Posts tagged: copenhagen

A Three Weeks in April and May in 2014

4月某日(木)

この1ヵ月半、日本での日々が忙しくて睡眠不足の日が続いたせいか、関空からアムステルダム行きの飛行機に搭乗するや否や、ホッと安堵のため息が漏れ、目を閉じる。 数日前、東京の友人と京都で落ち合って過ごした2泊3日の旅の記憶がしきりに蘇る。

12年ぶりに謳歌した日本の春。晩春の、いささか妖艶に過ぎる美女のような趣の京都の美しさを堪能しきった旅であった。

日本からヨーロッパに向かうとき、自分はいつも少しナーバスになるようである。軽く閉所恐怖症の傾向にある私は、暗い機内でゆっくり息を吐き、来る狂奔の3週間に備えて少しでも体力を温存しようと、眠る体制を整えた。

4月某日(金)

日本の伝統色に「勿忘草色(わすれなぐさいろ)」というのがあるが、今日のコペンハーゲンの空はまさに和色の勿忘草色。今年は日本の春と、ほぼ1ヶ月遅れの北欧の春、2度の春を謳歌することが叶った。

あまりの心地良さに、ほとんど陶然となって角のカフェでラテを飲んでいると、何人かの顔見知りが通りかかって「あら、Eriko!お帰り!!」と声をかけてくれる。

wasurenagusa2

(勿忘草色の空)

カフェを出ると、以前私のコンサートで衣装を手がけてくれたデザイナーに、京都で買ったヴィンテージの金銀糸の刺繍が入った黒の羽織をプレゼントとして渡しに行く。非常に喜んでくれ、早速着てみては胸元にアンティークのいぶし銀で作られたブローチを飾ったりしている。蜂蜜のようなこっくりしたブロンドに渋い墨色の羽織が意外なコントラストとなって、美しい。何度もお礼を言いながら、パテントのハイヒールを鳴らしつつ彼女は颯爽と街へ繰り出して行った。友人の俳優がシアターに出演するので、それを観るのだと言う。羽織の袖がハタハタと視界から消えた。

夕方。金曜日というので、たくさんのギャラリーオープニングに招待され、自転車でギャラリーホッピング。コペンハーゲンに来た年、最初の数ヶ月はそれほど忙しくもなかったので、それこそ何百とギャラリーの展示会を回ったものだ。おかげで、コンテンポラリーアートには随分慣れ親しむことができた。たまたま日本人アーティストの展示会も開催中で、覗いてみる。

夕食は久々にイタリアンレストランに席を取った。私たちの隣に座った男性がちょっとしたきっかけからいろいろ話しかけてきたが、彼が席を外した隙に私の友人が耳打つところによると、かの男性はマインドフルネス(瞑想)認知療法で有名な権威だそうだ。 彼によって鬱病を克服し、非常に感謝する患者もいれば、一方でコカインにまつわる黒い噂も後を絶たないという人物。

私の直感から言えば、そこはかとなく胡散臭いにおいがしたが、聖人のヴェールを被った俗な人間の話というのはなかなか面白いから困ったものである。私たちはなんとなく彼のペースに巻き込まれ、フンフンと最後までご高説を聞く羽目になった。

会計を済ませ、告解室を出た2匹の哀れな子羊たちは神妙な面持ちでお互いの顔を見つめ合う。暫く無言で歩き、その後は降りかけられた聖者の金メッキの胡粉を落とすべく、アルコールでの浄化儀式が必要ということで意見が一致。ニューヨーカーの陽気なバーテンダーが作るカクテルでたちまち元気になる子羊たち。

union

踊り疲れて丑三つ時に帰宅。

4月某日(土)

コペンハーゲン桜祭り。今年は例年に比べ開花が早かったせいか、既に半数が葉桜の風情だったが、緑が萌え立ち始める晩春の北欧も美しい。ただ、恐ろしいほどの賑わいで、歩くこともままならず早めに退散。

練習後、夜はパワーガールズたちとの恒例の夕食会。カジュアル志向のコペンハーゲンに峻厳な拒否を表明するが如く、私たち3人は夜出かけるとなると過剰なほどドレスアップする。クリスチャン・ルブタン主催のパーティーがあった時など、私は2mのトレインを引いたドレス、友人は上から踝まで黒とゴールドのブロケード織りのガウンに伯爵夫人の被るような帽子で待ち合わせ場所のレストランに現れ、ウェイターはこのはた迷惑で場違いな客をどうして扱ってか分からず、テーブルの脚に躓(つまづ)いて転ぶわ、水はこぼすわで大変であった。

friday evening

(今宵はヴェールを被って)

3人揃いシャンパンで乾杯すると、早速近況アップデートを始める。ひとしきり話していると、私の横に座っていた男性が控えめな様子で会話に加わってきた。聞けば、モントリオールの有名レストランのシェフで、ここ数ヶ月はスカンジナビア・キュジーヌの研究のため、ノルウェー・デンマークの有名どころのレストランを回っているのだという。彼はモントリオールの食事情、私は日本の食文化について情熱の限りを尽くして語りあう。

楽しい夜であった。

4月某日(日)

練習に明け暮れる。

夕食後、オートクチュールデザイナーの友人とお茶をする。彼女は今でも思わず人が振り返るほど美しいが、モデル時代の昔は、ちょっと尋常でないほど蠱惑的な瞳で、彼女を見る者全てを魅了した美の化身であった。また、多くの芸術家たちのアフロディーテでもあった。

彼女は私の二律背反的な性格を直感的に理解しており、下手な同情はしないが経験に基づいた素晴らしい名言を連発する。

私が憧憬する、年上の美しいお友達である。

4月某日(月)

親友との再会&練習。ピアノソロリサイタル”Dies Irae(怒りの日)” まであと4日。

4月某日(火)

コペンハーゲンにはファッションブティックがずらりと並んだ通り(Kronprinsensgade)があり、そこを歩くと必ず知り合いに会うことから「HejHej(ハローハロー)通り」とあだ名されている。

ミーティングに向かう途中、その通りを歩いているとはたして「Hejhej! Eriko!!」と通りの向こうから声をかけられた。顔を向けると私の妹分の友人が大きく手を振っている。歳は離れているが非常に気があって、コペンに戻ったら一番に会いたい人の1人であった。偶然の邂逅を喜び合う。 軒を連ねるブティックの1つに勤めているというので、立ち寄って早口でおしゃべり。彼女とは、アートパフォーマンスと教育を融合させた”Sisters Academy”のメンバーとして、オーデンセで非常に濃厚な2週間を共にした仲だ。

私のリサイタルに来てくれるというので、その時にもっと話そうねと、ミーティングに行く途中だった私は投げキッスしながら足早にブティックを出る。

カフェ、Atelier Septemberでミーティング。この人の物事を見るアングルは本当にインディビジュアルで面白い。

その後は練習。夜はリサイタルのビジュアル・進行について詰めるべく、助演女優を含む何人かと集まってブレイン・ストーミング。

4月某日(水)

練習とレッスンの1日。小学生の生徒が私の弾く様子をビデオに収めて、格好よく編集して見せてくれる。私は感心しきり。彼女は早速そのビデオをInstagramにアップし、すると待っていたかのように幾つかの「いいね!」がつく。私は自分の小学時代を思い出して苦笑した。もはや、平成と昭和の今昔を比べることさえナンセンス。

5月某日(木)

コンサート1日前。入念な練習を終え、Cava Barへ足を急がせる。午後5時。以前フラットをシェアしていた2人の女友達と待ち合わせしているのだ。

春分以降、目覚しく日の伸びているヨーロッパ。仕事後の一杯を楽しもうという人で、カフェやバーは人であふれ返っている。私たちは運良くテラスに席を得て、ロゼで乾杯。

彼女たちとは1年に満たない共同生活だったが、隠れ家のような不思議な空間で暮らした、ひどくインティメイトな日々で、たった半年前まで一緒に住んでいたのにそれはもう遠い遠い昔のことに思われる。毎日何かしら可笑しなことがあり、例えば廊下の靴脱ぎ場はある日突然下の写真のようになる。

shoe2

(靴脱ぎ場。真ん中に花瓶。その周りにタロットカードとマトリョーシュカ)

シアターそのものの晩餐会もやったし、モーニングコーヒーを一緒に飲んだり、幾つかの秘密も共有しあった。

思い出話+笑い+Cava3杯。少々足をふらつかせながら、それぞれ次のアポイント場所に向かった。

4月某日(金)

コンサート当日。開演が20時半と比較的遅いため、招待されていたハットエキシビションのプレミアに顔を出すことができた。本日は招待者のみのイベントであるのに、多くのファッション関係、プレスで賑わっており、明日からの盛況を予想させる。

hat exhibition

何人かの友人も作品を出展しており、私も久々に帽子を新調しての参加。

10334411_10152129328111319_6399783668237184215_n

(新調の帽子をかぶって)

時計を見ると、リハーサル開始まであと15分。慌てて友人たちに別れを告げて、会場までタクシーを飛ばす。

dome3

(リハーサル時の会場、Domeの中からの風景。向こう側に運河)

午後4時、リハーサル開始。全てが順調に進んでゆく。午後6時、サポーター達到着。午後7時、軽く軽食。午後7時半、メイクと着替え。午後8時15分、フォトグラファーがコンサート直前のアーティストを撮りたいと、ポートレイト撮影に来る。午後8時半、開演。

リハーサル、コンサートのフォトギャラリーはコチラ→http://www.erikomakimura.com/2014/05/piano-recital-dies-irae-the-concert-series-of-dusk-till-dark/

mourning pianist

(「欲望」を黒いヴェールで覆い隠して)

「Dusk till Dark」 夕暮れから夕闇まで・・・。このドームでのコンサートシリーズのタイトルの如く、夕暮れ時の、淡やかなサーモンピンクと薄染めの藍が混じる空が、コンサートが進むに連れ、藍の割合を増し、濃い群青色の闇が会場のドームをすっぽりと包み込んだところで演奏終了。休憩なしの1時間20分。「妬み」、「強欲」、「欲望」、「怠惰」、「高慢」、「飽食」、「憤怒」の七つの大罪を旅した私の「Dies Irae」は終わった。

dies irae2

たくさんの方々に来て頂き、ただただ感謝。愛する友人たちに楽屋秘話を打ち明け、共に大笑いする。私を疲弊させ切った重いテーマのリサイタル後の、友人との呵呵大笑。私が一番必要なものをくれるこの人たちと、これから先も縁で結ばれますよう・・・。

長い1日だったのでもうこのまま帰りたかったが、この後ファッションイベントのアフターパーティーに参加すると約束してしまったため、疲労した体に鞭打ち、タクシーに乗り込む。・・・とその時、1m90cmはあろうという傾国の美女・・・もといトランスヴェスタイトの男性が、私をタクシーの奥に押し込んで、自分も乗り込んできた。彼(彼女)もコンサートに来ていたのだった。

この人とは約1年前、やはり私のコンサートで出会った。私は会った瞬間、彼の強烈な外見と個性にすっかり毒され・・・ではない、魅せられてしまった。その抜けるような長身に比して、体重は56kg、さらさらの長髪、股下1m以上、そしてウェストときたら、タオルを絞り上げたかのようにか細いのである。

パーティー会場で他の友人たちと合流すると、まるでデヴィッド・リンチの映画のような、実に奇妙で、実に不可解で愉快な夜を私たちは共に過ごした。

5月某日(土)

午前9時に携帯のアラームが鳴る。昨夜の帰宅は確か夜中の3時過ぎだった。床に落ちていた携帯をやっとの思いで拾い上げると、昨日のコンサートに来てくれたゲスト達から、幾つものメッセージが入っていた。温かい言葉に満ちていて、何度も何度も読み返す。ソロコンサートの後は、充足感よりもまずは虚無がベタベタと這い寄ってくる。このうっそりとした厄介なブラックホールからの脱却には、こうしたお客さんからの声が何よりの助けとなる。

半時間ほど甘い言葉と軽い頭痛と濃く淹れたエスプレッソを交互に味わってから、出かける準備にかかる。今日は、いつもお世話になっている友人の、フォトシューティングのアシストをする約束をしているのだ。 フォトグラファーが車で迎えに来て、友人と3人、北シェランドに広がる森へ向かう。

1012570_676761799038008_2058517008888200439_n

(北シェランドの森と湖)

北シェランドの風景の美しさを描写するには、私に詩的要素が欠けているので控えよう。

それにしても。今日と昨日のこのコントラストといったらどうだろう。けぶるような木漏れ日の森、静寂に過ぎる透き通った湖に囲まれ、私は呆然とする。昨日の出来事がグルグル頭を駆け巡る。数百人のファッショニスタが集まるプレミエ、自身のコンサート「怒りの日」、異形の美しいトランスヴェスタイトと踊り明かした奇妙な夜・・・。

友人の撮影を手伝いながら、あまりに無防備に綺麗な自然の中に立っていることが次第に我慢ならなくなり、じりじりし始める。やっと終わった時はホッとして車に乗り込むと、フォトグラファーがスピード違反で捕まってもいいから、一刻も早く私を家に連れ帰って欲しい・・・とけしからんことを願いながら、助手席のシートに深く身を凭せかけた。

40分後、帰宅。もう今日は何もせずゆっくり過ごそうと決めたのに、それなのに。

誘われるまま、新しくオープンしたホテルのレストランで食事し、その後2件もバーをハシゴした私は何かに憑かれているに違いない。

私のDies Iraeはまだまだ続く。

5月某日(日)

来る怒涛の週に備えて、準備に走りまわる一日。Cafe Europaで非常に美味しいランチを取りながら、アーティストと実のあるミーティング。その後は自転車を飛ばして、なかなか会えなかった友人の元を訪ね、彼女の生後2ヵ月半のべビと束の間の対面。またまた自転車を矢の如くすっ飛ばし・・・。

5月某日(月)

本日は私のフォトシューティングの日。次回のリサイタルのためのポスター写真撮り。日本でのコンサートシリーズ「七つの大罪」のVol1、「憤怒編」が7月19日に神戸で開催される運びとなっている。「憤怒」を表すアイコンとして、ユニコーン、ドラゴン、狼が上げられるが、私はそのうちのユニコーンと撮影がしたかった。

ユニコーンは勿論空想上の生き物だが、アーティストの友人が以前、馬の頭の剥製にドリルで穴を開けて角を付け、ショーで使ったという話を聞いており、私はすっかりそれを借りる算段をしていた。

しかし、実際その友人に会って、彼女が創作したユニコーンを貸して欲しいとお願いすると、キョトンとした顔をして、

「ああ、あのユニコーンなら、とっくに腐っちゃったわよ」

と応えがあった。私は混乱した。

「腐った?どういうことかしら?」

「あの馬の頭はね。知り合いのお肉屋さんから買ったの。剥製じゃないわよ。本物の馬の頭。だから、ショーで使った途中からすでに腐り始めちゃったのよ。ドリルで額に穴を開けたときは、血が飛び散ってそれは大変だったわ。」

・・・こういうアーティストの友人に会うと、私など本当にごくごく一般的にありふれた普通の人間なのだとホッとする次第である。

ユニコーンとの撮影の夢はあえなく破れた。残るはドラゴンか狼だが、私は狼を選んだ。狼の毛皮らしいものを探しに探したら、なんとか見つかったのだ。それを纏(まと)って撮影に挑む。

私が信頼しきっている親友との撮影は大笑いの連続で、本来撮影は非常に疲弊する作業だが、彼女のお陰でスムーズに事は進んだ。

wrath

(あらゆる小物を使ってテストフォトを撮っていく。この写真はテーマに合わずボツ)

ところで話は大きく変わるが、私は毎日何かしら失くし物をする「失くし物クイーン」である。携帯、財布、ジャケット、バッグ、記憶、パスポート、(何人かの)恋人(ハハハ・・・))、と果てしなく失くしに失くし続ける。今のところ失くしていないものといえば、大事な親友だけである。これは非常にありがたいと言わねばならない。

昨日も、気に入りの赤いルージュを失くしてしまった。今日の撮影にどうしても必要ということで、撮影の合間に近所のコスメティックショップに買いに行く。何百本も並ぶ口紅の中から、真っ先にこれだと選んだ一本のルージュに付けられた名前が

Envy(妬み)

であった。コンサートが終わって3日経つというのに、私はまだ七つの大罪の支配から逃れられないでいる。

5月某日(火)

不安になるほど予定が詰まっていたが、全てのアジェンダを無事に終えて帰宅。午前1時半。

一番重要だったのは、週末スウェーデンはマルメで行われるSisters Academyのパフォーマンス内容についての会議で、総勢13名のパフォーマー、演出家、フォトグラファーなどが集まってアイディアを出し絞る。

3時間ほど白熱したディスカッションが続き、フレームワークの外堀を固めたところで解散。

ミーティング会場を出ると、デンマーク人お決まりの、「明日もあるから1杯だけ」を唱えながら、7人でバーに繰り出す。

5月某日(水)

かなり早起き。今日も綱渡り的な仕事の入り方。しかし、朝早くに精神科医の友人が電話をかけてきて、非常に深く、胸が透くような会話があり、お互いカタルシスを感じながら近々の再会を誓って電話を切る。体の疲労は精神の充実で十分補えるのだ、と再確認しながらレインコートを羽織り、仕事場に向かう。

レッスンを数人分こなす。世代を超えたこの愛しい生徒たちとの交流を毎回非常に貴重なものだと感じる。

終了後に1つミーティング。それから週末のスウェーデンでのショーのための買い物を済ます。

買ったものリスト

孔雀の羽根1,2m×10本

ありとあらゆるサイズのパンティー10枚

黒総レースのロング手袋

黒レザー紐10m

白絹の50年代風ブラウス

劇場用血のり

・・・この買い物リストを見て、私が変態もしくはサド・マゾの女王でないと誰が言い切れようか。

非常に疲れて帰宅。夕食を口に運ぶのも辛い。白ワインのコルクを抜いてグラスに注ぎ、バスルームでバスタブにお湯を張る。行儀が悪いのは百も承知で浴室に1冊本を持ち込み、湯の中に身を沈める。ワインをちびちび舐め、本が湯気でふやけるのも構わずページをめくっているうち、よい香りのバスオイルを垂らしたバスタブの中で私は幸せを取り戻し、ほとんど法悦とも言える境地に至る。本来、私という人間は至極単純に出来ているのだ。

すっかり本を台無しにしてお風呂から上がり、髪を拭っていると、友人から電話があった。

「1杯だけ。本当に1杯でいいから付き合って。」

・・・デジャブだろうか。昨夜も同僚たちからこれと全く同じセリフを聞いたような気がする。しかし、友人の言うようにもしグラス1杯で終われば、世界中のバーは潰れるであろう。なのに、コペンハーゲンのバーはどこも人いきれで汗ばむほど込み合っている。

そして、私はなぜ赤いリップスティックを手に取っているのだろう。「Envy」と名づけられた紅すぎるルージュ。今日こそゆっくり眠るべきなのに・・・。

5月某日(木)

朝、目が覚めて窓際の鏡にちらと目をやると、真っ赤な口紅を塗った半開きの口と焦点の合わぬ目がこちらを見返してきた。どうやら友人からの誘いを昨夜断りきれなかったらしい。そして当然のことながら、グラス1杯では終わらなかったらしい。

口紅を落とし、熱いシャワーで禊(みそぎ)する。友人からのフランス土産の練り香水をほんのり首筋に擦りこむと、私は機嫌よくバスルームを出た。二日酔いというものを知らない幸運な私は、薔薇の香りに包まれ、髪は半渇きのまま友人宅に向かう。

彼女の家で、先日撮った写真のリタッチを開始。そして、色味を吟味して文字の配置とバランスを考え・・・と、細心の注意を払いながら、日本でのコンサートシリーズ、「七つの大罪Vol1 憤怒編」のための、気の遠くなるような細かい作業を伴うチラシ作成に入る。

この親友なしでは、私の今までのプロジェクトは絶対成し得なかったであろう。

夕方おいとまし、家に戻って大急ぎで明日からの旅の準備をすると、夜は私がこの1週間心待ちにしていた友人宅でのディナー。

Sancerreのワインをポンッと開けて、何度も乾杯する。彼女の創る料理は優しい味がする。コペンに戻って以来初めての和食で、美しく面取りされたかぶらの炊いたのがとろけながら喉を通ってゆき、鳥のつみれは口に含むと滋味がゆっくり広がっていく。おかわりをもらい、私は目を細める。海外在住者には貴重食材中の貴重品、魚沼産の極上のお米でふっくらご飯を炊いて、お茶碗に盛ってくれた。

コペンハーゲン中に轟きわたるほどの爆笑を繰り返した後、名残惜しくおやすみのハグを交わす。

明日からの大きなプロジェクトに向けて、心身ともエネルギーを蓄え帰宅。

5月某日(金)

スウェーデンはマルメへ。同僚の1人が車で迎えに来てくれる。車内は3人+ショーのための山のような荷物。私の10本の孔雀の羽根もトランクの上でフワフワ舞っている。

車はやがて、デンマークとスウェーデンを結ぶエースン橋を渡る。本当に美しい構造の橋で、渡るたびに惚れ惚れしてしまう。

Osund bridge

しかし、渡橋代は日本円で片道約6,500円。驚きの値段である。

コペンを出て約1時間ちょっとで、会場であるMalmö Inkonstに到着。すでに多くの同僚が演出家たちを手伝って、作業に取りかかっていた。今回のSisters Academyは「Feast(饗宴)」の名のもと、sensuous(感覚的)な社会への喚起を促し、詩的な旅をゲストたちと共に体験していく。

黒塗りの会場の真ん中には20mほどの長いテーブルが置かれ、黒とレースのテーブルクロスの上にはローストチキンや梨のコンポート、色とりどりのカップケーキ、ニシンの酢漬け、マカロンなど、前菜、メインディッシュ、デザートが無秩序に溢れ返るように並び、何台もの銀の燭台の蝋燭が、それらの食べ物を怪しげに照らし出す。私のピアノはテーブルとテーブルの間に配置され、私はそこでディナーもとれば、演奏もする。

10322549_679700455410809_324533921317269507_n

(Feast((饗宴))のテーブル)

準備をしながら、古代ローマ時代の話をふと思い出した。かの時代、高貴の人々はしばしば饗宴を催し、寝そべりながら延々と食べ続け、ぶどう酒を干していった。お腹が膨れると、奴隷の差し出す孔雀の羽根を喉に差込み、食べたものをリバースし、また飲食を続けた。まさに酒池肉林の極み・・・。

「饗」宴程度ではなく、いっそのこと「狂」宴にならないか、と淡く期待しながら、遅くまで準備&ミーティング。

長い一日が終わり、主催者が借りてくれたアパートへ向かった。同僚の女たち4人は道すがらお菓子を買い込み、明日も早いので早く眠らねばならないのに、まるでティーンネイジャーのようにリビングに座りこんで、罪のない話に大笑いが止まらない。

どれだけしゃべったか。姦(かしまし)娘たちはようやくソファから立ち上がると、仲良く歯を磨いて、ガヤガヤとベッドに入ってしばらくすると、やがて揃って寝息を立て始めた。

5月某日(土)

パフォーマンス当日。開場は19時。

週末だからか広場に朝市が立ち、新鮮な野菜、フルーツが朝露に濡れたまま、色鮮やかに軒下に山積みされている。思わず足を止めそうになるが、9時からのミーティングに遅れるわけにいかず、テイクアウトのカプチーノを持ったまま、会場に急ぐ。

会場であるMalmö Inkonstでは、我らSisters Academyは来年2015年に1ヶ月に渡るボーディングスクールを開校予定。今夜の饗宴は言ってみればそのアペタイザー的な役割を担う、プレポップアップイヴェントに当たる。

細かいタイムスケジュールが組まれ、演出家たちの手伝いの合間にサウンドチェックがあり、私は他のパフォーマーとピアノの元でリハーサル。歌を歌うパフォーマーもいるし、John Cageの名作「4分33秒」を俳優と共演することになっているので、その最終打ち合わせもあり、混乱しない方がおかしいほどの忙しさだが、みな黙々とそれぞれの仕事に没頭している。

sisters academy rehearsal

(サウンドチェックの様子)

18時半にはコスチュームへの着替え、メイクも全て済み、会場はゲストを迎えるばかりまで整った。19時、最初のゲストが到着。

饗宴のフォトギャラリーはコチラ→https://www.flickr.com/photos/108171819@N03/sets/72157644616439342/

午前0時。最後のゲストたちが会場を出て、饗宴は幕を閉じた。

5時間のノンストップパフォーマンス。共演者はみな、床に突っ伏している。

やがて、誰からともなくそろそろと起き上がると、それを合図にしたかのようにサウンドエンジニアーが大音量でDJし始めた。それまでの完全にコントロールされたキャラクターの仮面ををかなぐり捨て、私たちはトランスがかったように踊り始めた。余っていたCavaをバンバン開け、ボトルから直接喉に液体を流し入れる。

宴は完全に果てた。いや、真夜中0時を過ぎて、今まさに始まったところなのだろうか。

私の問いに答える言葉はない。

hand

(私のトークンである6つの手と私の右手)

5月某日(日)

昼まで片付けやら次回のパフォーマンスの軽い打ち合わせをしてから、3台の車に分乗してマルメからコペンハーゲンへの帰途につく。昨夜のパフォーマンスへのさまざまな思いや批評が去来するのは誰しも同じで、しかしそれを消化して言葉に出来るようになるまでは胸に秘め、次のミーティングまで取っておこうというのは、言わずとも全員一致した考えのようで、皆笑顔で別れを惜しみ、それぞれ帰宅していった。

1時間ほど仮眠して、ミュージシャンの友人宅へお邪魔する。2ヶ月ぶりの再会。ジャンルは異なれど、等しく音楽に憑かれた者同士惹かれ合い、去年から徐々に友情を深めてきている。

彼女は非常に多忙な人で、本当は私と入れ違いに今日からスウェーデンへ行く筈だったが、同じく多忙を極めていた私の予定に合わせてわざわざ旅立ちを明日に延ばしてくれたのだった。

彼女お手製の、フンギとグリーンアスパラのリゾットに、パルメジャーノ・レッジャーノをたっぷりとかけ、白ワインで乾杯。

来年あたりを目処にコラボレーションを実現させようと誓い合う。誓うたびに乾杯を重ね、私たちはどんどん深い世界へと藪を掻き分けながら入っていく。芸術的にも人間としても響きあうものを持つ者同士の会話は、同性異性問わず、官能的なまでのレベルに到達することがある。

今夜はまさしくそれで、脳を痺れさせながら私は家路についた。レズビアンだったら私たち今夜どうにかなってたわね、とお互い笑いながら頬にキスし合って別れた。

5月某日(月)

彼は全く油断のならない男である。彼というのは、アンティークブックショップのオーナーのことである。彼はさもなんでもないことのようにイケナイことばかり私に教育するのだが、本当は非常にシャイなことを私は知っている。だから、会うときはいつも私はワインを携えていく。そして、それで唇を湿すうちに、彼の口は非常に滑らかになってゆき、諸々のイケナイ会話が展開されていくのである。

2人の友人も加わり小さなサロンが形成される。私は自分より何層倍も知識と経験があり、ユニークなアングルから躍りかかるように物事を捉えてゆく稀有な有識者たちを見つめる。マルキ・ド・サド、フロイト博士の妻の生涯、70年代ポルノ、スカルラッティ、或る統合失調症のアナーキストが処刑された経緯・・・。どの話も面白すぎて、この場を一生離れたくない。

閉店が近づいた時、明日のロングフライトで読むための一冊を選んで、と頼むと、「非常に君らしい一冊だよ」と渡された本の題名が

「導かれて・・・鞭(ムチ)」

であった。本当に油断のならないMr.チャーミングである。

whips

私はこのMr.チャーミングが大好きなゆえに、わざと1年に数回しか彼を訪ねないという天ノ邪鬼な態度を取っているのであるが、さて次に会うのはいつのことになるか。

日本に明日飛ぶので、夜はしばしのお別れを偲ぶため、友人主催でメキシカン料理屋にて食事会。みんなありがとう。

(追記:夜、ベッドの中で今日買った本をパラパラとめくると、それはそれは過激な内容であった。まさか発禁扱いじゃないでしょうね・・・。成田空港の入局管理局で見つかって、捕まらないでしょうね・・・ドキドキ)

5月某日(火)

もうやり残したことはない・・・。カストロップ空港のラウンジでこの3週間を振り返りながら、ファイナルコールを待つ。これから日本へ飛び、立ち上げたプロジェクト「七つの大罪」コンサートシリーズの、企画・遂行に全力を投じなければならない。

まともに睡眠さえ取っていない狂奔の日々から一歩引き、暫くはレッスン室に籠もった落ち着いた生活を送ろう。一人になって、依頼されたパフォーマンスの案を練り、インプットに励む。

そう決心して機上の人となった12時間後。

私は東京のしゃぶしゃぶ屋の個室で、友人と笑いながら忙しく箸を動かしていた。

その後根津美術館に行き、やや盛りが過ぎたとはいえまだ十分に美しい庭園の菖蒲に見惚れ、尾形光琳の燕子花図と丸山応挙の藤花図の二元的美と技巧に、心がざわめき揺さぶられる。

nezu2(根津美術館の素晴らしい菖蒲園)

日本の土を踏んだ瞬間から、またもや激しく動き回りたい衝動に駆られる。常軌を逸脱した狂奔が胸を渦巻く。

いったん落ち着かなければ・・・と神戸に向かう新幹線の中で再び自分に言い聞かせる。

今夜こそ私は眠る。今日見た菖蒲の群生の残像をまぶたの奥に投影させながら、目を閉じる。まずは泥のように深く深く眠る。


Piano Recital “Dies Irae” the Concert Series of Dusk till Dark

First of all, my most sincere thanks to Diana Tørsløv Møller and Tusnelda Frellesvig!

10170815_677327625648092_6027583449435865742_n

【Playlist for “Dies Irae”】

★Envy/Misundelse/妬み
S.Prokofiev: “The Dance of the Knights” (from ballet “Romeo and Juliet”)

★Greed /Griskhed/強欲
A. Gosfield: “Brooklyn October 5, 1941”

★Lust/Nydelsessyge/欲望
J.S.Bach: Prelude and Fugue

★Sloth/Ladhed/怠惰
E. Satie: Gnossiennes No.1&3,
D.Shire: Main theme from the movie “The Conversation” directed by F.F.Coppola

★Pride/Hovmod/高慢
M.de Falla: “Fantasia Baetica”

★Gluttony/Frådseri/飽食
F.Chopin: Waltz c-sharp minor, b-sharp minor and Nocturne d-flat major

★Wrath/Vrede/憤怒
F.Rzewski: “Winnsboro Cotton Mill Blues”

【Rehearsal/リハーサル】

10312408_677337905647064_6412168347710799743_n

(コンサート会場 The Dome)

10262018_676181942429327_7669233647634440421_n

(私の助演女優)

10314565_676180809096107_4281083886436564502_n

(リハーサル。ピアノの向こう側は運河で、客席からは素晴らしい景色が望める)

10294512_676180632429458_1013767287454930348_n

(アイコンタクト)

10174781_677328945647960_4639202639817509520_n

(リハーサルを見守るキュレーターたち)

【Concert/コンサート】

(from here, all the photos taken by Jonathan Kronborg Grevsen)

Eriko Makimura - Dome of Visions

(日暮れ前。ゲストたちが集まってくる)

Eriko Makimura - Dome of Visions

(メイクも美しく仕上がって)

10167952_675966192450902_8430218790819050927_n(コンサート直前。Deep in concentration)

Eriko Makimura - Dome of Visions

(Envy/妬み 微笑に糊塗された嫉妬)

Eriko Makimura - Dome of Visions

(Greed/強欲 全てを手に入れてもまだ足りない)

Eriko Makimura - Dome of Visions

(Dusk till Dark… 日が沈み、闇が色濃く立ち込め始める)

Eriko Makimura - Dome of Visions

記事:http://domeofvisions.dk/dies-irae/ (text: Gry Worre Hallberg, photos: Jonathan Kronborg  Gevsen)

A Two Weeks in February and March in 2014

2月某日(土)
家を出てから既に25時間。飛行機はようやくカストロップ空港に向けて着陸態勢をとり始めた。関空発パリ経由コペン着。トランジットも含めると、このルートはひどく長くて疲れる。
1463519_600724036641785_1089385834_n
関空で重量超過料金を課せられたスーツケースを受け取り、出口に向かう。出発前も日本で何かと忙しく、寝不足の日が続いていた。一刻も早く靴を脱ぎたい。そして、旅の際にいつもうっそりとつきまとうメランコリーをシャワーでざっと洗い流してしまいたい。

メトロの方へと歩きだすと突然、”Eriko! Eriko!!” と誰かが何度も私の名を呼ぶのが聞こえた。驚いて声の方向へ目をやると、今にも生まれそうなほど大きなお腹をした友人が笑顔で大きく手を振っている。

「びっくりした?サプライズで迎えにきちゃった。今夜はまだ生まれそうにないし」

私は驚きと嬉しさで彼女をぎゅっと抱きしめてから、大きなお腹に頬ずりした。居心地がよいのか、予定日を過ぎてもお腹に居座っているベイビーボーイ。生まれてきたら私はこの子を舐めるように可愛がるだろう。早く出ておいで。

空港の外に出ると、彼女のボーイフレンドも車の横で大きく手を振っているのが見えた。

2月某日(日)
カフェ「N」にて友人とブランチ。三角に切られた全粒粉のパンに、分厚いブリーを載せて齧りつく。カリッと香ばしいソーセージにツナと枝豆のサラダ、そして楽しいアカンパニー。これ以上の日曜日の朝は望めない。

右脳左脳どちらも非常に発達した人というのが稀にいるが、目の前に座る彼女がそうだ。いつも多角的なアングルから物事を見る目を持ち、私に刺激を与えてくれる。

彼女と別れて電車で次の目的地へ向かう途中、すれ違う人の波の中に懐かしい人の顔を見たような気がして思わず振り返った。

実は私にはひとつ深刻な病がある。人の顔を覚えられないという病気である。
付き合っていたボーイフレンドたちの顔でさえちゃんと覚えていない。匂い、声、感触、交わしたいくつもの会話の記憶から、私はその人をやっと「個」として認識するらしく、顔での識別は非常に難しい。

さっきすれ違った人もきっと人違いだ・・・。

電車は目的地に滑り込み、待ち合わせていた友人とお茶を共にする。この友人の存在の意味はとても大きい。この人がいたおかげで、私はコペンで待ち受けていたすべての不可能を可能に転換することが出来た気がする。

夜は長らく会えていなかった別のお友達からのお招きで、美味しい料理の饗応に与る。中近東のさまざまな豆や穀物を使ったサラダ、焼き目も美しい鴨肉。デザートのお手製マフィンには私の大好きなホワイトチョコレートが忍ばせてある。

時差ぼけのせいで酔いがまわるのも早く、帰りの電車で寝入ってしまい、3駅分引き返す。

2月某日(月)
朝から2件用事を済まし、3人にレッスンをしたところで、友人が車で私をピックアップにやってきた。これから大きなプロジェクトに参加するため、オーデンセへと向かうことになっている。

車中には4名。プロジェクトメンバーの1人である演出家と話が弾む。去年、偶然同じ日にドストエフスキーの「悪霊」を劇場で観劇していたことが分かり、さらに会話の枝葉が多方面に伸びてゆく。新しい出会い。楽しい。

2時間後、オーデンセに到着。山のような荷物をバンから運び出し、既に昨日から会場入りしていた仲間たちとの再会を喜び合う。12名のパフォーマー、演出家2名、ライトテクニシャン1名、サウンドエンジニア1名、フォトグラファー1名、映像アーティスト1名、そして生徒175名、教師22名によるビッグプロジェクト。今週は準備期間で、来週より2週間”Sisters Academy”という名の、新しい教育のあり方を問う、五感で感じる革新的なエデュケーションプログラムの始まりだ。パフォーマーたちはその間、学校に泊り込みである。

メンバーが取っておいてくれた夕食の残りを温めなおしながら、キッチンに集まって近況を報告し合う。私たちはそれぞれ部屋をあてがわれ、各々自分のキャラクターに合った装飾を施し、演出家、ライトテクニシャン、サウンドエンジニアーと協力しあって個性的な空間を創造してゆく。私はピアノが設置してあるグランドホールの一角を自分のタブローとし、明日から飾りつけ作業に入ることとなる。

この夜、眠りにつくのに1分とかからなかった。

2月某日(火)
オーデンセ2日目。朝食ミーティングで、来週月曜日のオープンまでの流れをざっと確認し合う。何ヶ月も前からワークショップやミーティングを繰り返してきた”Sisters Academy”プロジェクト。ようやく現地入りの運びとなり、みな真剣である。

朝食を終えると四散し、作業に入る。私は学校のピアノとオルガンを隅に配置し、オルガンの上に大きな鏡を置いた。楽譜を紅茶で染め、乾いたところでぐしゃぐしゃにしてピアノ上の壁に留め付けてゆく。床にも楽譜とレコードをばら撒いた。

SA3

(My little continent.)
ほかのパフォーマーたちも、部屋作りに余念がない。これらの部屋に生徒たちは自由に行き来することが出来て、パフォーマーたちとのインターアクションを体験することになる。
SA4(Protector of the Archive’s room.)
午後は仲間の1人と入り用のものを求めて町に出る。オーデンセの町の、アンティークショップの多さに驚く。その中の1軒で、見たことのないほど気味の悪い赤ん坊の人形を見つけ、非常に心をそそられたが、値段を見て諦める。
それにしても、私はなぜこんなにも不気味なものや変なものに対して興が湧くのだろうか。人に対しても同じで、奇妙な人ほど面白い。そのせいで、私はいつも台風の目の中にいる。なんのことはない、すべてのドラマは自分が引き寄せているのである。
tumblr_lo3fqbfbmR1qzkzm6-1024x736(Strange stuff which I desire.)
夕食後も延々作業が続く。ベッドに入った時間も覚えていない。

2月某日(水)

オーデンセ3日目。朝食ミーティングを終え、昨日に引き続き各々部屋で作業に入る。今日は演出家に加え、ライティングの専門家とも最終的にどう部屋を仕上げてゆくかを話し合い、足りないものはアンティークショップへ借り受けに行くことになっている。私も、椅子やサイドテーブルなどを演出家と一緒に選びに行った。

1973306_648766161837572_55271297_o(Amputated left hand and some sheet music by Prokofiev.)

17時。朝からぶっ続けの作業を終了し、簡単にパッキングをすると仲間たちに挨拶してから学校を後にする。レッスン、リハーサル、打ち合わせなどが溜まっているため、一旦コペンハーゲンに戻らなければならない。オーデンセからコペンハーゲンまで、電車では1時間半。今夜はミュージシャンの友人宅で、ディナーを兼ねてのブレインストーミングの予定。

コペンに着くと、友人が最寄り駅まで迎えに来てくれていた。数日前からオッソ・ブッコをことこと煮て準備してくれていたという。彼女のほとんど痛ましいまでの芸術家特有の繊細さに触れると、私は血の滴るビフテキのような自分の屈強な精神を、申し訳ないようなありがたいような、名状し難い思いで見つめ直すことになる。

「透明な繊細」と「土着の屈強」はしかし妙に気が合い、それは愉快な晩餐となった。

音楽談義が続き2本目のワインのコルクを開けるころ、話は私たちの共通の友人の身の上へと移った。聞けばその友人は、近頃チンピラに因縁をつけられ大変なことになっているらしい。ダニのような人間というのはこの世に確かに存在するのだ。そしてそのダニは、善良な人間にしかつかないという特性を持っている。

警察も当てにならないらしく、どうしたらよいのか・・・。

私たちはその友人に何通もsmsを送った。問題には触れず、思いつく限りの面白いこと、下世話な話、ちょっぴりエロティックな冗談を書いて、思わず噴き出すような写真を何葉も送った。

夜が白み始めるまで私たちは話し続けた。

2月某日(木)

昨夜は結局2人でビールを数本、白ワインを2本、アイスランド産のウォッカをショットグラスに数杯空けてしまったが、今朝は二日酔いの気配もない。ただし、喋りすぎのせいか声が枯れてひどい声。電話をかけてきた友人など私の「もしもし」を聞いて、思わず電話を切ったくらいだ。

朝食後、数時間習してからプロジェクトを一緒に推進しているアーティストと打ち合わせ。そしてリハーサルへと向かう。今日は今度のコンサートで弾く室内楽の初合わせ。

無事終わると、ホテルNimbへと急ぐ。スウェーデンから来ている友人にどうしても会いたくて、お互いの一瞬の合間を縫ってほんの僅かな逢瀬が叶った。ロイヤルミルクティーで乾杯。

次に会えるのはストックホルムだろうか。中央駅を通り抜け、夕食会の待ち合わせ場所に歩を急がせながら、数え切れないほど訪れたストックホルムを思う。そこで出会った愛しい人たちー 老いた大女優の時代がかった立ち居振る舞い、8ヶ国語を自由に操るパパヘミングウェイのようにチャーミングな友人の父、ベルリン時代に出会った私の愛してやまない親友・・・。

Istedgadeを歩く。夜はなるほど猥雑な雰囲気だが活気がある。早朝のそれのように、どうしようもないほどのやるせない哀しみは漂っていない(Istedgadeは娼婦が夜客を取るために立つ)。足早に通り過ぎると、あるレストランの前で、お友達がこぼれるような大きな笑顔で手を振っているのが見えた。少し迷っていた私のために、外で待っていて下さったよう。なんて優しい。本当にありがたい。

1959278_649093881804800_397398595_n

(My very dear friend from Sverige!)

淑女4名、殿方2名による楽しい夕食会の始まり。

2月某日(金)

午前中はSisters Academyに必要なものを買出しに街へ。私は”Chain Hands Pianist”というキャスト名で、文字通りチェーンが私のトークンである。工具屋に行き、美しい金銀のチェーンを4種類も買ってしまう。2m×4本。渡された袋はずしりと重い。

アカデミー開催中のコスチュームについて、未だ明確なイメージが湧かず、暫く考えた末、スタイリストの友人にアドヴァイスを貰おうと思い立つ。電話してみると運の良いことに時間があるとのこと。オフィスの前でベルを鳴らす。

彼女は私が最も美的感覚を兼ね備えていると思う人の一人で、話を聞くや否や、山のようなアイディアを噴出させ、どんどんメモに書き留めては私に渡す。美のバプタイズを受ける私。そればかりか、オフィスに散乱している布やパーツ、細い繊細な鎖を使って装飾品まで即興で創作してくれた。

5日分のコスチュームの目処が立ち、私は何度もお礼を言って彼女のオフィスを出た。そして次の待ち合わせに急ぐ。深く慕っているお友達との楽しいひとときが待っているのだ。

チーズケーキの専門店で、シトロンフロマージュとブルーベリーチーズケーキを頼み、仲良くシェアする。

このお友達が今までくれたもの ー 手作りのジャム、丹精の紫蘇の葉、郷里の美味しいおつけもの、お手製のフレンチ料理カスレ、ショパンのチョコレート、秘蔵のタイ料理レシピ、日本への長距離電話、たくさんの温かいメッセージ、そしてカフェでの大笑いの時間・・・。私の大事な大事なお友達。

名残りおしかったが、ピアノの練習が残っていたので立ち上がり、また今度ねとハグし合う。交わした会話を反芻しながら練習場所へと向かった。

練習を終えてから、ガールズ2人に誘われてカクテルを飲みに出る。離婚調停中の有名な某政治家が私の真横のテーブルで女性とデートしている。

デンマークだ、ここは。

2月某日(土)
朝、香ばしいパンケーキの焼ける匂いで目が覚める。昨夜は結局友人宅へ流れ、そのまま泊り込んだらしい(記憶があいまい)。

キッチンを覗くと、kimonoガウン姿の友人がフライパン片手に、おはよう!と笑顔を向けた。
日本で買ったという藍色の大皿に、黄金色のパンケーキが山積みされている。テーブルには、ホイップクリームや栗のペースト、メープルシロップ、タイからのココナッツペースト、フルーツなどが所狭しと並べられ、好きなものをパンケーキにのせて、くるくる丸めていただく。祖母、母、彼女と3代に渡って伝わる、土曜日の朝の甘い習慣。

しばらく雑談し、来週の予定などを確認しあったあと、彼女に暇を告げ、Torvehallerneへ。先に到着して窓辺に座って目薬を差していると、ほっそりと長い足とキュッと締まった美しい足首が視界に入った。ふくらはぎも綺麗だなと目をぱちぱちさせながらその足の持ち主を見ると、待ち人来る。友人の彼女だった。人の足に恍惚としながら見惚れるなど、私はなかなか不埒な人間のようである。

Fish n’ Chipsをつまみながら、私たちはしみじみと語る。朝から油モノを一緒に食べてくれる女ともだち。非常に稀有な存在。語っているうちに、内に溜まっていた澱(おり)とFish n’ Chipsの油がともに溶けて浄化されてゆくような気持ちになってゆく。

いつも笑いと気遣いをありがとう。貴女。

午後は練習、そして音楽家とプログラムについての話し合い。それから、用事で友人宅に寄らせてもらったらちょうど夕食時だったようで、ローストビーフをご馳走して頂いた。私はラッキーバスタード。

2月某日(日)
朝早く、デンマーク人のお友達一家に日本からのお土産を渡しに行く。上質のお抹茶と茶筅、茶さじのセット。8歳と5歳の子供も加わって、みんなでお茶の真似事をしてみる。案外器用に茶せんを操る子供たち。

下の男の子が私の膝に這い登って来て、「エリコはスーパークール。大好きー」と照れ笑いに身をくねらせながら囁いたかと思ったら、ばっと廊下に駆けて行った。

この日のこの光景を、この異文化の体験を、子供たちは大人になってふと思い出す日は来るのだろうか。

お抹茶を立てた茶碗は私の私物で、今夜オーデンセに持って行かなければならない。そう断ると友人は綺麗に洗ってくれ、割れないように箱に入れて渡してくれた。そして、「今夜オーデンセへ向かう電車の中で、この箱を開けてみて」とウィンクする。

多方面に向けて感性を育てている生徒とのレッスンと個人練習、そしてリハーサルを終えて時計を見ると、予約してある電車の発車まであと20分しかない。駅まで走りに走って電車に飛び乗った。ああ、間に合ってよかった。荒い息を抑えるのに暫く時間がかかった。

ひとごこちついたところで、自分の空腹に気づく。今日はランチを取る時間がなかった。向こうに着くのも遅いし、私の分の食事はもうないかもしれない・・・。空腹と不安感と疲労で少し弱気になったところで、ふと友人の言葉を思い出した。

箱を開けてみて・・・

言われたとおり茶碗の入った箱を開けてみると、そこに手作りのキャロットケーキがたっぷりのクリームとともに入っていた。可愛い赤いスプーンまで添えられていた。

ふと胸が熱くなって、慌てて窓の方に目をやる。

diary1

(Handmade carrot cake in my green tea cup. It saved my life.)

2月某日(月)
昨夜はオーデンセに到着後、夜中の2時まで自分に与えられた部屋で作業に没頭。今朝は5時45分起き。疲れた体に鞭打ち、化粧にかかった。

一面にビーズ刺繍が施されたブラックドレスに、ピンクのフェザーが縫い付けられた、恐ろしく人目を引くケープを羽織る。金鎖のヘッドドレスを着け、5連のパールを首にグルグル巻き、指には12のデザインリング。足には10cmヒールのエナメルスティレット。まるで気のふれた男爵夫人のような装いだが、仕方がない。過剰であるというのが、自らに課したタスクであるのだから。

1899269_648693751844813_406805671_o

(My cabriole leg stilettos and medusa masque)

7時半。果たして登校してきた175人の生徒と22人の教師たちは、奇異の目でこわごわと私に視線を向けてくる。

しかし、奇異なのは私だけではない。ほか11人のパフォーマーたちも、それぞれ思い思いのコスチュームに身を包んでいる。1人のパフォーマーなど、もともと185cmの長身なのだが、そこに15cmヒールを履き、全身ブラックのキャットスーツを纏っている。2mになんなんとする体をゆらゆらさせながら歩くさまは、さながら異界からの使者のようで、朝から完全にホラーである。

我らがシスターが”Sisters Academy”開校を高らかにマニュフェストする。校旗が下ろされ、代わりに”Sisters Academy”のロゴが入った旗が真っ青な空に舞い上がった。

1920560_10151871133282315_1032308889_n(Our sister. A founder of Sisters Academy and a lady gifted with both intelligence and beauty.Photo by Diana Lindhardt))

朝の集いが終わると、授業開始。私は早速音楽クラスへの参加を求められ、即興パフォーマンスを始める。1つのテーマを元にしてバリエーションを作り、テーマがどう展開していくかを生徒に弾いてみせたりもする。ソフトばかりでもなぁ、ハードもなくては・・・と、爆音を炸裂させた即興も弾いてみせたら、どうやら後ろでPolitiken(新聞社)のジャーナリストが聴いていたようで、翌日のPolitikenの中で記事になっていた。

(記事はコチラ:http://politiken.dk/kultur/kunst/ECE2217920/dystre-soestre-skubber-laerere-og-elever-ud-over-graensen/

12時に揃ってランチミーティング。Sisters Academy開催中、私たちパフォーマーはナイフ・フォークの使用は禁止されており、手づかみで食べなければならない。豚肉のオーブン焼きも、魚のバターソテーも、チリコンカーンもサラダもライスも、全部手づかみ。よりsensuous(感覚的)であることを啓蒙する目的。しかし、チリコンカーンのスプーン無しがこんなに辛いとは。食べども食べども永遠にお皿から無くならない。

午後。生徒たちは少し戸惑いながらも、授業の合間にいろんな部屋を覗いてゆく。演劇のクラスでは、私のピアノに合わせて生徒たちが様々な動きを展開していく。

夕方。ミニコンサートを開くと、授業を終えた生徒たちがバラバラと集まってきた。私のピアノ椅子の真横に座って、私の呼吸を感じている子もいる。最後はリクエストに答える形で、彼らの弾いてほしい曲を順々に弾いていくと、目を輝かせて喜んでくれる。

sisters1

(Students listening to my performance. Photo by Diana Lindhardt)

17時。閉校の時間だが、生徒は立ち去りがたいようでなんとなくグランドホールに残っている。18時まで居残りを許し、やっと初日は幕を閉じた。

19時。メンバー全員が揃って夕食。もちろん手づかみ。チキンのバター焼きと苦闘を繰り広げる。今日の報告と、明日の予定を確認。かなりの数のメディアが動き出しており、私は明日やってくるP2の誘導を任される。

それぞれ極度にインテンシブな1日を過ごしたようで、頭痛発症者が続出。日本から持ってきていた頭痛薬をみんなで仲良く(?)飲み、明日の準備をしてから横になった。アラームを午前6時に設定しなければならないのが忌々しい。私は夜行性動物なのに。

2月某日(火)~某日(木)

初日は好奇心と戸惑い、シャイなどが入り混じった表情を見せていた生徒たちだが、2日目からはかなりアクティヴに生徒の方から率先して交流してくるようになった。

スクールナースのところへヒーリングに行く者、サイコマジシャン(プロの精神科医)にタロットカードを視てもらいに行く者、ガーデナーと自然について話す者、我らがリーダー、シスターに自分の受けている授業について話に行く者・・・。

SA2

(Our Psycho Magician. Photo by Diana Lindhardt)

(パフォーマー紹介はコチラ:http://www.erikomakimura.com/2014/03/photo-gallery-%ef%bd%9esisters-academy%ef%bd%9e-vol-1-photos-by-diana-lindhardt/

私の元にもたくさんの学生がやってくる。この学校は音楽、芸術、演劇に力を入れているので、ピアノを弾ける生徒もデンマークの他の学校に比べたら多い。即興に付き合ったり、詩のクラスの生徒の朗読に音楽をつけたり。辛いことがあり過ぎて、音楽に癒しを求めに来る生徒もいる。私が弾いている間、目を閉じてひっそり涙をこぼす生徒もいる。

1625654_647813328599522_382038385_n

(Playing and playing… until the candles burn out.)

授業の間を縫って、雑誌やテレビ、ラジオの取材も多い。11時5分には恒例のパフォーマーと教師たちのミーティング。12時にランチミーティング。午後も常に人に囲まれており、夕食どきまでオンゴーイング。

夕食は19時で、そこで毎朝行われる朝礼で何をするかについて話し合う。毎日日替わりでテーマがあり、ある日のキーワードは”unknown”。パフォーマーは目を布で覆い、何かを求めてさ迷い歩く。何かとは、個性かもしれないし、失ってしまった希望、夢かもしれない。絶望かもしれない。下のリンクは、木曜日の朝のリーチュアルの模様。

http://politiken.dk/poltv/nyheder/kultur/ECE2225349/elever-goer-store-oejne-til-roegfyldt-morgensamling/

パフォーマー間にも強い連帯感が生まれ始め、夕食後の交流のひと時が毎日の楽しみとなる。飲み物がアップルジュースしかないため、私たちは毎晩学校を抜け出して、スーパーにワインを買いに出かける。持ち帰って、中庭でコルクを開ける楽しさ。

お互いのプライベートは殆ど知らないまま共同生活が始まったが、みんな驚くほど素敵な人たちで、ありとあらゆる話に花が咲く。水曜日の晩はパラドクスについて盛り上がった。1人のパフォーマーとは共通点が多く、私たちの特徴として、インテレクチュアルな人物が好物なくせに、いざ話してみると大半のインテリゲンチャが「知的自慰行為(intellectual musterbation)」を行っているように思えて気が滅入る、という点が上がった。嗚呼、パラドクス。本の虫だった人の持つ、典型的な現象である。

疲れているし、次の日の講義の準備もあるのに、みんなとの交流が面白く、就寝時間がどんどん遅くなるという日々。

1798393_648767898504065_1060358396_n

(Dear Psycho magician,tell me my fortune!)

2月某日(金)

“Sisters Academy”オープンハウス。そして私にとっては最終日。アカデミーは来週も続行されるが、私は日本でのリサイタルのため、今週のみの参加となっていたのだ。

文化省や大学機関、各雑誌社のエディターなど、何百人の重要なゲストたちがやって来る。それと並行して、私は音楽のクラスでの演奏、さらに”discipline(自己を鍛える)” についての講義を半時間ほどして欲しいと頼まれている。合間合間に詩のクラスの生徒や美術のクラスの生徒によるインタビューもあり、ランチを取る暇もないまま仕事に追いまくられる。日本の庭についてのレクチャーも頼まれた。去年訪れた竜安寺と大徳寺についての知識をありったけかき集める。私は思うのだが、雑学ほど人を助けるものはないのではあるまいか。マーラーの第5交響曲について専門的な知識があったところで、一体何になるのだ・・・。

午後4時、最後のゲストが去るや、私はピアノ椅子に崩れ落ちた。ほかのパフォーマーもピアノの周りに倒れこみ、死んだように横たわっている。Sisters Academy1週目が幕を閉じた。まったくなんという日々だったのだろう。

やがて一人のパフォーマーが私のドレスの裾を引っ張って言った。ショパンを弾いてくれないか。

息をするのも苦しいほど疲れていたが、暫く目をつぶって呼吸を整えると、ワルツを引き始めた。続けてマズルカ、バラード、またワルツに戻って立て続けに3曲、雨だれ、ポロネーズ・・・。

小1時間も弾いていただろうか。最後の1音を弾き終わると、しばらく静寂が私たちを包んだ。やがて、みなはゆっくり起き上がり、ありがとうとでも言うように、私に優しい微笑みを向ける。自分自身も何か憑き物が落ちたような気持ち。自らが弾く行為によってカタルシスを感じるというのもそうそうないことだ。よほど疲れていたのか。

軽く食事を取ると、それぞれ車に分乗し、一路コペンハーゲンへ向かう。車内ではみんな言葉少なだった。

2時間後、私は呆然と車から降りた。

体は鉛のように重いのに、神経だけは冴え渡っていてすぐに眠れそうにない。友人からちょうど連絡も入ったことなので、私たちは連れ立ってワインバー、Bibendumへ向かった。1杯のはずが、2杯、3杯とグラスを傾けてゆく。下界と閉ざされていた5日間のあとのシャンパンが、すごい勢いで細胞の中に吸収されてゆく。細胞の1つ1つが快哉の雄叫びを上げている。

帰宅してお風呂に湯を溜める。酔いのせいで手元が狂い、大ボトル半分もの入浴剤をバスタブにぶちまけてしまった。バスルーム中、天井に届きそうなほど泡だらけになり、私を慌てさせた。

3月某日(土)

7時起床。這うようにしてベッドから出て、キッチンに直行。エスプレッソマシーンで立て続けに2杯カプチーノを淹れ、一息つく。朝9時からリハーサルの予定が入っており、ぐずぐずしていられない。場所はFrederiksberg Haveに位置する Møstings Hus。目の前に鴨がたくさん泳ぐ小さな池の広がる、とてもチャーミングな建物だ。明日はここでコンサート。

mos2( Møstings Hus)

つつがなくリハを終え、街中でデザイナーとのクイックランチミーティングを済ますと、レッスン場所に直行する。非常に聡明なハイティーンの彼女との、年齢を超えた交流を私はいつも心待ちにしているのだ。

今回もまた深く長く話し込んでしまった。話し足りない心地がしたが、今夜はもう1つ約束がある。電車で移動。

移動。移動。移動。

そう、ここ10年、私はいつもいつも移動している。車で1日1,500km移動したこともある。オーストリア、スウェーデン、ドイツと1日で移動したこともある。練習以外の時間で、じっとしていた時などあったためしがないのではないか。

待ち合わせ場所のレストランに行くと、友人が手を上げて合図を送ってきた。優待券があるから、とディナーに招待して頂いているのだ。この1週間、プロジェクト期間中の食生活は非常に乏しかった。どの料理も感動的に美味しい。西洋ワサビがピリッと効いたスピナートとケールのソテーが気に入った。野菜も私の食生活から長らく欠乏していた。

土曜の夜というので、知り合いも何人か見受けられる。彼らと短い挨拶を交わしたり、軽く手を振ったりしているうちに、ふと「一期一会」というのは英語でなんというのだろうという疑問が頭をよぎった。携帯で調べてみると、 “for this time only”, “one chance in a lifetime”, “treasure every meeting for it will never recur”とある。どれも少しずつ違うように思うが、友人にその言葉の意味を教える。茶道における1つの心理、境地だと。

楽しい時間を家族や友人たちと過ごしたあとはいつも、私は生きているのではなく生かされているのだと、帰宅して暫し鏡の中の自分を見つめる。

3月某日(日)

コンサートの日。朝8時に覚醒。体が墓石のごとく硬直し、果てしなくだるい。死んだ鯖になったような気分だ。

このまま横たわっていたら私は本当に腐乱し始めていただろう。のろのろと体を起こし、バスルームの扉を閉める。たっぷり湯を張り、その中へぶくぶくと頭を沈めてみる。死んだ鯖から、死にかけの鯖くらいにまで気分が回復しところで湯から上がり、キッチンで紅茶を淹れると深いため息が漏れた。

しかし、血の気のない顔に化粧をし、昨日選んでおいた20年代風のブラックドレスを着て、気に入りのピアスを留め付ける頃には、死にかけの鯖は元気のない秋刀魚くらいには活力を取り戻して、コンサート会場へと向かった。11時半開演。ありがたいことに、会場は満員御礼。

数年会っていなかった友人がコンサートを聴きに来てくれたため、自分の番が終わると私たちはコーヒーハウスへ足を向けた。近況を報告しあう。彼はコペンハーゲンに数々の旋風を巻き起こした、知る人ぞ知る伝説の男である。その伝説は今も人々の口から口へと語り継がれている。ノーリミット、ノーコントロール。でも、私は彼が好きだ。果てしない探究心と好奇心が、彼をいろんな狂気へと走らせるだけだ。

彼と別れると、音楽家たちとの慰労ランチの場所へ向かい、楽しいひととき。そして次はレッスン場所へと走り、2人にピアノのレッスン。

このあたりで、少し動悸がし始めた。明日、また日本へのロングフライトが待っているのに、そして何一つパッキングしていないのに、私はこれから友人の参加するコンサートを聴きに行かねばならないのだ。

ゲストリストに名前を載せてくれている彼女の厚意を無駄にするわけにはいかない。その上、メインアーティストは私が愛するドイツのバンド、Einsturzende Neubautenのボーカル、Blixa Bargeldなのだ。

丹田にぐっと力を込めると、肩がツンと張ったミニドレスに着替え、髪をブラッシングし、新しいストッキングの包みを開けて取り出した。リップペンシルで縁を取り、クリスマスプレゼントに親友から貰った真っ赤なシャネルルージュを塗る。女にも武装が必要な時がある。

会場に着くと、たくさんの知った顔があり、来てよかったと心から思う。コンサートのキュレーターもお世話になっている人で、近況を報告し合った。

コンサートはとてもよかった。Bargeldのマニック性、フリーキーなカリスマ性は、虜になる。毒々しい男。

1921240_648679625179559_1764947151_o

(Blixa Bargeld and Messer Quvartetten)

帰ったら夜中の0時。それからパッキングし、気を失ったか突然眠りに落ちたかのどちらかの現象が私を襲った。

3月某日(月)

再び飛行機の中。日本では2、3のコンサートが私を待っている。そのあとはコペンハーゲンでソロリサイタル。去年、2014年は少しペースを落とそうと決めていたのに、なんなのだろう。休息という贅沢はまだまだ許されていないらしい。

日本に着いたら、まずは眠ろう。赤ん坊のように1日中眠るのだ。初日に空港まで迎えに来てくれた友人は、あのあと数日後に元気で可愛い男の子を産んだ。ベイビーMもミルクを飲む以外は1日すやすや眠っているだろう。

次にコペンハーゲンに戻って真っ先にすること ー ベイビーMとそのママ、パパに逢いに行く。

Sisters Academyに関するメディア掲載

【Politiken.dk】
http://politiken.dk/kultur/ECE2207627/gymnasie-skole-i-odense-gaar-med-i-ekstremt-eksperiment/

http://politiken.dk/kultur/kunst/ECE2217920/dystre-soestre-skubber-laerere-og-elever-ud-over-graensen/

http://politiken.dk/kultur/ECE2230946/elever-skriver-takkebreve-til-skole-performere/
http://politiken.dk/kultur/ECE2225203/laererhjerte-danser-af-glaede-over-eksperiment-i-odense/

【Politiken.dk video】
Our morning ritual here: http://politiken.dk/poltv/nyheder/kultur/ECE2225349/elever-goer-store-oejne-til-roegfyldt-morgensamling/

http://politiken.dk/poltv/nyheder/kultur/ECE2213081/sisters-academy-vil-inspirere-morgendagens-mindset/

【Kopenhagen.dk】
http://kopenhagen.dk/no_cache/magasin/magazine-single/article/sisters-academy-an-aesthetic-educational-system/?fb_action_ids=650294331684755&fb_action_types=og.likes&fb_source=feed_opengraph&action_object_map=%7B%22650294331684755%22%3A257632424403807%7D&action_type_map=%7B%22650294331684755%22%3A%22og.likes%22%7D&action_ref_map=%5B%5D

【sistersacademy.dk】
http://www.facebook.com/l.php?u=http%3A%2F%2Fsistersacademy.dk%2Fpress%2F&h=MAQEa_1wY

家を出てから既に25時間。飛行機はようやくカストロップ空港に向けて着陸態勢をとり始めた。
関空発パリ経由コペン着。トランジットも含めると、このルートはひどく長くて疲れる。
関空で重量超過料金を課せられたスーツケースを受け取り、出口に向かう。出発前も日本で何かと忙しく、寝不足の日が続いていた。一刻も早く靴を脱ぎたい。そして、旅の際にいつもうっそりとつきまとうメランコリーをシャワーでざっと洗い流してしまいたい。
メトロの方へと歩きだすと突然、”Eriko! Eriko!!” と誰かが何度も私の名を呼ぶのが聞こえた。驚いて声の方向へ目をやると、今にも生まれそうなほど大きなお腹をした友人が笑顔で大きく手を振っている。
「びっくりした?サプライズで迎えにきちゃった。今夜はまだ生まれそうにないし」
私は驚きと嬉しさで彼女をぎゅっと抱きしめてから、大きなお腹に頬ずりした。生まれてきたら私はこの子を舐めるように可愛がるだろう。居心地がよいのか、予定日を過ぎてもお腹に居座っているベイビーボーイ。早く出ておいで。
外に出ると、彼女のボーイフレンドも車の横で大きく手を振っているのが見えた。

Program Note for Piano Recital “Masochism Tango” (1st half)

・Introduction  1′

catherine7

・F. Liszt

Nuages Gris  3′

纏足(てんそく)を施された足というのは異形の美の極みとされる。

10cmに満たない小さな纏足は特に美しく官能的であるとされ、『三寸金蓮』と呼ばれて唐の昔から清朝まで、男たちによって陶然と愛でられてきた。

纏足の女性はうまく歩けないので、ゆらゆらと秋桜のように頼りなげに揺れながら室内を移動した。

閨房で自分の妻や愛人の纏足を愛撫することは、男がその女を完全に支配下に納めたという意味である。

そして女にとって纏足に触れられるというのは、裸体を見られるよりずっと恥ずかしい。

纏足を巻く布を男がはらはらと解き始めると、女は羞恥に息も絶え絶えとなり、男は法悦のあまり脳髄が溶解して毛穴からだらだらと溶けて流れ出るのを感じる。

このまま自分の脳髄と汗にまみれて溺れ死んでもかまわないとさえ男は思う。

Cathrine Raben Davidsen - Bad Luck, 2008

・S. Barber

Excursions  4′

ほんの数日のつもりで出た旅なのに、もう2世紀近くも彷徨している。

catherine8

Hesitation Tango 4′

昨夜、バルで安物のウィスキーをしこたま飲んだ後、安宿に帰る途中でのこと。

前を歩く女の脚の美しさを視界の端が捕らえた瞬間、ただでさえ酒毒に冒された理性は脆くもあっけなく瓦解した。

一晩16ユーロの部屋に強引に連れ込んで、ハイヒールを乱暴に脱がせ、ギシギシ嫌な音をたてる蚕棚のような寝台に女を押し倒す。

しかし、いくら酔っていたとはいえ、スカートをはぎ取ってその脚を開くまで、女が実は男であることに気づかなかったのは全くの迂闊であった。

すっかり酔いも醒め、下着一枚で窓枠に腰掛けて月を見ながら煙草を吸っていると、件(くだん)の女だか男だかが床から起き上がる気配があった。

立ち上がって暫くじっとしているようだったが、やがて彼は静かに踊り始めた。

青ざめた月光が照らす中、踊り続けるその姿には倒錯的な美しさがあるように思えた。

まだこめかみの辺りにいじましく酔いが張りついているのかも知れぬ。

映画『気狂(きぐる)いピエロ』の主人公の名前がどうしても思い出せない。

catherine3

・F. Chopin

Waltz Op.69 No.2 b minor

Waltz KK IVa Nr. 15 e minor

Etude Op.10, Nr.3 E major “Farewell”   11′

ショパンのような作曲家とは、本当は20代半ばあたりで訣別すべきだったのだ。

アンビヴァレンツな惑いを見せる自分の心から目を逸らす。

catherine4

・G. Ligeti

Musica Riccercata   3′

「最近、夫がもっと家計を引き締めろとうるさく言いますの」

「まあ、煩わしいこと」

「宮廷に出入りする身としては、いつも同じ衣装というわけにはいきませんでしょう?」

「その通りですわ」

「理解がない夫を持つと気苦労が絶えませんことね」

「本当に。お察し申し上げます」

「・・・どうにかならないものかしら?」

「砒素でよければ宅にたんまりとありますけれど」

「あらそれは素敵。今度のお茶会にお持ち下さる?」

「勿論ですとも。お役に立てて光栄ですわ」

Cathrine Raben Davidsen - The Fortune Tellers, 2008

・S. Prokofiev

The Dance of The Knights from Romeo and Juliet  5′

ロミオもジュリエットも平凡な人型の典型である。

だからシェイクスピアは、両家を対立させて困難な状況をお膳立てして、せめて悲劇の体裁を整えたのである。

catherine5

・S. Rachmaninov

Prelude Op. 23-5 g minor   4′

19世紀帝政ロシア時代、青年貴族たちの間には『メランコリア』という名の伝染病が蔓延していた。

良家に育った箱入りの青年たちは、ある年齢に達すると決まって人妻に恋に落ち、その女性の名前は判で押したようにみなアンナ・カレーニナといった。

アレクセイもセルゲイもミハルもみなアンナ・カレーニナという名の人妻に溺れていった。

アンナの夫は名誉のため青年たちに決闘を申し込み、青年たちは決闘そのものより、アンナに書き遺す恋文の冒頭が思い浮かばぬことに懊悩し、苦渋の眠れぬ夜を過ごした。

やっと気の利いた文句が閃くと狂喜し、フランスからの舶来の美しいレターペーパーに、綴りに気をつけながら慎重にそれを書きつけた。

涙のシミもバランスに神経を配りながらところどころにつけた。

どうしたら涙で美しくインクを滲ませられるかの研究が進み、涙の成分が科学的に解明されていった。

国産の紙が練習用として何枚も消費され、おかげでロシアは慢性の紙不足に陥り、紙幣の印刷にも事欠くようになり、国内経済の均衡が急激に崩れ始めた。

紙節約令が皇帝の名のもと何度も発令されたが、さほど効果はなかった。

一方で、涙の方は青年たちが無尽蔵に貯蓄していたので特に何の問題も起きなかった。

さて、決闘が何らかの理由で未遂に終わり数年経つと、青年たちは次々に若い娘と結婚していった。

写真の中の彼らは本当に幸せそうで、花嫁の細い胴は軍服姿の花婿の力強い腕に搦め取られていた。

その頃、アンナはどうしたのか。

曾てコルセットで締め上げられた53cmのウェストは、ここ数年でcmからmへの劇的な単位の変貌を辿らずにはいられなかったが、アンナは幸せだった。

『メランコリア』とは、多感な青年貴族たちの脳の前頭葉に描き出される一過性の幻影であることを、彼女はよく知っていたのである。

アンナはまた物理的な快楽を純粋に楽しめる希有の女性で、青年たちのメランコリアを餌として喰み尽くす獏(ばく)のような生き物でもあったのだ。

記憶の中に棲む女はいつもとても美しい。

catherine6

To be continued…

All artwork: Catherine Raben Davidsen

WordPress Themes