Essay Vol.5 Ballerina Emi Hariyama

今どき、『戦友』などという表現は時代錯誤的で、また誤解を呼ぶ元になるだろうか。けれど、彼女のことを他にどう呼んでいいのかわからない。針山愛美(えみ)という稀有な才能を持つバレリーナ。ロシア・アメリカ時代を経て現在ベルリン在住。ベルリン国立バレエ団所属。

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まず、13歳で単身ソビエト崩壊直後のロシアに短期留学という、バレリーナとしての壮絶な幕開けがあり、1993年、15歳で今度は正式にボリショイバレエ学校に入学。混乱の極みのペレストロイカ直後下での生活を余儀なくされる。配給の途切れがちな店先に何時間も並んだ挙句、パン一つ支給されることがこの上ない喜びだったと言う。

日本人どころか外国人さえ珍しかったであろう当時のボリショイバレエ学校での日々について、私は詳しく愛美ちゃんから聞いたことはない。聞かずとも分かることは多々あるし、彼女が同僚のロシア人たちと話す、強い意志に満ちたロシア語を聞いているだけで、このバレリーナが過ごした荒涼のモスクワ時代が透いて見えるようだ。

雌伏のときを経て、1996年より”Emi Hariyama” は、文字通り世界中の劇場のプログラムにその名を躍らせることとなる。ボリショイバレエ学校を首席卒業後、モスクワ音楽劇場バレエ団に入団、パリ国際バレエコンクール銀賞(金賞該当者なし)、モスクワ国際バレエコンクール特別賞受賞、ニューヨーク国際バレエコンクールで日本人として初めて受賞・・・等々、続々と快挙を成し遂げてゆく。

また、2002年にアメリカ国際バレエコンクールで決勝に残り、特別賞受賞を果たした様子は『情熱大陸』で放映され、多くの日本人たちがその勇姿に涙した。

あらゆるトップクラスのバレエ団からソリストとしても迎えられており、日本に0泊3日で出張してシンデレラを1日2回公演したり、1ヶ月のロシアツアーで、あの広大な大地を縦横無尽に舞ってまわったり、とにかく時差を利用しつつ『地球の自転軸と逆行するバレリーナ』という異名を私から授かって、本当にそうねえ、とおっとり微笑む美しい人なのだ。

その間、怪我や故障に悩んだ日もあったに違いない。しかし、しなやかで強い彼女はそれについての話も触れるか触れぬか程度だ。

その軽やかなつま先でベルリンに降り立つ前は、アメリカでプリンシパルとして数々の大役をこなしていたが、2004年、バレエ界の王者中の王者、ヴラディミール・マラーホフがベルリン国立バレエの総監督に就任したのを受けて、即入団試験を受け合格。大陸移動を易々と果たし、現在に至る。

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私たちが実際に会って話したのは、2007年、ブランデンブルク門すぐのところに位置する Akademie der Künste での室内楽コンサートの後の打ち上げの席だった。コンサートを聴きにきてくれていた愛美ちゃんに、共通の友人が引き合わせてくれたのが始まりだった。

ベルリン時代はコンクール、演奏旅行、レッスンにマスタークラスというルーティーンで、典型的なピアニスト道を歩んでおり、まさかその後自分が演出の方に進むとは思わず、目の前に座るバレリーナと共演することになるとも予想もしていなかった。しかしそれからちょうど3年後の2010年5月、愛美ちゃんはまるで隣の駅までちょっと、という身軽さでコペンハーゲンにやって来た。ショー当日、彼女が会場に着いたとき、私は傾斜する屋根の上に登って明り取りの天窓10枚を黒い布で覆う作業に没頭していた。まさか、ピアニストの自分がショー開始3時間前に屋根に道具箱とともに登って金槌をふるうことになるとも、勿論当時は予想していなかった。

ハグを交わすや否や、彼女は優雅なしぐさでスーツケースを開ける。何枚ものドレスとチュチュ、イタリア製のハイヒールで辺りは色の洪水と化す。私が持ち込んでいた大量の衣装と小物もそこに加わって、曲と演出、振り付けを考慮した上で衣装の最終コーディネートに入る。

ロシアでオーダーメイドしたというたっぷりとチュールを使ったチュチュは『白鳥』のため、ベルリン国立オペラが不用の衣装を売りに出したときに買っておいたという、裂け目の入ったタイダイのドレスはストラヴィンスキー、官能の極みのような美しい革のハイヒールはこれ、私のアンティークのレースはこんな風に・・・と一気に組み合わせを決めて、舞台裏に並べてゆく。

幕は開いた。

1度しか説明していないのに、彼女は全ての流れを完全に把握している。私が興に乗って即興すれば、すぐに呼応して震えるような舞を魅せてくれるという、ほとんどエクスタティックな瞬間が何度も訪れる。同じ舞台で共演する者のみに与えられる醍醐味だ。

その夜の高揚状態から抜け出すのに数日を要した。

それから1年半後の、2011年10月17日、再び愛美ちゃんはコペンハーゲンにひらりと舞い降りた。IT大学でのチャリティーショーへの出演を引き受けてくれた彼女は「自宅から(職場の)Deutche Oper に行くより、ベルリン~コペン間の方が下手したら近いわ」と笑いながら会場入りした。

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愛美ちゃんに演じてもらったのは霊界の女性。

【・・・霊界に属する女が、何かの拍子に人間界に紛れ込み、自分の美しさに陶然と酔い痴れて舞い続ける。しかし、ふと壺を覗くとそこに張られた水に映る自分はこの世のものではない般若の様相の性別も分からぬ異形の者・・・。】

絶望に沈み込んだのち、そこから狂乱していく姿を見て、日本の女の内面に宿る凄まじい情念を見た人は私だけではないと思う。ローティーンの時から1人海外に渡り、揉みに揉まれてきたであろう針山愛美というバレリーナは、その夜、瑞穂の国ニッポンのために、焼けるような熱い思いの限りをその舞に昇華させた。

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宴果てた後は、どんなに疲弊しきっていようとも、パフォーマーはすぐに眠りに落ちることはできない。次の日朝7時のフライトでベルリンに戻り、そのままリハーサルに直行しなければならない彼女のことを気にかけつつも、私たちは遅くまでホテルのバーで話し続けた。

前回、今回のイベントを通して出会った方々のあたたかさについて、愛美ちゃんはしみじみ語る。そして、またすぐにでもコペンハーゲンに戻ってパフォーマンスをしたいな、とこぼれるように微笑むのだった。

後日、リハーサルからコンサートの終わりまでを写真とビデオで撮り続けてくれたフォトグラファーに、彼の撮った作品を見せてもらった。バックステージでお化粧したり、髪を結いあったり、シナを作る練習をする女性たちのなんと華やかで美しいこと。生き生きとして、なのにどこか露を含んだようにしっとりとして。

愛美ちゃんの美しい写真をここに掲載させて頂く。私はもう何も書かぬがよい。

今度はいつどこで会うことになるだろうか。シナリオは、もう溜まっているのだが・・・。

赤い靴に琥珀の酒Vol. VI 赤い靴編『針山愛美』

Photos: Kazuma Takigawa

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