると、早速近況アップデートを始める。ひとしきり話していると、私の横に座っていた男性が控えめな様子で会話に加わってきた。聞けば、モントリオールの有名レストランのシェフで、ここ数ヶ月はスカンジナビア・キュジーヌの研究のため、ノルウェー・デンマークの有名どころのレストランを回っているのだという。彼はモントリオールの食事情、私は日本の食文化について情熱の限りを尽くして語りあう。

楽しい夜であった。

4月某日(日)

練習に明け暮れる。

夕食後、オートクチュールデザイナーの友人とお茶をする。彼女は今でも思わず人が振り返るほど美しいが、モデル時代の昔は、ちょっと尋常でないほど蠱惑的な瞳で、彼女を見る者全てを魅了した美の化身であった。また、多くの芸術家たちのアフロディーテでもあった。

彼女は私の二律背反的な性格を直感的に理解しており、下手な同情はしないが経験に基づいた素晴らしい名言を連発する。

私が憧憬する、年上の美しいお友達である。

4月某日(月)

親友との再会&練習。ピアノソロリサイタル”Dies Irae(怒りの日)” まであと4日。

4月某日(火)

コペンハーゲンにはファッションブティックがずらりと並んだ通り(Kronprinsensgade)があり、そこを歩くと必ず知り合いに会うことから「HejHej(ハローハロー)通り」とあだ名されている。

ミーティングに向かう途中、その通りを歩いているとはたして「Hejhej! Eriko!!」と通りの向こうから声をかけられた。顔を向けると私の妹分の友人が大きく手を振っている。歳は離れているが非常に気があって、コペンに戻ったら一番に会いたい人の1人であった。偶然の邂逅を喜び合う。 軒を連ねるブティックの1つに勤めているというので、立ち寄って早口でおしゃべり。彼女とは、アートパフォーマンスと教育を融合させた”Sisters Academy”のメンバーとして、オーデンセで非常に濃厚な2週間を共にした仲だ。

私のリサイタルに来てくれるというので、その時にもっと話そうねと、ミーティングに行く途中だった私は投げキッスしながら足早にブティックを出る。

カフェ、Atelier Septemberでミーティング。この人の物事を見るアングルは本当にインディビジュアルで面白い。

その後は練習。夜はリサイタルのビジュアル・進行について詰めるべく、助演女優を含む何人かと集まってブレイン・ストーミング。

4月某日(水)

練習とレッスンの1日。小学生の生徒が私の弾く様子をビデオに収めて、格好よく編集して見せてくれる。私は感心しきり。彼女は早速そのビデオをInstagramにアップし、すると待っていたかのように幾つかの「いいね!」がつく。私は自分の小学時代を思い出して苦笑した。もはや、平成と昭和の今昔を比べることさえナンセンス。

5月某日(木)

コンサート1日前。入念な練習を終え、Cava Barへ足を急がせる。午後5時。以前フラットをシェアしていた2人の女友達と待ち合わせしているのだ。

春分以降、目覚しく日の伸びているヨーロッパ。仕事後の一杯を楽しもうという人で、カフェやバーは人であふれ返っている。私たちは運良くテラスに席を得て、ロゼで乾杯。

彼女たちとは1年に満たない共同生活だったが、隠れ家のような不思議な空間で暮らした、ひどくインティメイトな日々で、たった半年前まで一緒に住んでいたのにそれはもう遠い遠い昔のことに思われる。毎日何かしら可笑しなことがあり、例えば廊下の靴脱ぎ場はある日突然下の写真のようになる。

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(靴脱ぎ場。真ん中に花瓶。その周りにタロットカードとマトリョーシュカ)

シアターそのものの晩餐会もやったし、モーニングコーヒーを一緒に飲んだり、幾つかの秘密も共有しあった。

思い出話+笑い+Cava3杯。少々足をふらつかせながら、それぞれ次のアポイント場所に向かった。

4月某日(金)

コンサート当日。開演が20時半と比較的遅いため、招待されていたハットエキシビションのプレミアに顔を出すことができた。本日は招待者のみのイベントであるのに、多くのファッション関係、プレスで賑わっており、明日からの盛況を予想させる。

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何人かの友人も作品を出展しており、私も久々に帽子を新調しての参加。

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(新調の帽子をかぶって)

時計を見ると、リハーサル開始まであと15分。慌てて友人たちに別れを告げて、会場までタクシーを飛ばす。

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(リハーサル時の会場、Domeの中からの風景。向こう側に運河)

午後4時、リハーサル開始。全てが順調に進んでゆく。午後6時、サポーター達到着。午後7時、軽く軽食。午後7時半、メイクと着替え。午後8時15分、フォトグラファーがコンサート直前のアーティストを撮りたいと、ポートレイト撮影に来る。午後8時半、開演。

リハーサル、コンサートのフォトギャラリーはコチラ→http://www.erikomakimura.com/2014/05/piano-recital-dies-irae-the-concert-series-of-dusk-till-dark/

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(「欲望」を黒いヴェールで覆い隠して)

「Dusk till Dark」 夕暮れから夕闇まで・・・。このドームでのコンサートシリーズのタイトルの如く、夕暮れ時の、淡やかなサーモンピンクと薄染めの藍が混じる空が、コンサートが進むに連れ、藍の割合を増し、濃い群青色の闇が会場のドームをすっぽりと包み込んだところで演奏終了。休憩なしの1時間20分。「妬み」、「強欲」、「欲望」、「怠惰」、「高慢」、「飽食」、「憤怒」の七つの大罪を旅した私の「Dies Irae」は終わった。

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たくさんの方々に来て頂き、ただただ感謝。愛する友人たちに楽屋秘話を打ち明け、共に大笑いする。私を疲弊させ切った重いテーマのリサイタル後の、友人との呵呵大笑。私が一番必要なものをくれるこの人たちと、これから先も縁で結ばれますよう・・・。

長い1日だったのでもうこのまま帰りたかったが、この後ファッションイベントのアフターパーティーに参加すると約束してしまったため、疲労した体に鞭打ち、タクシーに乗り込む。・・・とその時、1m90cmはあろうという傾国の美女・・・もといトランスヴェスタイトの男性が、私をタクシーの奥に押し込んで、自分も乗り込んできた。彼(彼女)もコンサートに来ていたのだった。

この人とは約1年前、やはり私のコンサートで出会った。私は会った瞬間、彼の強烈な外見と個性にすっかり毒され・・・ではない、魅せられてしまった。その抜けるような長身に比して、体重は56kg、さらさらの長髪、股下1m以上、そしてウェストときたら、タオルを絞り上げたかのようにか細いのである。

パーティー会場で他の友人たちと合流すると、まるでデヴィッド・リンチの映画のような、実に奇妙で、実に不可解で愉快な夜を私たちは共に過ごした。

5月某日(土)

午前9時に携帯のアラームが鳴る。昨夜の帰宅は確か夜中の3時過ぎだった。床に落ちていた携帯をやっとの思いで拾い上げると、昨日のコンサートに来てくれたゲスト達から、幾つものメッセージが入っていた。温かい言葉に満ちていて、何度も何度も読み返す。ソロコンサートの後は、充足感よりもまずは虚無がベタベタと這い寄ってくる。このうっそりとした厄介なブラックホールからの脱却には、こうしたお客さんからの声が何よりの助けとなる。

半時間ほど甘い言葉と軽い頭痛と濃く淹れたエスプレッソを交互に味わってから、出かける準備にかかる。今日は、いつもお世話になっている友人の、フォトシューティングのアシストをする約束をしているのだ。 フォトグラファーが車で迎えに来て、友人と3人、北シェランドに広がる森へ向かう。

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(北シェランドの森と湖)

北シェランドの風景の美しさを描写するには、私に詩的要素が欠けているので控えよう。

それにしても。今日と昨日のこのコントラストといったらどうだろう。けぶるような木漏れ日の森、静寂に過ぎる透き通った湖に囲まれ、私は呆然とする。昨日の出来事がグルグル頭を駆け巡る。数百人のファッショニスタが集まるプレミエ、自身のコンサート「怒りの日」、異形の美しいトランスヴェスタイトと踊り明かした奇妙な夜・・・。

友人の撮影を手伝いながら、あまりに無防備に綺麗な自然の中に立っていることが次第に我慢ならなくなり、じりじりし始める。やっと終わった時はホッとして車に乗り込むと、フォトグラファーがスピード違反で捕まってもいいから、一刻も早く私を家に連れ帰って欲しい・・・とけしからんことを願いながら、助手席のシートに深く身を凭せかけた。

40分後、帰宅。もう今日は何もせずゆっくり過ごそうと決めたのに、それなのに。

誘われるまま、新しくオープンしたホテルのレストランで食事し、その後2件もバーをハシゴした私は何かに憑かれているに違いない。

私のDies Iraeはまだまだ続く。

5月某日(日)

来る怒涛の週に備えて、準備に走りまわる一日。Cafe Europaで非常に美味しいランチを取りながら、アーティストと実のあるミーティング。その後は自転車を飛ばして、なかなか会えなかった友人の元を訪ね、彼女の生後2ヵ月半のべビと束の間の対面。またまた自転車を矢の如くすっ飛ばし・・・。

5月某日(月)

本日は私のフォトシューティングの日。次回のリサイタルのためのポスター写真撮り。日本でのコンサートシリーズ「七つの大罪」のVol1、「憤怒編」が7月19日に神戸で開催される運びとなっている。「憤怒」を表すアイコンとして、ユニコーン、ドラゴン、狼が上げられるが、私はそのうちのユニコーンと撮影がしたかった。

ユニコーンは勿論空想上の生き物だが、アーティストの友人が以前、馬の頭の剥製にドリルで穴を開けて角を付け、ショーで使ったという話を聞いており、私はすっかりそれを借りる算段をしていた。

しかし、実際その友人に会って、彼女が創作したユニコーンを貸して欲しいとお願いすると、キョトンとした顔をして、

「ああ、あのユニコーンなら、とっくに腐っちゃったわよ」

と応えがあった。私は混乱した。

「腐った?どういうことかしら?」

「あの馬の頭はね。知り合いのお肉屋さんから買ったの。剥製じゃないわよ。本物の馬の頭。だから、ショーで使った途中からすでに腐り始めちゃったのよ。ドリルで額に穴を開けたときは、血が飛び散ってそれは大変だったわ。」

・・・こういうアーティストの友人に会うと、私など本当にごくごく一般的にありふれた普通の人間なのだとホッとする次第である。

ユニコーンとの撮影の夢はあえなく破れた。残るはドラゴンか狼だが、私は狼を選んだ。狼の毛皮らしいものを探しに探したら、なんとか見つかったのだ。それを纏(まと)って撮影に挑む。

私が信頼しきっている親友との撮影は大笑いの連続で、本来撮影は非常に疲弊する作業だが、彼女のお陰でスムーズに事は進んだ。

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(あらゆる小物を使ってテストフォトを撮っていく。この写真はテーマに合わずボツ)

ところで話は大きく変わるが、私は毎日何かしら失くし物をする「失くし物クイーン」である。携帯、財布、ジャケット、バッグ、記憶、パスポート、(何人かの)恋人(ハハハ・・・))、と果てしなく失くしに失くし続ける。今のところ失くしていないものといえば、大事な親友だけである。これは非常にありがたいと言わねばならない。

昨日も、気に入りの赤いルージュを失くしてしまった。今日の撮影にどうしても必要ということで、撮影の合間に近所のコスメティックショップに買いに行く。何百本も並ぶ口紅の中から、真っ先にこれだと選んだ一本のルージュに付けられた名前が

Envy(妬み)

であった。コンサートが終わって3日経つというのに、私はまだ七つの大罪の支配から逃れられないでいる。

5月某日(火)

不安になるほど予定が詰まっていたが、全てのアジェンダを無事に終えて帰宅。午前1時半。

一番重要だったのは、週末スウェーデンはマルメで行われるSisters Academyのパフォーマンス内容についての会議で、総勢13名のパフォーマー、演出家、フォトグラファーなどが集まってアイディアを出し絞る。

3時間ほど白熱したディスカッションが続き、フレームワークの外堀を固めたところで解散。

ミーティング会場を出ると、デンマーク人お決まりの、「明日もあるから1杯だけ」を唱えながら、7人でバーに繰り出す。

5月某日(水)

かなり早起き。今日も綱渡り的な仕事の入り方。しかし、朝早くに精神科医の友人が電話をかけてきて、非常に深く、胸が透くような会話があり、お互いカタルシスを感じながら近々の再会を誓って電話を切る。体の疲労は精神の充実で十分補えるのだ、と再確認しながらレインコートを羽織り、仕事場に向かう。

レッスンを数人分こなす。世代を超えたこの愛しい生徒たちとの交流を毎回非常に貴重なものだと感じる。

終了後に1つミーティング。それから週末のスウェーデンでのショーのための買い物を済ます。

買ったものリスト

孔雀の羽根1,2m×10本

ありとあらゆるサイズのパンティー10枚

黒総レースのロング手袋

黒レザー紐10m

白絹の50年代風ブラウス

劇場用血のり

・・・この買い物リストを見て、私が変態もしくはサド・マゾの女王でないと誰が言い切れようか。

非常に疲れて帰宅。夕食を口に運ぶのも辛い。白ワインのコルクを抜いてグラスに注ぎ、バスルームでバスタブにお湯を張る。行儀が悪いのは百も承知で浴室に1冊本を持ち込み、湯の中に身を沈める。ワインをちびちび舐め、本が湯気でふやけるのも構わずページをめくっているうち、よい香りのバスオイルを垂らしたバスタブの中で私は幸せを取り戻し、ほとんど法悦とも言える境地に至る。本来、私という人間は至極単純に出来ているのだ。

すっかり本を台無しにしてお風呂から上がり、髪を拭っていると、友人から電話があった。

「1杯だけ。本当に1杯でいいから付き合って。」

・・・デジャブだろうか。昨夜も同僚たちからこれと全く同じセリフを聞いたような気がする。しかし、友人の言うようにもしグラス1杯で終われば、世界中のバーは潰れるであろう。なのに、コペンハーゲンのバーはどこも人いきれで汗ばむほど込み合っている。

そして、私はなぜ赤いリップスティックを手に取っているのだろう。「Envy」と名づけられた紅すぎるルージュ。今日こそゆっくり眠るべきなのに・・・。

5月某日(木)

朝、目が覚めて窓際の鏡にちらと目をやると、真っ赤な口紅を塗った半開きの口と焦点の合わぬ目がこちらを見返してきた。どうやら友人からの誘いを昨夜断りきれなかったらしい。そして当然のことながら、グラス1杯では終わらなかったらしい。

口紅を落とし、熱いシャワーで禊(みそぎ)する。友人からのフランス土産の練り香水をほんのり首筋に擦りこむと、私は機嫌よくバスルームを出た。二日酔いというものを知らない幸運な私は、薔薇の香りに包まれ、髪は半渇きのまま友人宅に向かう。

彼女の家で、先日撮った写真のリタッチを開始。そして、色味を吟味して文字の配置とバランスを考え・・・と、細心の注意を払いながら、日本でのコンサートシリーズ、「七つの大罪Vol1 憤怒編」のための、気の遠くなるような細かい作業を伴うチラシ作成に入る。

この親友なしでは、私の今までのプロジェクトは絶対成し得なかったであろう。

夕方おいとまし、家に戻って大急ぎで明日からの旅の準備をすると、夜は私がこの1週間心待ちにしていた友人宅でのディナー。

Sancerreのワインをポンッと開けて、何度も乾杯する。彼女の創る料理は優しい味がする。コペンに戻って以来初めての和食で、美しく面取りされたかぶらの炊いたのがとろけながら喉を通ってゆき、鳥のつみれは口に含むと滋味がゆっくり広がっていく。おかわりをもらい、私は目を細める。海外在住者には貴重食材中の貴重品、魚沼産の極上のお米でふっくらご飯を炊いて、お茶碗に盛ってくれた。

コペンハーゲン中に轟きわたるほどの爆笑を繰り返した後、名残惜しくおやすみのハグを交わす。

明日からの大きなプロジェクトに向けて、心身ともエネルギーを蓄え帰宅。

5月某日(金)

スウェーデンはマルメへ。同僚の1人が車で迎えに来てくれる。車内は3人+ショーのための山のような荷物。私の10本の孔雀の羽根もトランクの上でフワフワ舞っている。

車はやがて、デンマークとスウェーデンを結ぶエースン橋を渡る。本当に美しい構造の橋で、渡るたびに惚れ惚れしてしまう。

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しかし、渡橋代は日本円で片道約6,500円。驚きの値段である。

コペンを出て約1時間ちょっとで、会場であるMalmö Inkonstに到着。すでに多くの同僚が演出家たちを手伝って、作業に取りかかっていた。今回のSisters Academyは「Feast(饗宴)」の名のもと、sensuous(感覚的)な社会への喚起を促し、詩的な旅をゲストたちと共に体験していく。

黒塗りの会場の真ん中には20mほどの長いテーブルが置かれ、黒とレースのテーブルクロスの上にはローストチキンや梨のコンポート、色とりどりのカップケーキ、ニシンの酢漬け、マカロンなど、前菜、メインディッシュ、デザートが無秩序に溢れ返るように並び、何台もの銀の燭台の蝋燭が、それらの食べ物を怪しげに照らし出す。私のピアノはテーブルとテーブルの間に配置され、私はそこでディナーもとれば、演奏もする。

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(Feast((饗宴))のテーブル)

準備をしながら、古代ローマ時代の話をふと思い出した。かの時代、高貴の人々はしばしば饗宴を催し、寝そべりながら延々と食べ続け、ぶどう酒を干していった。お腹が膨れると、奴隷の差し出す孔雀の羽根を喉に差込み、食べたものをリバースし、また飲食を続けた。まさに酒池肉林の極み・・・。

「饗」宴程度ではなく、いっそのこと「狂」宴にならないか、と淡く期待しながら、遅くまで準備&ミーティング。

長い一日が終わり、主催者が借りてくれたアパートへ向かった。同僚の女たち4人は道すがらお菓子を買い込み、明日も早いので早く眠らねばならないのに、まるでティーンネイジャーのようにリビングに座りこんで、罪のない話に大笑いが止まらない。

どれだけしゃべったか。姦(かしまし)娘たちはようやくソファから立ち上がると、仲良く歯を磨いて、ガヤガヤとベッドに入ってしばらくすると、やがて揃って寝息を立て始めた。

5月某日(土)

パフォーマンス当日。開場は19時。

週末だからか広場に朝市が立ち、新鮮な野菜、フルーツが朝露に濡れたまま、色鮮やかに軒下に山積みされている。思わず足を止めそうになるが、9時からのミーティングに遅れるわけにいかず、テイクアウトのカプチーノを持ったまま、会場に急ぐ。

会場であるMalmö Inkonstでは、我らSisters Academyは来年2015年に1ヶ月に渡るボーディングスクールを開校予定。今夜の饗宴は言ってみればそのアペタイザー的な役割を担う、プレポップアップイヴェントに当たる。

細かいタイムスケジュールが組まれ、演出家たちの手伝いの合間にサウンドチェックがあり、私は他のパフォーマーとピアノの元でリハーサル。歌を歌うパフォーマーもいるし、John Cageの名作「4分33秒」を俳優と共演することになっているので、その最終打ち合わせもあり、混乱しない方がおかしいほどの忙しさだが、みな黙々とそれぞれの仕事に没頭している。

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(サウンドチェックの様子)

18時半にはコスチュームへの着替え、メイクも全て済み、会場はゲストを迎えるばかりまで整った。19時、最初のゲストが到着。

饗宴のフォトギャラリーはコチラ→https://www.flickr.com/photos/108171819@N03/sets/72157644616439342/

午前0時。最後のゲストたちが会場を出て、饗宴は幕を閉じた。

5時間のノンストップパフォーマンス。共演者はみな、床に突っ伏している。

やがて、誰からともなくそろそろと起き上がると、それを合図にしたかのようにサウンドエンジニアーが大音量でDJし始めた。それまでの完全にコントロールされたキャラクターの仮面ををかなぐり捨て、私たちはトランスがかったように踊り始めた。余っていたCavaをバンバン開け、ボトルから直接喉に液体を流し入れる。

宴は完全に果てた。いや、真夜中0時を過ぎて、今まさに始まったところなのだろうか。

私の問いに答える言葉はない。

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(私のトークンである6つの手と私の右手)

5月某日(日)

昼まで片付けやら次回のパフォーマンスの軽い打ち合わせをしてから、3台の車に分乗してマルメからコペンハーゲンへの帰途につく。昨夜のパフォーマンスへのさまざまな思いや批評が去来するのは誰しも同じで、しかしそれを消化して言葉に出来るようになるまでは胸に秘め、次のミーティングまで取っておこうというのは、言わずとも全員一致した考えのようで、皆笑顔で別れを惜しみ、それぞれ帰宅していった。

1時間ほど仮眠して、ミュージシャンの友人宅へお邪魔する。2ヶ月ぶりの再会。ジャンルは異なれど、等しく音楽に憑かれた者同士惹かれ合い、去年から徐々に友情を深めてきている。

彼女は非常に多忙な人で、本当は私と入れ違いに今日からスウェーデンへ行く筈だったが、同じく多忙を極めていた私の予定に合わせてわざわざ旅立ちを明日に延ばしてくれたのだった。

彼女お手製の、フンギとグリーンアスパラのリゾットに、パルメジャーノ・レッジャーノをたっぷりとかけ、白ワインで乾杯。

来年あたりを目処にコラボレーションを実現させようと誓い合う。誓うたびに乾杯を重ね、私たちはどんどん深い世界へと藪を掻き分けながら入っていく。芸術的にも人間としても響きあうものを持つ者同士の会話は、同性異性問わず、官能的なまでのレベルに到達することがある。

今夜はまさしくそれで、脳を痺れさせながら私は家路についた。レズビアンだったら私たち今夜どうにかなってたわね、とお互い笑いながら頬にキスし合って別れた。

5月某日(月)

彼は全く油断のならない男である。彼というのは、アンティークブックショップのオーナーのことである。彼はさもなんでもないことのようにイケナイことばかり私に教育するのだが、本当は非常にシャイなことを私は知っている。だから、会うときはいつも私はワインを携えていく。そして、それで唇を湿すうちに、彼の口は非常に滑らかになってゆき、諸々のイケナイ会話が展開されていくのである。

2人の友人も加わり小さなサロンが形成される。私は自分より何層倍も知識と経験があり、ユニークなアングルから躍りかかるように物事を捉えてゆく稀有な有識者たちを見つめる。マルキ・ド・サド、フロイト博士の妻の生涯、70年代ポルノ、スカルラッティ、或る統合失調症のアナーキストが処刑された経緯・・・。どの話も面白すぎて、この場を一生離れたくない。

閉店が近づいた時、明日のロングフライトで読むための一冊を選んで、と頼むと、「非常に君らしい一冊だよ」と渡された本の題名が

「導かれて・・・鞭(ムチ)」

であった。本当に油断のならないMr.チャーミングである。

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私はこのMr.チャーミングが大好きなゆえに、わざと1年に数回しか彼を訪ねないという天ノ邪鬼な態度を取っているのであるが、さて次に会うのはいつのことになるか。

日本に明日飛ぶので、夜はしばしのお別れを偲ぶため、友人主催でメキシカン料理屋にて食事会。みんなありがとう。

(追記:夜、ベッドの中で今日買った本をパラパラとめくると、それはそれは過激な内容であった。まさか発禁扱いじゃないでしょうね・・・。成田空港の入局管理局で見つかって、捕まらないでしょうね・・・ドキドキ)

5月某日(火)

もうやり残したことはない・・・。カストロップ空港のラウンジでこの3週間を振り返りながら、ファイナルコールを待つ。これから日本へ飛び、立ち上げたプロジェクト「七つの大罪」コンサートシリーズの、企画・遂行に全力を投じなければならない。

まともに睡眠さえ取っていない狂奔の日々から一歩引き、暫くはレッスン室に籠もった落ち着いた生活を送ろう。一人になって、依頼されたパフォーマンスの案を練り、インプットに励む。

そう決心して機上の人となった12時間後。

私は東京のしゃぶしゃぶ屋の個室で、友人と笑いながら忙しく箸を動かしていた。

その後根津美術館に行き、やや盛りが過ぎたとはいえまだ十分に美しい庭園の菖蒲に見惚れ、尾形光琳の燕子花図と丸山応挙の藤花図の二元的美と技巧に、心がざわめき揺さぶられる。

nezu2(根津美術館の素晴らしい菖蒲園)

日本の土を踏んだ瞬間から、またもや激しく動き回りたい衝動に駆られる。常軌を逸脱した狂奔が胸を渦巻く。

いったん落ち着かなければ・・・と神戸に向かう新幹線の中で再び自分に言い聞かせる。

今夜こそ私は眠る。今日見た菖蒲の群生の残像をまぶたの奥に投影させながら、目を閉じる。まずは泥のように深く深く眠る。


A Two Weeks in February and March in 2014

2月某日(土)
家を出てから既に25時間。飛行機はようやくカストロップ空港に向けて着陸態勢をとり始めた。関空発パリ経由コペン着。トランジットも含めると、このルートはひどく長くて疲れる。
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関空で重量超過料金を課せられたスーツケースを受け取り、出口に向かう。出発前も日本で何かと忙しく、寝不足の日が続いていた。一刻も早く靴を脱ぎたい。そして、旅の際にいつもうっそりとつきまとうメランコリーをシャワーでざっと洗い流してしまいたい。

メトロの方へと歩きだすと突然、”Eriko! Eriko!!” と誰かが何度も私の名を呼ぶのが聞こえた。驚いて声の方向へ目をやると、今にも生まれそうなほど大きなお腹をした友人が笑顔で大きく手を振っている。

「びっくりした?サプライズで迎えにきちゃった。今夜はまだ生まれそうにないし」

私は驚きと嬉しさで彼女をぎゅっと抱きしめてから、大きなお腹に頬ずりした。居心地がよいのか、予定日を過ぎてもお腹に居座っているベイビーボーイ。生まれてきたら私はこの子を舐めるように可愛がるだろう。早く出ておいで。

空港の外に出ると、彼女のボーイフレンドも車の横で大きく手を振っているのが見えた。

2月某日(日)
カフェ「N」にて友人とブランチ。三角に切られた全粒粉のパンに、分厚いブリーを載せて齧りつく。カリッと香ばしいソーセージにツナと枝豆のサラダ、そして楽しいアカンパニー。これ以上の日曜日の朝は望めない。

右脳左脳どちらも非常に発達した人というのが稀にいるが、目の前に座る彼女がそうだ。いつも多角的なアングルから物事を見る目を持ち、私に刺激を与えてくれる。

彼女と別れて電車で次の目的地へ向かう途中、すれ違う人の波の中に懐かしい人の顔を見たような気がして思わず振り返った。

実は私にはひとつ深刻な病がある。人の顔を覚えられないという病気である。
付き合っていたボーイフレンドたちの顔でさえちゃんと覚えていない。匂い、声、感触、交わしたいくつもの会話の記憶から、私はその人をやっと「個」として認識するらしく、顔での識別は非常に難しい。

さっきすれ違った人もきっと人違いだ・・・。

電車は目的地に滑り込み、待ち合わせていた友人とお茶を共にする。この友人の存在の意味はとても大きい。この人がいたおかげで、私はコペンで待ち受けていたすべての不可能を可能に転換することが出来た気がする。

夜は長らく会えていなかった別のお友達からのお招きで、美味しい料理の饗応に与る。中近東のさまざまな豆や穀物を使ったサラダ、焼き目も美しい鴨肉。デザートのお手製マフィンには私の大好きなホワイトチョコレートが忍ばせてある。

時差ぼけのせいで酔いがまわるのも早く、帰りの電車で寝入ってしまい、3駅分引き返す。

2月某日(月)
朝から2件用事を済まし、3人にレッスンをしたところで、友人が車で私をピックアップにやってきた。これから大きなプロジェクトに参加するため、オーデンセへと向かうことになっている。

車中には4名。プロジェクトメンバーの1人である演出家と話が弾む。去年、偶然同じ日にドストエフスキーの「悪霊」を劇場で観劇していたことが分かり、さらに会話の枝葉が多方面に伸びてゆく。新しい出会い。楽しい。

2時間後、オーデンセに到着。山のような荷物をバンから運び出し、既に昨日から会場入りしていた仲間たちとの再会を喜び合う。12名のパフォーマー、演出家2名、ライトテクニシャン1名、サウンドエンジニア1名、フォトグラファー1名、映像アーティスト1名、そして生徒175名、教師22名によるビッグプロジェクト。今週は準備期間で、来週より2週間”Sisters Academy”という名の、新しい教育のあり方を問う、五感で感じる革新的なエデュケーションプログラムの始まりだ。パフォーマーたちはその間、学校に泊り込みである。

メンバーが取っておいてくれた夕食の残りを温めなおしながら、キッチンに集まって近況を報告し合う。私たちはそれぞれ部屋をあてがわれ、各々自分のキャラクターに合った装飾を施し、演出家、ライトテクニシャン、サウンドエンジニアーと協力しあって個性的な空間を創造してゆく。私はピアノが設置してあるグランドホールの一角を自分のタブローとし、明日から飾りつけ作業に入ることとなる。

この夜、眠りにつくのに1分とかからなかった。

2月某日(火)
オーデンセ2日目。朝食ミーティングで、来週月曜日のオープンまでの流れをざっと確認し合う。何ヶ月も前からワークショップやミーティングを繰り返してきた”Sisters Academy”プロジェクト。ようやく現地入りの運びとなり、みな真剣である。

朝食を終えると四散し、作業に入る。私は学校のピアノとオルガンを隅に配置し、オルガンの上に大きな鏡を置いた。楽譜を紅茶で染め、乾いたところでぐしゃぐしゃにしてピアノ上の壁に留め付けてゆく。床にも楽譜とレコードをばら撒いた。

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(My little continent.)
ほかのパフォーマーたちも、部屋作りに余念がない。これらの部屋に生徒たちは自由に行き来することが出来て、パフォーマーたちとのインターアクションを体験することになる。
SA4(Protector of the Archive’s room.)
午後は仲間の1人と入り用のものを求めて町に出る。オーデンセの町の、アンティークショップの多さに驚く。その中の1軒で、見たことのないほど気味の悪い赤ん坊の人形を見つけ、非常に心をそそられたが、値段を見て諦める。
それにしても、私はなぜこんなにも不気味なものや変なものに対して興が湧くのだろうか。人に対しても同じで、奇妙な人ほど面白い。そのせいで、私はいつも台風の目の中にいる。なんのことはない、すべてのドラマは自分が引き寄せているのである。
tumblr_lo3fqbfbmR1qzkzm6-1024x736(Strange stuff which I desire.)
夕食後も延々作業が続く。ベッドに入った時間も覚えていない。

2月某日(水)

オーデンセ3日目。朝食ミーティングを終え、昨日に引き続き各々部屋で作業に入る。今日は演出家に加え、ライティングの専門家とも最終的にどう部屋を仕上げてゆくかを話し合い、足りないものはアンティークショップへ借り受けに行くことになっている。私も、椅子やサイドテーブルなどを演出家と一緒に選びに行った。

1973306_648766161837572_55271297_o(Amputated left hand and some sheet music by Prokofiev.)

17時。朝からぶっ続けの作業を終了し、簡単にパッキングをすると仲間たちに挨拶してから学校を後にする。レッスン、リハーサル、打ち合わせなどが溜まっているため、一旦コペンハーゲンに戻らなければならない。オーデンセからコペンハーゲンまで、電車では1時間半。今夜はミュージシャンの友人宅で、ディナーを兼ねてのブレインストーミングの予定。

コペンに着くと、友人が最寄り駅まで迎えに来てくれていた。数日前からオッソ・ブッコをことこと煮て準備してくれていたという。彼女のほとんど痛ましいまでの芸術家特有の繊細さに触れると、私は血の滴るビフテキのような自分の屈強な精神を、申し訳ないようなありがたいような、名状し難い思いで見つめ直すことになる。

「透明な繊細」と「土着の屈強」はしかし妙に気が合い、それは愉快な晩餐となった。

音楽談義が続き2本目のワインのコルクを開けるころ、話は私たちの共通の友人の身の上へと移った。聞けばその友人は、近頃チンピラに因縁をつけられ大変なことになっているらしい。ダニのような人間というのはこの世に確かに存在するのだ。そしてそのダニは、善良な人間にしかつかないという特性を持っている。

警察も当てにならないらしく、どうしたらよいのか・・・。

私たちはその友人に何通もsmsを送った。問題には触れず、思いつく限りの面白いこと、下世話な話、ちょっぴりエロティックな冗談を書いて、思わず噴き出すような写真を何葉も送った。

夜が白み始めるまで私たちは話し続けた。

2月某日(木)

昨夜は結局2人でビールを数本、白ワインを2本、アイスランド産のウォッカをショットグラスに数杯空けてしまったが、今朝は二日酔いの気配もない。ただし、喋りすぎのせいか声が枯れてひどい声。電話をかけてきた友人など私の「もしもし」を聞いて、思わず電話を切ったくらいだ。

朝食後、数時間習してからプロジェクトを一緒に推進しているアーティストと打ち合わせ。そしてリハーサルへと向かう。今日は今度のコンサートで弾く室内楽の初合わせ。

無事終わると、ホテルNimbへと急ぐ。スウェーデンから来ている友人にどうしても会いたくて、お互いの一瞬の合間を縫ってほんの僅かな逢瀬が叶った。ロイヤルミルクティーで乾杯。

次に会えるのはストックホルムだろうか。中央駅を通り抜け、夕食会の待ち合わせ場所に歩を急がせながら、数え切れないほど訪れたストックホルムを思う。そこで出会った愛しい人たちー 老いた大女優の時代がかった立ち居振る舞い、8ヶ国語を自由に操るパパヘミングウェイのようにチャーミングな友人の父、ベルリン時代に出会った私の愛してやまない親友・・・。

Istedgadeを歩く。夜はなるほど猥雑な雰囲気だが活気がある。早朝のそれのように、どうしようもないほどのやるせない哀しみは漂っていない(Istedgadeは娼婦が夜客を取るために立つ)。足早に通り過ぎると、あるレストランの前で、お友達がこぼれるような大きな笑顔で手を振っているのが見えた。少し迷っていた私のために、外で待っていて下さったよう。なんて優しい。本当にありがたい。

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(My very dear friend from Sverige!)

淑女4名、殿方2名による楽しい夕食会の始まり。

2月某日(金)

午前中はSisters Academyに必要なものを買出しに街へ。私は”Chain Hands Pianist”というキャスト名で、文字通りチェーンが私のトークンである。工具屋に行き、美しい金銀のチェーンを4種類も買ってしまう。2m×4本。渡された袋はずしりと重い。

アカデミー開催中のコスチュームについて、未だ明確なイメージが湧かず、暫く考えた末、スタイリストの友人にアドヴァイスを貰おうと思い立つ。電話してみると運の良いことに時間があるとのこと。オフィスの前でベルを鳴らす。

彼女は私が最も美的感覚を兼ね備えていると思う人の一人で、話を聞くや否や、山のようなアイディアを噴出させ、どんどんメモに書き留めては私に渡す。美のバプタイズを受ける私。そればかりか、オフィスに散乱している布やパーツ、細い繊細な鎖を使って装飾品まで即興で創作してくれた。

5日分のコスチュームの目処が立ち、私は何度もお礼を言って彼女のオフィスを出た。そして次の待ち合わせに急ぐ。深く慕っているお友達との楽しいひとときが待っているのだ。

チーズケーキの専門店で、シトロンフロマージュとブルーベリーチーズケーキを頼み、仲良くシェアする。

このお友達が今までくれたもの ー 手作りのジャム、丹精の紫蘇の葉、郷里の美味しいおつけもの、お手製のフレンチ料理カスレ、ショパンのチョコレート、秘蔵のタイ料理レシピ、日本への長距離電話、たくさんの温かいメッセージ、そしてカフェでの大笑いの時間・・・。私の大事な大事なお友達。

名残りおしかったが、ピアノの練習が残っていたので立ち上がり、また今度ねとハグし合う。交わした会話を反芻しながら練習場所へと向かった。

練習を終えてから、ガールズ2人に誘われてカクテルを飲みに出る。離婚調停中の有名な某政治家が私の真横のテーブルで女性とデートしている。

デンマークだ、ここは。

2月某日(土)
朝、香ばしいパンケーキの焼ける匂いで目が覚める。昨夜は結局友人宅へ流れ、そのまま泊り込んだらしい(記憶があいまい)。

キッチンを覗くと、kimonoガウン姿の友人がフライパン片手に、おはよう!と笑顔を向けた。
日本で買ったという藍色の大皿に、黄金色のパンケーキが山積みされている。テーブルには、ホイップクリームや栗のペースト、メープルシロップ、タイからのココナッツペースト、フルーツなどが所狭しと並べられ、好きなものをパンケーキにのせて、くるくる丸めていただく。祖母、母、彼女と3代に渡って伝わる、土曜日の朝の甘い習慣。

しばらく雑談し、来週の予定などを確認しあったあと、彼女に暇を告げ、Torvehallerneへ。先に到着して窓辺に座って目薬を差していると、ほっそりと長い足とキュッと締まった美しい足首が視界に入った。ふくらはぎも綺麗だなと目をぱちぱちさせながらその足の持ち主を見ると、待ち人来る。友人の彼女だった。人の足に恍惚としながら見惚れるなど、私はなかなか不埒な人間のようである。

Fish n’ Chipsをつまみながら、私たちはしみじみと語る。朝から油モノを一緒に食べてくれる女ともだち。非常に稀有な存在。語っているうちに、内に溜まっていた澱(おり)とFish n’ Chipsの油がともに溶けて浄化されてゆくような気持ちになってゆく。

いつも笑いと気遣いをありがとう。貴女。

午後は練習、そして音楽家とプログラムについての話し合い。それから、用事で友人宅に寄らせてもらったらちょうど夕食時だったようで、ローストビーフをご馳走して頂いた。私はラッキーバスタード。

2月某日(日)
朝早く、デンマーク人のお友達一家に日本からのお土産を渡しに行く。上質のお抹茶と茶筅、茶さじのセット。8歳と5歳の子供も加わって、みんなでお茶の真似事をしてみる。案外器用に茶せんを操る子供たち。

下の男の子が私の膝に這い登って来て、「エリコはスーパークール。大好きー」と照れ笑いに身をくねらせながら囁いたかと思ったら、ばっと廊下に駆けて行った。

この日のこの光景を、この異文化の体験を、子供たちは大人になってふと思い出す日は来るのだろうか。

お抹茶を立てた茶碗は私の私物で、今夜オーデンセに持って行かなければならない。そう断ると友人は綺麗に洗ってくれ、割れないように箱に入れて渡してくれた。そして、「今夜オーデンセへ向かう電車の中で、この箱を開けてみて」とウィンクする。

多方面に向けて感性を育てている生徒とのレッスンと個人練習、そしてリハーサルを終えて時計を見ると、予約してある電車の発車まであと20分しかない。駅まで走りに走って電車に飛び乗った。ああ、間に合ってよかった。荒い息を抑えるのに暫く時間がかかった。

ひとごこちついたところで、自分の空腹に気づく。今日はランチを取る時間がなかった。向こうに着くのも遅いし、私の分の食事はもうないかもしれない・・・。空腹と不安感と疲労で少し弱気になったところで、ふと友人の言葉を思い出した。

箱を開けてみて・・・

言われたとおり茶碗の入った箱を開けてみると、そこに手作りのキャロットケーキがたっぷりのクリームとともに入っていた。可愛い赤いスプーンまで添えられていた。

ふと胸が熱くなって、慌てて窓の方に目をやる。

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(Handmade carrot cake in my green tea cup. It saved my life.)

2月某日(月)
昨夜はオーデンセに到着後、夜中の2時まで自分に与えられた部屋で作業に没頭。今朝は5時45分起き。疲れた体に鞭打ち、化粧にかかった。

一面にビーズ刺繍が施されたブラックドレスに、ピンクのフェザーが縫い付けられた、恐ろしく人目を引くケープを羽織る。金鎖のヘッドドレスを着け、5連のパールを首にグルグル巻き、指には12のデザインリング。足には10cmヒールのエナメルスティレット。まるで気のふれた男爵夫人のような装いだが、仕方がない。過剰であるというのが、自らに課したタスクであるのだから。

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(My cabriole leg stilettos and medusa masque)

7時半。果たして登校してきた175人の生徒と22人の教師たちは、奇異の目でこわごわと私に視線を向けてくる。

しかし、奇異なのは私だけではない。ほか11人のパフォーマーたちも、それぞれ思い思いのコスチュームに身を包んでいる。1人のパフォーマーなど、もともと185cmの長身なのだが、そこに15cmヒールを履き、全身ブラックのキャットスーツを纏っている。2mになんなんとする体をゆらゆらさせながら歩くさまは、さながら異界からの使者のようで、朝から完全にホラーである。

我らがシスターが”Sisters Academy”開校を高らかにマニュフェストする。校旗が下ろされ、代わりに”Sisters Academy”のロゴが入った旗が真っ青な空に舞い上がった。

1920560_10151871133282315_1032308889_n(Our sister. A founder of Sisters Academy and a lady gifted with both intelligence and beauty.Photo by Diana Lindhardt))

朝の集いが終わると、授業開始。私は早速音楽クラスへの参加を求められ、即興パフォーマンスを始める。1つのテーマを元にしてバリエーションを作り、テーマがどう展開していくかを生徒に弾いてみせたりもする。ソフトばかりでもなぁ、ハードもなくては・・・と、爆音を炸裂させた即興も弾いてみせたら、どうやら後ろでPolitiken(新聞社)のジャーナリストが聴いていたようで、翌日のPolitikenの中で記事になっていた。

(記事はコチラ:http://politiken.dk/kultur/kunst/ECE2217920/dystre-soestre-skubber-laerere-og-elever-ud-over-graensen/

12時に揃ってランチミーティング。Sisters Academy開催中、私たちパフォーマーはナイフ・フォークの使用は禁止されており、手づかみで食べなければならない。豚肉のオーブン焼きも、魚のバターソテーも、チリコンカーンもサラダもライスも、全部手づかみ。よりsensuous(感覚的)であることを啓蒙する目的。しかし、チリコンカーンのスプーン無しがこんなに辛いとは。食べども食べども永遠にお皿から無くならない。

午後。生徒たちは少し戸惑いながらも、授業の合間にいろんな部屋を覗いてゆく。演劇のクラスでは、私のピアノに合わせて生徒たちが様々な動きを展開していく。

夕方。ミニコンサートを開くと、授業を終えた生徒たちがバラバラと集まってきた。私のピアノ椅子の真横に座って、私の呼吸を感じている子もいる。最後はリクエストに答える形で、彼らの弾いてほしい曲を順々に弾いていくと、目を輝かせて喜んでくれる。

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(Students listening to my performance. Photo by Diana Lindhardt)

17時。閉校の時間だが、生徒は立ち去りがたいようでなんとなくグランドホールに残っている。18時まで居残りを許し、やっと初日は幕を閉じた。

19時。メンバー全員が揃って夕食。もちろん手づかみ。チキンのバター焼きと苦闘を繰り広げる。今日の報告と、明日の予定を確認。かなりの数のメディアが動き出しており、私は明日やってくるP2の誘導を任される。

それぞれ極度にインテンシブな1日を過ごしたようで、頭痛発症者が続出。日本から持ってきていた頭痛薬をみんなで仲良く(?)飲み、明日の準備をしてから横になった。アラームを午前6時に設定しなければならないのが忌々しい。私は夜行性動物なのに。

2月某日(火)~某日(木)

初日は好奇心と戸惑い、シャイなどが入り混じった表情を見せていた生徒たちだが、2日目からはかなりアクティヴに生徒の方から率先して交流してくるようになった。

スクールナースのところへヒーリングに行く者、サイコマジシャン(プロの精神科医)にタロットカードを視てもらいに行く者、ガーデナーと自然について話す者、我らがリーダー、シスターに自分の受けている授業について話に行く者・・・。

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(Our Psycho Magician. Photo by Diana Lindhardt)

(パフォーマー紹介はコチラ:http://www.erikomakimura.com/2014/03/photo-gallery-%ef%bd%9esisters-academy%ef%bd%9e-vol-1-photos-by-diana-lindhardt/

私の元にもたくさんの学生がやってくる。この学校は音楽、芸術、演劇に力を入れているので、ピアノを弾ける生徒もデンマークの他の学校に比べたら多い。即興に付き合ったり、詩のクラスの生徒の朗読に音楽をつけたり。辛いことがあり過ぎて、音楽に癒しを求めに来る生徒もいる。私が弾いている間、目を閉じてひっそり涙をこぼす生徒もいる。

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(Playing and playing… until the candles burn out.)

授業の間を縫って、雑誌やテレビ、ラジオの取材も多い。11時5分には恒例のパフォーマーと教師たちのミーティング。12時にランチミーティング。午後も常に人に囲まれており、夕食どきまでオンゴーイング。

夕食は19時で、そこで毎朝行われる朝礼で何をするかについて話し合う。毎日日替わりでテーマがあり、ある日のキーワードは”unknown”。パフォーマーは目を布で覆い、何かを求めてさ迷い歩く。何かとは、個性かもしれないし、失ってしまった希望、夢かもしれない。絶望かもしれない。下のリンクは、木曜日の朝のリーチュアルの模様。

http://politiken.dk/poltv/nyheder/kultur/ECE2225349/elever-goer-store-oejne-til-roegfyldt-morgensamling/

パフォーマー間にも強い連帯感が生まれ始め、夕食後の交流のひと時が毎日の楽しみとなる。飲み物がアップルジュースしかないため、私たちは毎晩学校を抜け出して、スーパーにワインを買いに出かける。持ち帰って、中庭でコルクを開ける楽しさ。

お互いのプライベートは殆ど知らないまま共同生活が始まったが、みんな驚くほど素敵な人たちで、ありとあらゆる話に花が咲く。水曜日の晩はパラドクスについて盛り上がった。1人のパフォーマーとは共通点が多く、私たちの特徴として、インテレクチュアルな人物が好物なくせに、いざ話してみると大半のインテリゲンチャが「知的自慰行為(intellectual musterbation)」を行っているように思えて気が滅入る、という点が上がった。嗚呼、パラドクス。本の虫だった人の持つ、典型的な現象である。

疲れているし、次の日の講義の準備もあるのに、みんなとの交流が面白く、就寝時間がどんどん遅くなるという日々。

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(Dear Psycho magician,tell me my fortune!)

2月某日(金)

“Sisters Academy”オープンハウス。そして私にとっては最終日。アカデミーは来週も続行されるが、私は日本でのリサイタルのため、今週のみの参加となっていたのだ。

文化省や大学機関、各雑誌社のエディターなど、何百人の重要なゲストたちがやって来る。それと並行して、私は音楽のクラスでの演奏、さらに”discipline(自己を鍛える)” についての講義を半時間ほどして欲しいと頼まれている。合間合間に詩のクラスの生徒や美術のクラスの生徒によるインタビューもあり、ランチを取る暇もないまま仕事に追いまくられる。日本の庭についてのレクチャーも頼まれた。去年訪れた竜安寺と大徳寺についての知識をありったけかき集める。私は思うのだが、雑学ほど人を助けるものはないのではあるまいか。マーラーの第5交響曲について専門的な知識があったところで、一体何になるのだ・・・。

午後4時、最後のゲストが去るや、私はピアノ椅子に崩れ落ちた。ほかのパフォーマーもピアノの周りに倒れこみ、死んだように横たわっている。Sisters Academy1週目が幕を閉じた。まったくなんという日々だったのだろう。

やがて一人のパフォーマーが私のドレスの裾を引っ張って言った。ショパンを弾いてくれないか。

息をするのも苦しいほど疲れていたが、暫く目をつぶって呼吸を整えると、ワルツを引き始めた。続けてマズルカ、バラード、またワルツに戻って立て続けに3曲、雨だれ、ポロネーズ・・・。

小1時間も弾いていただろうか。最後の1音を弾き終わると、しばらく静寂が私たちを包んだ。やがて、みなはゆっくり起き上がり、ありがとうとでも言うように、私に優しい微笑みを向ける。自分自身も何か憑き物が落ちたような気持ち。自らが弾く行為によってカタルシスを感じるというのもそうそうないことだ。よほど疲れていたのか。

軽く食事を取ると、それぞれ車に分乗し、一路コペンハーゲンへ向かう。車内ではみんな言葉少なだった。

2時間後、私は呆然と車から降りた。

体は鉛のように重いのに、神経だけは冴え渡っていてすぐに眠れそうにない。友人からちょうど連絡も入ったことなので、私たちは連れ立ってワインバー、Bibendumへ向かった。1杯のはずが、2杯、3杯とグラスを傾けてゆく。下界と閉ざされていた5日間のあとのシャンパンが、すごい勢いで細胞の中に吸収されてゆく。細胞の1つ1つが快哉の雄叫びを上げている。

帰宅してお風呂に湯を溜める。酔いのせいで手元が狂い、大ボトル半分もの入浴剤をバスタブにぶちまけてしまった。バスルーム中、天井に届きそうなほど泡だらけになり、私を慌てさせた。

3月某日(土)

7時起床。這うようにしてベッドから出て、キッチンに直行。エスプレッソマシーンで立て続けに2杯カプチーノを淹れ、一息つく。朝9時からリハーサルの予定が入っており、ぐずぐずしていられない。場所はFrederiksberg Haveに位置する Møstings Hus。目の前に鴨がたくさん泳ぐ小さな池の広がる、とてもチャーミングな建物だ。明日はここでコンサート。

mos2( Møstings Hus)

つつがなくリハを終え、街中でデザイナーとのクイックランチミーティングを済ますと、レッスン場所に直行する。非常に聡明なハイティーンの彼女との、年齢を超えた交流を私はいつも心待ちにしているのだ。

今回もまた深く長く話し込んでしまった。話し足りない心地がしたが、今夜はもう1つ約束がある。電車で移動。

移動。移動。移動。

そう、ここ10年、私はいつもいつも移動している。車で1日1,500km移動したこともある。オーストリア、スウェーデン、ドイツと1日で移動したこともある。練習以外の時間で、じっとしていた時などあったためしがないのではないか。

待ち合わせ場所のレストランに行くと、友人が手を上げて合図を送ってきた。優待券があるから、とディナーに招待して頂いているのだ。この1週間、プロジェクト期間中の食生活は非常に乏しかった。どの料理も感動的に美味しい。西洋ワサビがピリッと効いたスピナートとケールのソテーが気に入った。野菜も私の食生活から長らく欠乏していた。

土曜の夜というので、知り合いも何人か見受けられる。彼らと短い挨拶を交わしたり、軽く手を振ったりしているうちに、ふと「一期一会」というのは英語でなんというのだろうという疑問が頭をよぎった。携帯で調べてみると、 “for this time only”, “one chance in a lifetime”, “treasure every meeting for it will never recur”とある。どれも少しずつ違うように思うが、友人にその言葉の意味を教える。茶道における1つの心理、境地だと。

楽しい時間を家族や友人たちと過ごしたあとはいつも、私は生きているのではなく生かされているのだと、帰宅して暫し鏡の中の自分を見つめる。

3月某日(日)

コンサートの日。朝8時に覚醒。体が墓石のごとく硬直し、果てしなくだるい。死んだ鯖になったような気分だ。

このまま横たわっていたら私は本当に腐乱し始めていただろう。のろのろと体を起こし、バスルームの扉を閉める。たっぷり湯を張り、その中へぶくぶくと頭を沈めてみる。死んだ鯖から、死にかけの鯖くらいにまで気分が回復しところで湯から上がり、キッチンで紅茶を淹れると深いため息が漏れた。

しかし、血の気のない顔に化粧をし、昨日選んでおいた20年代風のブラックドレスを着て、気に入りのピアスを留め付ける頃には、死にかけの鯖は元気のない秋刀魚くらいには活力を取り戻して、コンサート会場へと向かった。11時半開演。ありがたいことに、会場は満員御礼。

数年会っていなかった友人がコンサートを聴きに来てくれたため、自分の番が終わると私たちはコーヒーハウスへ足を向けた。近況を報告しあう。彼はコペンハーゲンに数々の旋風を巻き起こした、知る人ぞ知る伝説の男である。その伝説は今も人々の口から口へと語り継がれている。ノーリミット、ノーコントロール。でも、私は彼が好きだ。果てしない探究心と好奇心が、彼をいろんな狂気へと走らせるだけだ。

彼と別れると、音楽家たちとの慰労ランチの場所へ向かい、楽しいひととき。そして次はレッスン場所へと走り、2人にピアノのレッスン。

このあたりで、少し動悸がし始めた。明日、また日本へのロングフライトが待っているのに、そして何一つパッキングしていないのに、私はこれから友人の参加するコンサートを聴きに行かねばならないのだ。

ゲストリストに名前を載せてくれている彼女の厚意を無駄にするわけにはいかない。その上、メインアーティストは私が愛するドイツのバンド、Einsturzende Neubautenのボーカル、Blixa Bargeldなのだ。

丹田にぐっと力を込めると、肩がツンと張ったミニドレスに着替え、髪をブラッシングし、新しいストッキングの包みを開けて取り出した。リップペンシルで縁を取り、クリスマスプレゼントに親友から貰った真っ赤なシャネルルージュを塗る。女にも武装が必要な時がある。

会場に着くと、たくさんの知った顔があり、来てよかったと心から思う。コンサートのキュレーターもお世話になっている人で、近況を報告し合った。

コンサートはとてもよかった。Bargeldのマニック性、フリーキーなカリスマ性は、虜になる。毒々しい男。

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(Blixa Bargeld and Messer Quvartetten)

帰ったら夜中の0時。それからパッキングし、気を失ったか突然眠りに落ちたかのどちらかの現象が私を襲った。

3月某日(月)

再び飛行機の中。日本では2、3のコンサートが私を待っている。そのあとはコペンハーゲンでソロリサイタル。去年、2014年は少しペースを落とそうと決めていたのに、なんなのだろう。休息という贅沢はまだまだ許されていないらしい。

日本に着いたら、まずは眠ろう。赤ん坊のように1日中眠るのだ。初日に空港まで迎えに来てくれた友人は、あのあと数日後に元気で可愛い男の子を産んだ。ベイビーMもミルクを飲む以外は1日すやすや眠っているだろう。

次にコペンハーゲンに戻って真っ先にすること ー ベイビーMとそのママ、パパに逢いに行く。

Sisters Academyに関するメディア掲載

【Politiken.dk】
http://politiken.dk/kultur/ECE2207627/gymnasie-skole-i-odense-gaar-med-i-ekstremt-eksperiment/

http://politiken.dk/kultur/kunst/ECE2217920/dystre-soestre-skubber-laerere-og-elever-ud-over-graensen/

http://politiken.dk/kultur/ECE2230946/elever-skriver-takkebreve-til-skole-performere/
http://politiken.dk/kultur/ECE2225203/laererhjerte-danser-af-glaede-over-eksperiment-i-odense/

【Politiken.dk video】
Our morning ritual here: http://politiken.dk/poltv/nyheder/kultur/ECE2225349/elever-goer-store-oejne-til-roegfyldt-morgensamling/

http://politiken.dk/poltv/nyheder/kultur/ECE2213081/sisters-academy-vil-inspirere-morgendagens-mindset/

【Kopenhagen.dk】
http://kopenhagen.dk/no_cache/magasin/magazine-single/article/sisters-academy-an-aesthetic-educational-system/?fb_action_ids=650294331684755&fb_action_types=og.likes&fb_source=feed_opengraph&action_object_map=%7B%22650294331684755%22%3A257632424403807%7D&action_type_map=%7B%22650294331684755%22%3A%22og.likes%22%7D&action_ref_map=%5B%5D

【sistersacademy.dk】
http://www.facebook.com/l.php?u=http%3A%2F%2Fsistersacademy.dk%2Fpress%2F&h=MAQEa_1wY

家を出てから既に25時間。飛行機はようやくカストロップ空港に向けて着陸態勢をとり始めた。
関空発パリ経由コペン着。トランジットも含めると、このルートはひどく長くて疲れる。
関空で重量超過料金を課せられたスーツケースを受け取り、出口に向かう。出発前も日本で何かと忙しく、寝不足の日が続いていた。一刻も早く靴を脱ぎたい。そして、旅の際にいつもうっそりとつきまとうメランコリーをシャワーでざっと洗い流してしまいたい。
メトロの方へと歩きだすと突然、”Eriko! Eriko!!” と誰かが何度も私の名を呼ぶのが聞こえた。驚いて声の方向へ目をやると、今にも生まれそうなほど大きなお腹をした友人が笑顔で大きく手を振っている。
「びっくりした?サプライズで迎えにきちゃった。今夜はまだ生まれそうにないし」
私は驚きと嬉しさで彼女をぎゅっと抱きしめてから、大きなお腹に頬ずりした。生まれてきたら私はこの子を舐めるように可愛がるだろう。居心地がよいのか、予定日を過ぎてもお腹に居座っているベイビーボーイ。早く出ておいで。
外に出ると、彼女のボーイフレンドも車の横で大きく手を振っているのが見えた。

Essay Vol.7: My First Year In Berlin, 2002

1ヶ月半ぶりに戻ってきたベルリンのアパートには、どこから忍びこんだか秋の気配が充満していた。まだ9月に入ったばかりだというのに、空の青も窓から射す日の光も樹々の緑も、色という色がいささか淡すぎた。

アパートはあまりにもがらんとしていた。ピアノにはうっすら埃が積もり、ベッドルームには文字通りベッドしかなかった。リビングルームは空っぽで、絨毯を敷いていない打ちっ放しの床がだらしなく無機質に広がっていた。恐ろしく天井の高いキッチンのみがやや正常に機能していたが、その天袋の棚にはアンティークのように朽ちかけた古いクラリネットが2本横たわっており、私を気味悪がらせた。旧東独時代の住人の置き忘れではなかったか。


【入試までの2ヶ月】

20025月にベルリンに足を踏み入れ、南ドイツでのコンサートツアー、ベルリン芸術大学とハンスアイスラー音楽大学の入試、その他留学に付随するさまざまな煩わしいことを済ませ、私は78月に一旦日本へ戻った。払っても払っても泥のような疲労感が抜けず、再びベルリンに戻れる気がしなかった。大学の合否もまだ分からなかったし、何よりこの街を愛せる自信がなかったのだ。人々はいつも不機嫌で、ベルリンの壁崩壊から13年経っているというのに、自他の境界線上にはアスベストで固めたひどく頑強な壁が未だにそびえ立っているように思われ、気が滅入った。

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56日。アパートに入居した翌日、引っ越したら1週間以内に住民票を届け出なければならないと誰かが言っていたのを思い出し、私は隣人に詳細を聞くことにした。口ひげを生やしたそのドイツ人の中年男性は全く英語が話せず、”Polizei, Polizei”(警察)を繰り返す。私がなかなか理解しないことにイライラしているようで、こめかみに薄く青筋が浮いている。住民登録のことをドイツ語で”Polizeianmeldung “というのだが、彼のあまりの剣幕に恐れをなした私は、どうやら彼が警察に電話して問い合わせろといっているのだと早合点した。そして挨拶もそこそこに家に駆け込んで受話器を取り、「1」「1」「0」とプッシュフォンを押した。つまり110番通報してしまったのだ。

これ以上ないほど不機嫌な警察官の応答が受話器越しに聞こえた瞬間、私は自分の過ちに気付いた。住民登録をするのに110番通報するなどという話があり得ようか。蚊の泣くような声で”Do you speak English? “と尋ねると、”Nein! “と刺すような返答があり電話は切られた。私は床に突っ伏した。広大な宇宙の塗り込めたような暗闇の中に、塵となって飲み込まれて消えてなくなってしまいたかった。

小さな事件は果てしなく続いた。

自転車で歩道か車道のどちらを走ればよいのか分からず、歩道をふらふら走っていると、向こうの方から警察官が歩いてきて大声でこちらを指差して叫んでいる。私は恐怖した。ブレーキをかけようとするのだが、まだバックブレーキに慣れておらず、パニックに陥った私はコントロール能力を失い、自分に向かって喚き続けている警察官の靴をそのまま自転車で轢いてしまった。喚き散らしていた警察官はやっと大人しくなった。ショックで言葉を失ったようで、その後私は何度も謝ったが、一言「歩道を自転車で走らないように」と呟くと、もはや彼の口が開かれることはなかった。

国外でも容赦なくハプニングは起こった。

南ドイツでのコンサートツアーの最中、半日オフの日があり遠足がてら列車でスイスに出かけた。山が視界に斜めに斬り込んでくるという感覚を初めて味わい、空気は美しく、私はすっかりこの国が気に入ってしまった。

しかし、出国時に問題は勃発する。入国時はすんなり入れたのだが、いざ帰る時に電車内でパスポートコントロールがあり、私がパスポートを不所持と知るや、6人ほどのスタッフが私を取り囲み、次の駅で強制的に降ろされてしまった。神々しいようなスイスの山々に囲まれて、図らずも不法入国してしまったらしい私は、「パスポートがここに届くまで君はどこにも行けないよ」と厳かに宣告されたのだった。

神々の黄昏(Götterdämmerung ふいにワーグナーの楽劇の名が頭をよぎった。遠くで羊がベエーと鳴くのが聞こえる。何もかもが平和だった。そして私だけがあまりに異質な気がした。


【音楽家のニルバーナ、ベルリン】


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ツアーが終わり、入試までの日々を私はベルリンフィルやオペラハウスに通うことに慰めを見出しつつ過ごした。ベルリンは音楽家のニルバーナだ。紫煙をくゆらす横の女性の顔をふと見ると、それがマルタ・アルゲリッチであったりする。フィルハーモニーで、当時主任指揮者に就任したばかりのサー・サイモン・ラトルがすぐ向かいに立っておられたので、「サーの演奏をこれから楽しみにしています」と少し緊張しながら言うと、「僕も本当に楽しみなんだ!」と気さくに返してくれる。また、ダニエル・バレンボイムがカフェで一服しているのも見かける。マエストロたちが毎晩コンサートホールで音楽史上に歴史を刻んでゆく足音を聞きながら、後進の音楽学生は日々練習室に籠もって楽器と格闘する。歴史が前進するのを五感全てで感じ取れる街、ベルリン。

【入試】

入試の日を迎えた。穏やかな気分で目が覚め、清清しい気持ちで受験会場に向かったのに、ことは全て間違った方向へ進んでいった。

入試要項を訳してくれた知人が4曲準備するようにと書いてきたのでしっかり準備して入試に臨んだのだが、実は5曲演奏しなければならないということが試験会場で発覚した。私が4曲しか準備していないと言うと、審査員たちは「じゃあ、来年の入学試験でまた会いましょう」と無表情にバイバイと手を振った。

突如、得体の知れない怒りと屈辱に襲われ、私の足は立っていられないほど震え始めた。そんな私の様子を見て審査員の1人が、じゃあ今から10分だけ時間をあげるから、よく考えてそれで試験を受ける気があるようなら戻ってきなさい、と告げた。私はそのまま練習室に飛び込んだ。練習していたロシア人に頼み込んで代わってもらい、準備していなかったショパンのエチュードをやみくもにさらった。

10分後試験会場に戻り、未だ収まらぬ怒りの中でピアノを弾いた。課題曲を訳し忘れたいつもいい加減な知人、確認を怠った大馬鹿者の自分、冷たく手を振った審査員、カンティーンで出される煮込みすぎたほうれん草、どのお菓子にも紛れ込んでいる甘ったるいマジパン、もさもさして酸っぱい黒パン、アジア人と見ると、見境なく「ニーハオ」と声を掛けてくる輩、ドイツ語の複雑な活用表、ゲーテ、ワーグナー、シューマッハー、グリム兄弟・・・ドイツに関係する何もかもに腹が立って、演奏の間中私は怒り続けていた。そして、怒りの感情渦巻く中でピアノを弾くというアンプロフェッショナルな行為をしてしまった自分を呪いながら、試験会場を後にした。もう二度とこの大学の門をくぐることはあるまい。次の日には別大学の入試が控えている。気持ちを切り替えなければならない。

しかし、翌日の入試の際の演奏は大した出来とは思えなかった。前日の試験で全ての感情を吐き出したせいか、この日は妙に気ののらぬ演奏だった。初見の課題曲に山のようなフラットと臨時記号が付いており、私は心底うんざりしながら無感動に鍵盤上で指を動かした。心臓は常よりゆっくりと鼓動していた。今までこんなに醒めた気持ちで演奏したことはない。未完で荒削りとはいえ、情熱は暑苦しいほど持ち合わせていたというのに。


どうしたことか、私は両大学に合格した。自分の演奏というのは本人が一番よく分かっているので、謙遜でも何でもなく、ただ運が良かったのだと思う。しかし、このときに持っていた運を全て使い果たしたようで、その後現在に至るまで幾多の苦難が待ち受けていることを当時の私は知る由もない。

【無為の日】

7月、猛暑の日本に帰ると、ひどい疲労感と空しさで無為の日々を過ごした。合格通知が届いたが、それが合格通知とも分からない自分の語学力を鼻で笑いたい気分だった。何しろ、Ja(はい)Nein(いいえ)Danke(ありがとう)、そして前述のPolizei (警察) しか知らなかったのだ。英語はまあまあ話せたが、当時のベルリンでは大して役に立たなかった。その昔ウィーンに留学していた母が、辞書を引きながら届いた手紙を訳してくれた。両親の心配はここに極まった感があった。

友人・知人は、素晴らしい師を求めて世界各国に飛び立っていった。その中には旧ソ連の衛星国でまだ混乱の中にある国や、治安や衛生環境の整っていない国もある。音楽以外の友人も、NPOから派遣されインドやカンボジアの貧困地域で何ヶ月もヴォランティア活動をしたりしている。

それに引き換え、経済大国で治安も悪くないドイツのベルリンに留学が決まった自分は、恵まれた環境にありながら何一つ手つかずの状態で虚無の毎日。ドイツの美しいお城やヴィラでの演奏会の様子が思い出され懐かしかったが、一方で熱狂的クラシックファンのドイツ人夫妻が演奏会後、「バッハの鍵盤音楽における装飾音の入れ方」について猛烈な議論を吹っかけてきたのに辟易としたことも思い出され、深い溜め息が漏れた。

【再びベルリンへ、そして北欧への旅】

悶々と過ごし、ベルリンに戻る日まであと1週間となったその日、1 本の国際電話がかかってきた。大学時代の友人のチェリストからで、休みを利用してヨーロッパ中を周っているという。現在ハンガリーに滞在中で、明日からチェコのプラハへ行き、それから北欧への旅を予定しているらしい。よければ北欧の旅を一緒にしないかというお誘いの電話だった。何も考えぬまま即座に「行く」と返事をすると、じゃあヘルシンキで待ち合わせましょう、と彼女は言い、また連絡するねと機嫌よく電話は切られた。

私はしばし会話の内容を反芻した。彼女はプラハからヘルシンキへ電車で行くと言っていたような気がするが、そんなことは可能なのだろうか。大体、携帯もPCも持っていない同士の2人が、じゃあ明々後日あたりにヘルシンキで、という曖昧な口約束で無事会えるものなのだろうか。そもそもヘルシンキってどこにあるのだろう。

2日後、私は機上の人となった。あの電話の後、ルフトハンザに電話してベルリン行きのフライト日時を早め、旅行代理店に飛び込んで北欧レイルパスを買い、手当たり次第スーツケースに詰め込んで実家を後にした。


1ヵ月半ぶりにベルリンのアパートに戻ってきた私は暫く呆然とした。こんなに空っぽの家で、私は最初の2ヶ月を過ごしていたのか。

しかし感傷に浸るひまもなく、電話の呼び出し音が痛いほどの静寂を破った。一緒に旅行することになった友人からだ。今プラハにいる、突然だが明日ベルリンに行ってもいいかと問うてくる。ヘルシンキで落ち合う予定はどうなったのかと思っていると、ドレスデンで大洪水が起こり、ヘルシンキ行きは不可能になったので、取りあえず私のいるベルリンに向かいたいとのことだった。私にはプラハとドレスデン、ヘルシンキがどう繋がるのかもはや皆目検討がつかず、しかし長らく続いた無為の日々は今日までで、明日からはどうやらとんでもなく面白い毎日が始まりそうだという予感で久々に胸の高鳴りを覚えた。

翌朝、Berlin Ostbahnhof (ベルリン東駅)のプラットフォームに、大きなチェロケースを背負い、スーツケースを引いて彼女は立っていた。ドイツはその年ひどい水害に見舞われていたので、プラハからの旅もいつもの何倍も時間がかかっただろうに、彼女は非常に元気で最高の笑顔で私の名を叫んだ。大声で笑いながらハグし、早速冗談を交わしながら私のアパートへ向かった。アパートへの道順もまともに覚えていなかったが、もうそんなことはどうでもよかった。今日から始まる日々、そして彼女との北欧の旅が全てのような気がした。


こんな風にして私の留学生活は唐突に旅から始まった。

Essay Vol.5 Ballerina Emi Hariyama

今どき、『戦友』などという表現は時代錯誤的で、また誤解を呼ぶ元になるだろうか。けれど、彼女のことを他にどう呼んでいいのかわからない。針山愛美(えみ)という稀有な才能を持つバレリーナ。ロシア・アメリカ時代を経て現在ベルリン在住。ベルリン国立バレエ団所属。

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まず、13歳で単身ソビエト崩壊直後のロシアに短期留学という、バレリーナとしての壮絶な幕開けがあり、1993年、15歳で今度は正式にボリショイバレエ学校に入学。混乱の極みのペレストロイカ直後下での生活を余儀なくされる。配給の途切れがちな店先に何時間も並んだ挙句、パン一つ支給されることがこの上ない喜びだったと言う。

日本人どころか外国人さえ珍しかったであろう当時のボリショイバレエ学校での日々について、私は詳しく愛美ちゃんから聞いたことはない。聞かずとも分かることは多々あるし、彼女が同僚のロシア人たちと話す、強い意志に満ちたロシア語を聞いているだけで、このバレリーナが過ごした荒涼のモスクワ時代が透いて見えるようだ。

雌伏のときを経て、1996年より”Emi Hariyama” は、文字通り世界中の劇場のプログラムにその名を躍らせることとなる。ボリショイバレエ学校を首席卒業後、モスクワ音楽劇場バレエ団に入団、パリ国際バレエコンクール銀賞(金賞該当者なし)、モスクワ国際バレエコンクール特別賞受賞、ニューヨーク国際バレエコンクールで日本人として初めて受賞・・・等々、続々と快挙を成し遂げてゆく。

また、2002年にアメリカ国際バレエコンクールで決勝に残り、特別賞受賞を果たした様子は『情熱大陸』で放映され、多くの日本人たちがその勇姿に涙した。

あらゆるトップクラスのバレエ団からソリストとしても迎えられており、日本に0泊3日で出張してシンデレラを1日2回公演したり、1ヶ月のロシアツアーで、あの広大な大地を縦横無尽に舞ってまわったり、とにかく時差を利用しつつ『地球の自転軸と逆行するバレリーナ』という異名を私から授かって、本当にそうねえ、とおっとり微笑む美しい人なのだ。

その間、怪我や故障に悩んだ日もあったに違いない。しかし、しなやかで強い彼女はそれについての話も触れるか触れぬか程度だ。

その軽やかなつま先でベルリンに降り立つ前は、アメリカでプリンシパルとして数々の大役をこなしていたが、2004年、バレエ界の王者中の王者、ヴラディミール・マラーホフがベルリン国立バレエの総監督に就任したのを受けて、即入団試験を受け合格。大陸移動を易々と果たし、現在に至る。

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私たちが実際に会って話したのは、2007年、ブランデンブルク門すぐのところに位置する Akademie der Künste での室内楽コンサートの後の打ち上げの席だった。コンサートを聴きにきてくれていた愛美ちゃんに、共通の友人が引き合わせてくれたのが始まりだった。

ベルリン時代はコンクール、演奏旅行、レッスンにマスタークラスというルーティーンで、典型的なピアニスト道を歩んでおり、まさかその後自分が演出の方に進むとは思わず、目の前に座るバレリーナと共演することになるとも予想もしていなかった。しかしそれからちょうど3年後の2010年5月、愛美ちゃんはまるで隣の駅までちょっと、という身軽さでコペンハーゲンにやって来た。ショー当日、彼女が会場に着いたとき、私は傾斜する屋根の上に登って明り取りの天窓10枚を黒い布で覆う作業に没頭していた。まさか、ピアニストの自分がショー開始3時間前に屋根に道具箱とともに登って金槌をふるうことになるとも、勿論当時は予想していなかった。

ハグを交わすや否や、彼女は優雅なしぐさでスーツケースを開ける。何枚ものドレスとチュチュ、イタリア製のハイヒールで辺りは色の洪水と化す。私が持ち込んでいた大量の衣装と小物もそこに加わって、曲と演出、振り付けを考慮した上で衣装の最終コーディネートに入る。

ロシアでオーダーメイドしたというたっぷりとチュールを使ったチュチュは『白鳥』のため、ベルリン国立オペラが不用の衣装を売りに出したときに買っておいたという、裂け目の入ったタイダイのドレスはストラヴィンスキー、官能の極みのような美しい革のハイヒールはこれ、私のアンティークのレースはこんな風に・・・と一気に組み合わせを決めて、舞台裏に並べてゆく。

幕は開いた。

1度しか説明していないのに、彼女は全ての流れを完全に把握している。私が興に乗って即興すれば、すぐに呼応して震えるような舞を魅せてくれるという、ほとんどエクスタティックな瞬間が何度も訪れる。同じ舞台で共演する者のみに与えられる醍醐味だ。

その夜の高揚状態から抜け出すのに数日を要した。

それから1年半後の、2011年10月17日、再び愛美ちゃんはコペンハーゲンにひらりと舞い降りた。IT大学でのチャリティーショーへの出演を引き受けてくれた彼女は「自宅から(職場の)Deutche Oper に行くより、ベルリン~コペン間の方が下手したら近いわ」と笑いながら会場入りした。

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愛美ちゃんに演じてもらったのは霊界の女性。

【・・・霊界に属する女が、何かの拍子に人間界に紛れ込み、自分の美しさに陶然と酔い痴れて舞い続ける。しかし、ふと壺を覗くとそこに張られた水に映る自分はこの世のものではない般若の様相の性別も分からぬ異形の者・・・。】

絶望に沈み込んだのち、そこから狂乱していく姿を見て、日本の女の内面に宿る凄まじい情念を見た人は私だけではないと思う。ローティーンの時から1人海外に渡り、揉みに揉まれてきたであろう針山愛美というバレリーナは、その夜、瑞穂の国ニッポンのために、焼けるような熱い思いの限りをその舞に昇華させた。

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宴果てた後は、どんなに疲弊しきっていようとも、パフォーマーはすぐに眠りに落ちることはできない。次の日朝7時のフライトでベルリンに戻り、そのままリハーサルに直行しなければならない彼女のことを気にかけつつも、私たちは遅くまでホテルのバーで話し続けた。

前回、今回のイベントを通して出会った方々のあたたかさについて、愛美ちゃんはしみじみ語る。そして、またすぐにでもコペンハーゲンに戻ってパフォーマンスをしたいな、とこぼれるように微笑むのだった。

後日、リハーサルからコンサートの終わりまでを写真とビデオで撮り続けてくれたフォトグラファーに、彼の撮った作品を見せてもらった。バックステージでお化粧したり、髪を結いあったり、シナを作る練習をする女性たちのなんと華やかで美しいこと。生き生きとして、なのにどこか露を含んだようにしっとりとして。

愛美ちゃんの美しい写真をここに掲載させて頂く。私はもう何も書かぬがよい。

今度はいつどこで会うことになるだろうか。シナリオは、もう溜まっているのだが・・・。

赤い靴に琥珀の酒Vol. VI 赤い靴編『針山愛美』

Photos: Kazuma Takigawa

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