七つの大罪Vol.1「憤怒編」ピアノリサイタル 2014年7月19日(土)


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日時:2014年719日(土)開演:13:30 (開場:13:00)

場所:神戸文化ホール中ホール

アクセス等はコチラ:http://www.kobe-bunka.jp/hall/contents/access/

入場料:前売り3,000円 (当日3,500円) 中学生以下2,000円(当日2,500円)全席自由

チケットお問合せは、神戸文化ホールプレイガイド(078-351-3349)または、メール:77deadlysins77@gmail.com (牧村英里子)まで。

マネジメント:KONTA Inc. (0797-23-5996)

【プログラム】

Lera Auerbach from Prelude for Piano
Annie Gofield: Blooklyn October 4,1941
Manuel de Falla: Fantasia Baetica
Sergei Prokofiev:: The Dance of the Knights
Charles Ives: Variations on “America”
Frederic Chopin: Nocturne No.  flat Major, Waltz No.
Federic Rzewski: Winnsboro Cotton Mill Blues
七つの大罪シリーズVol.1「憤怒編」はピアノソロリサイタル。「憤怒」に比肩する動物は「ユニコーン、ドラゴン、狼」で、私はポスターの写真では狼の毛皮を纏(まと)っている。今回弾く七作曲家の作品の間と間を、グレゴリオ聖歌のひとつ、「Dies Irae 怒りの日」で繋いでゆく。あたかもプロムナードの役割を果たすように。曲間に演奏される、様々にアレンジされた七回の「Dies Irae 怒りの日」を楽しまれたい。
怒りにもさまざまな種類がある。噴火するような怒りもあえば、諦念を含んだやるせない怒り、復讐を誓った怒り、侮辱された時の怒り、恋を燃え立たせるための嫉妬の怒り、微笑みに擬せられた裏の憤怒。
中世の吟遊詩人、トルバドゥールになった気で、愛や悲しみや裏切り、時には法悦から引き起された「憤怒」の物語を紡いでみようと思う。
Lera Auerbach from Prelude for Piano
彼女の恍惚状態はその後小半刻を過ぎても一向に止むことなく、次第に心配になり始める。
「大丈夫かい?」
「ええ、大丈夫よ。もう暫くそっとしておいて」
「でも・・・あまりに長く続くから」
「そのうち神託が降りるかもよ、シビラのように」
「・・・シビラ?」
「知らないの?巫女シビラを。恍惚状態で神託を伝えた古代の巫女よ。ああ、私にはユダヤの血が濃く流れているの」
「・・・」
「貴方には必ず裁きの斧が振り下ろされる日が来るわ。私をこんなに堕落させて。貴方の「Dies Irae」をいまかいまかと待っているのよ、私」
そう言うと、彼女は横たわったまま震えるような細いソプラノで歌い始めた。
怒りの日、その日は
ダビデとシビラの預言どおり
世界が灰燼に帰す日です
審判者が現れて
すべてが厳しく裁かれる時
その恐ろしさはどれほどでしょうか
・・・彼女はいつか必ず私を殺す。考え得る最も残忍な方法で。
Annie Gofield: Blooklyn October 4,1941
Manuel de Falla: Fantasia Baetica
1939年、アルハンブラ宮殿近くに住まうファリャは、震える手で最後の音符を五線紙に書き入れた。ペンが床に落ち、インク壺のふたが乱暴に閉じられる。
半分ほど空いた赤ワインのボトルをインクに汚れた手で引っ掴み、一気に残りの液体を瓶から喉に直接流し込んだ。手の震えはまだ止まない。 机に転がった幾つかの乾涸(ひから)びたイチジクを口に運びながら、耐え難いほどの虚無感がひたひたと彼の足を這い登ってくるのを感じる。作品を仕上げた後はいつもこうだ。
親友の詩人、フェデリコ・ガルシア・ロルカがファシスト、フランコ率いるファランヘ党によって銃殺に処せられたのは、もう3年も前になるのか・・・。あの男の燦然と輝く才能。あの強烈な個性と至高の芸術性・・・。
“La vida breve.” 独りごちてみる。はかなき人生。若き日に書いたオペラの題名だ。当時まだ軽薄な青二才だったとはいえ、なんという名のオペラを書いてしまったのだろう。
18年もの長きに渡り、自分はグラナダで隠遁生活を続けた。去勢されたふりをしながら細々と生きながらえてしまった。 ロルカのように、華々しく芸術家として銃弾に倒れることもなく、何が「はかなき人生」だ。忌々しさから、床に痰を吐いた。
ちょび髭の独裁者が牛耳るスペインを捨てて、アルゼンチンへ亡命しよう・・・。決意を固めるとがたんと音を立てて椅子から立ち上がった。外套を羽織って帽子を被り、外へ出る。
今夜は理性が吹き飛ぶまで酒を飲まずにはおられない。

★Lera Auerbach: 24 Preludes for Piano

★Annie Gosfield: Brooklyn October 4, 1941

★Manuel de Falla: Fantasia Baetica

★Sergei Prokofiev: The Dance of the Knights

★Charles Ives: Variations on “America”

★Chopin: Nocturne No. 8 D flat Major, Waltz No.7 c sharp minor, Mazurka No.13 Op.17 no.4

★Federic Rzewski: Winnsboro Cotton Mill Blues

【「七つの大罪」シリーズVol.1 「憤怒編」について】

「七つの大罪」シリーズ~カタルシスへの旅 Vol.1「憤怒(ふんぬ)編」は私、牧村英里子によるピアノソロリサイタルです。

七つの大罪についてはコチラ→「七つの大罪」 ~カタルシスへの旅~

「憤怒」を象徴する動物は「ユニコーン、ドラゴン、狼」で、私はポスター用の写真撮影にはの毛皮を纏(まと)って挑みました。

「七つの大罪」シリーズは、毎回七作曲家を取り上げ、その作品と作品の間をグレゴリオ聖歌のひとつ、「Dies Irae 怒りの日」であたかもプロムナードの役割を果たすように繋いでゆきます。曲間に演奏される、様々にアレンジされた七回の「Dies Irae 怒りの日」をお楽しみ下さい。

怒りにもさまざまな種類があります。噴火するような怒りもあれば、諦念を含んだやるせない怒り、復讐に狂った怒り、侮辱された時の怒り、恋を燃え立たせる嫉妬から引き起こされた怒り、微笑みに隠された裏の憤怒。

中世の吟遊詩人、トルバドゥールになった気分で、愛や悲しみや裏切り、時には行き過ぎた法悦から引き起された「憤怒」の物語を紡いでみようと思います。

末尾になりましたが、このプロジェクトを推進するにあたり、獅子奮迅の働きをして下さった笠間妙子さんに、心よりお礼申し上げます。

牧村英里子

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(神戸新聞社様、リサイタル情報を掲載して下さいまして有難うございました。)

【プログラムノート】

★Lera Auerbach:  from24 Preludes for Piano

アウエルバッハ:24のプレリュードより

彼女の恍惚状態は、その後小半刻を経ても収まりを見せず、私は次第に心配になり始める。

「大丈夫かい?」

「ええ、大丈夫よ。もう暫くそっとしておいて」

「でも・・・あまりに長く続くから」

「そのうち神託が降りるかもよ、シビラのように」
「・・・シビラ?」
「知らないの?古代の巫女シビラを。恍惚状態で神託を伝えた古代の巫女よ。ああ、私にはユダヤの血が濃く流れているの」
「・・・」
「貴方には必ず、裁きの斧が振り下ろされる日が来るわ。だって私をこんなに堕落させたんですもの。貴方の『Dies Irae』をいまかいまかと待っているのよ、私」

そう言うと、彼女は目をつぶったまま、震えるような細いソプラノで「Dies Irae」歌い始めた。

怒りの日、その日は

ダビデとシビラの預言どおり

世界が灰燼に帰す日です

審判者が現れて

すべてが厳しく裁かれる時

その恐ろしさはどれほどでしょうか

・・・彼女はいつか必ず私を殺す。考え得る最も残忍な方法で。

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(月満ちた夜の絞殺)

★Annie Gosfield: Brooklyn, October 5, 1941  for Piano, Baseballs, and Baseball Mitt (1997)

ゴスフィールド:ブルックリン、1941年10月5日

1941年10月5日、アメリカはブルックリン。野球のワールドシリーズ第4戦目の今日、ブルックリンのエベッツフィールド・スタジアムは嵐のような狂気に渦巻いていた。

ニューヨーク・ヤンキースvs. ブルックリン・ドジャース。過去3戦の成績はヤンキース2-ドジャース1で、ナショナルリーグは1920年以来21年ぶりの出場となるブルックリン・ドジャースにとって、今日の試合は絶対負けられない1戦なのだ。

8回裏までの結果は、ヤ3-ド4。地元ドジャースがリードしている。まだまだ油断はできないが、試合はこちらに有利に進んでいる。ブルックリン市民の熱狂的な応援にますます拍車がかかった。

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(The photo taken in 1940’s. )

9回表。ブルックリン・ドジャースの投手、ヒュー・ケイシーの放った球は、見事な放物線を描きながら名キャッチャー、ミッキー・オーウェンのグローヴに収まる筈であった。少なくともブルックリン市民全員が、そんなことは肉屋に行けば肉が買えるのと同じくらい当然のことと思っていた。

それなのに。

悪夢が起こった。

ニューヨーク・ヤンキースはその回に4点を加点し、呆然としたブルックリン・ドジャースが9回裏に1点も入れられぬまま試合は終了。

スタジアムでは、失望に取って代わられたブルックリン市民の憤怒が爆発した。ヤンキースファンとの間に取っ組み合いの喧嘩が始まり、あちこちで血しぶきが噴いた。

ブルックリン市民の怒りはひとえにこれから弾くこの一曲に凝縮されている。

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(ピアノ、ミット、私)

★Manuel de Falla: Fantasia Baetica (1919)

デ・ファリャ:アンダルシア(ベティカ)幻想曲


ファリャがアンダルシア幻想曲を書いてちょうど20年後の1939年。アルハンブラ宮殿近くに住まう彼は、震える手で最後の音符を五線紙に書き入れた。ペンが床に落ち、インク壺のふたが乱暴に閉じられる。

手の震えが止まらない。 机に転がった幾つかの乾涸(ひから)びたイチジクを口に運びながら、耐え難いほどの虚無感がひたひたと彼の足を這い登ってくるのを感じる。作品を仕上げた後はいつもこうだ。

詩人の親友、フェデリコ・ガルシア・ロルカがファシスト、フランコ率いるファランヘ党によって銃殺に処せられたのは、もう3年も前になるのか。あの男の燦然と輝く才能。あの強烈な個性と至高の芸術性・・・。

“La vida breve.” 独りごちてみる。はかなき人生。若き日に自分が書いたオペラの題名だ。作品はパリの観客の間に熱狂を巻き起こし、彼は一躍時の人となった。

だが。

当時まだ軽薄な青二才だったとはいえ、なんという名のオペラを書いてしまったのだろう。“La vida breve.” はかなき人生。

18年もの長きに渡り、自分はグラナダで隠遁生活を続けた。去勢されたふりをしながら細々と生きながらえてしまった。 ロルカのように、華々しく芸術家として銃弾に倒れることもなく、何が「はかなき人生」だ。忌々しさから、床に痰を吐いた。

チョビ髭の独裁者が牛耳るスペインを捨てて、アルゼンチンへ亡命しよう・・・。決意を固めるとがたんと音を立てて椅子から立ち上がった。外套を羽織って帽子を被り、外へ出る。

敬虔深いファリャは、教会に向かって歩を早める。彼の生誕地で現在も居を構えるアンダルシアは、古代ローマ時代にはラテン名で「ベティカ」と呼ばれた。フラメンコを生んだ、明るい陽光のさんざめく、誇り高きアンダルシア。まるで、詩人ロルカそのもののような。

この美しい地の静謐(せいひつ)を軍靴で踏みにじったチョビ髭フランコに対する、目の眩むような憤(いきどお)りを沈めるため、教会で祈る。声が枯れ尽きるまで。

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(独裁者、フランシスコ・フランコ。独裁者はチョビ髭を好むようだ)


★Sergei Prokofiev: The Dance of the Knights

プロコフィエフ:騎士の踊り

セルゲイのことを、妻である私をKGB(秘密警察)に「売って」自らの潔白を証明したと批評して、軽蔑の目を向ける人も少なくない。

・・・本当にそうだったのかしら。

1941年3月15日、セルゲイはトランクを1つ提げて家を出ると、再び帰ってくることはなかった。セルゲイと24歳年下のミーラ・メンデリソンとの愛の前に、私と息子2人はなす術もなかった。3ヵ月後、ドイツ軍がソビエトに侵攻。セルゲイとミーラは国家の庇護下にあって、いち早く安全な場所に疎開したわ。私と息子たちは4年間、モスクワで空襲に怯えながら肩を寄せ合って暮らした。

終戦まで生き延びることができて、運がよかったわ。だけど、悪夢は終わらなかった。1947年、セルゲイは私との離婚を裁判所に申請。裁判所は、彼と私の結婚はそもそも無効であると裁決。私たちはアメリカで出会い、そこで結婚したので、国外で提出された婚姻届はソビエト国内ではなんの効力も発揮しないとのこと。

結婚「していなかった」セルゲイにはもちろん「離婚」届は不要で、翌年1948年、彼はさっさとミーラと結婚。

そして2月20日。

郵便配達の電話でアパートの下に降りたところ、私は身柄を拘束され、連行された。行き先は、スターリン秘密警察(KGB)本部だった。

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(若い頃のスターリン。見事な七三ね)

私の容疑はスパイ工作。セルゲイとともに西側諸国を演奏旅行で回っている時に、西側の高官と接触して、国家の重要事項を漏洩した疑いがかけられ、結果は有罪。私は強制収容所での重労働20年の刑を宣告された。

北緯66度に位置する収容所に送られ、そこで地獄を見た。蛇足ですけれど、北極圏の限界線となる北緯66度33分線を北極線というのよ。ラーゲリはまさにその線上にあった。だけど、私は死ななかった。1956年にようやく釈放されるまで、生き延びたわ。

収容所で寒さに凍えながら労働に従事している時、セルゲイの音楽の断片がパラフレーズとなって、いつも頭の中で鳴っていた。あの豊かな叙情のメロディー。ロシア人特有のメランコリー。シンデレラ、ピアノ協奏曲、ロミオとジュリエット・・・。

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(セーラー服のまだあどけなさ残るセルゲイ。彼はチェスをこよなく愛した)

そう、1936年に初演されたバレエ「ロミオとジュリエット」だけど、完成1年前の段階ではハッピーエンドになるよう筋書きしていたのよ、セルゲイは!私は笑ってしまった。空前絶後の文学の神であるシェイクスピアの最も人気作品の結末だって、彼は平気で変えてしまう人なの。その理由というのが、バレエの振付において、生きている人は踊ることができるが死者は踊れない、といういかにも彼らしいものだったわ。

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(時を経てなおチェスを愛するセルゲイ。お頭はちょっと寂しくなられたわね)

セルゲイは、1953年3月5日に死んだ。

彼の人生における最大の皮肉は、彼があれだけ恐れたソ連の独裁者スターリンが、彼と同年同月同日に死んだことね。

ミーラだってとっくの昔に死んだ。
彼のことを怒っているかですって?とんでもないわ。何故そんな馬鹿なことを聞くの?彼は死んで、私は生きているのよ。これほどの勝利があって?

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(Lina Prokofiev)

★Charles Ives: Variations on “America”  (1891)

アイヴス:アメリカ変奏曲

私はかなりのうっかり者である。友人宅を訪れて、さてお暇(いとま)して駅に向かっていると、「英里子さーん、靴を履き忘れていますよー」と、先ほどの友人が息せき切って追ってくることが何度かあるほど、うっかりしている。

なので、アイヴスの「アメリカ変奏曲」の楽譜が届き、主題をパラパラと弾いている時、「あら?これってイギリス国歌の『God Save the Queen』じゃないかしら?またいつものうっかりで、アメリカのつもりがイギリス変奏曲を買ってしまった」くらいにしか思っていなかった。

ところが、(珍しく)私は間違っていなかった。グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国、通称イギリスの国歌、「God Save the Queen」を主題としたアイヴスのこの曲は、正真正銘「アメリカ変奏曲」と名づけられているのだ。

アメリカ国歌「星条旗」の由来をたどると、1812年~14年の米英戦争まで遡(さかのぼ)る。捕虜となった友人の釈放交渉のため、イギリスの軍艦に出向いた詩人で弁護士のフランシス・スコット・キーは、夜間砲撃後の夜明けの曙光の中で、味方の砦の上に星条旗が翻(ひるがえ)るのを目にする。

激しい砲撃にも関わらず、砦が死守された事に感銘を受けたキーは、その思いを高らかに謳い上げた詩を創作した。この詩はさらに、当時人気のあった酒飲み歌「天国のアナクレオンへ」のメロディに合わせてアレンジされていった。

そして1931年3月3日、キー作詞の「星条旗」がアメリカ合衆国の国歌として正式に採用された。

つまり、アイヴスの「アメリカ変奏曲」が作曲されたのは1891年当時は、あれだけ死闘を繰り広げた憎きイギリスの国歌を、ためらいもなく「アメリカ変奏曲」の主題に用いたほど、アメリカ国歌はまだあいまいな状態だったようだ。

アイヴズは、存命中は大して相手にされなかったが、現代においては大変な人気作曲家である。そんな今、このイギリス国歌の主題による「アメリカ変奏曲」は、本国アメリカでは、彼らが愛する「ブラックユーモア」として愛聴されているのだろうか。熱烈な愛国者たちは、行き過ぎた冗談として、この曲が流れるとこめかみの辺りにうっすらと怒りの静脈を浮き立たせるのかもしれない。

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(America! この曲を弾くときの足元はもちろん英国ユニオンジャックのハイヒール)

参照:

The DoorsのクールなGod Save the Queen(27’55”):https://www.youtube.com/watch?v=gB37g7al-F4

Jimmi Hendrixの感動的なギターソロ、The tar pangled Banner :https://www.youtube.com/watch?v=sjzZh6-h9fM


★Frederic Chopin: Mazuruka Op.17 no.4, 他

ショパン:マズルカ 他

ショパンの秘められた憤りについて、怒りについて書こうと、来る日も来る日も呻吟し続けたが、私はついに筆を放り出した。

フランス王の愛妾たちが一斉に宝石箱の中身を撒き散らしたかのように、燦然と煌くような筆致が冴え渡る平野啓一郎氏の著、「葬送」を読んでしまった後に、ショパンについて書ける勇気など私にはない。

この本は、当時の留学先ベルリンに父が送ってくれた。私は貪(むさぼ)るように読み、鬼才とはこういう作家のことを言うのかと唸った。ショパンがピアノを弾く瞬間を捉(とら)える描写はいささか流麗に過ぎるほどで、もはや彼の曲そのものを聴くより饒舌であり、ショパンを弾くことから私を一時的に遠のかせたほどだ。

是非、ご一読ください。

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(平野啓一郎氏著、「葬送」)

★Federic Rzewski: Winnsboro Cotton Mill Blues

ジェフスキ:ウィンスボロ綿工場のブルース

フレデリック・ジェフスキーはマルクス主義の政治色濃い作曲家だ。彼のよく知られた作品には、「不屈の民」変奏曲(政治闘争歌 による36の変奏曲)、The Price of Oil (石油価格)、Coming Together( 1971年のアッティカ刑務所暴動の際の、同刑務所服役囚からの手紙に曲付け)、そして今日弾く「ウィンスボロ綿工場のブルース」が入った曲集「ノースアメリカンバラード」など、体制への批判と皮肉、労働者や社会的弱者の側に立つ作品が多い。

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(ある綿工場の家族)

ジェフスキーの「ウィンスボロ綿工場のブルース」の曲の中間部に挿入されるブルースは、作者不詳。1930年代の歌で、歌詞は、ノース・キャロライナの織物工場の劣悪な労働状況を歌っている。

Old Man Sargent, sittin at desk,(老いぼれサージェントが、デスクにすわっている)

The damned old fool won’t give us a rest(このくそったれは、俺たちに休みをくれる気がない)

He’d take the nickels off a dead man’s eyes(やつは死人から小銭を奪った)

To buy Coca-Cola and Eskimo Pies(コカコーラとエスキモーパイを買うために)

I’ve got the blues, I’ve got the blues(ブルース、ブルース)

I’ve got the Winnsboro cotton mill Blues;(ウィンスボロ コットン ミル ブルース)

You know and I know, I ain’t got to tell,(おまえも俺も知っている、俺が教えるまでもない)

You work for Tom Watson, got to work like Hell.(おまえはトム・ワトソンのために働く、死ぬほど働かされるのさ)

When I die, don’t bury me at all,(俺が死んだら、土に埋めてくれるな)

Just hang me up on the spoon-room wall;(ただ、部屋の壁に吊るしてくれ)

Put a gaffer in my hand,(手に親方を握らせてくれ)

So I can spool in the Promised Land.(そうすりゃ、天国でも糸巻き作業ができるってもんだ)

I’ve got the blues, etc.(オー、ブルース)

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(Winnsboro Cotton Mill Blues)

・・・最後に、激しい怒りをどことなく瓢(ひょう)げたユーモアに昇華させて、七つの大罪Vol.1「憤怒(ふんぬ)編」は幕を下ろす。アンコールには、私がこの世で最もチャーミングだと思う曲を弾かせて頂きたいと思っています。

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Photo Gallery “Dinner at Inkonst Malmö” Photos by Diana Lindhardt

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(Last minutes sound check )

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(Our Hands ((scenographer)) supervising us.)


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(A guest arrived, then the gardener blindfolded her.)

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(“Ready for a poetic journey?”  “Yes.” said he.)

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(Yndlingen deep in his thought while Chain Hands Pianist playing a piece written in a minor.)

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(All of us are eating without cutleries. Egg should be eaten in one bite.)

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(Our School Psychologist pushing up her glasses.)

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(Voila!)

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(Poet Blackbird and protector of Archive reading Marguerite Duras. Chain Hands Pianist accompanying.)

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(Candles are still on. Our feast also keeps going.)

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(Blinkemorder. Who is the murderer?)

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(My potential left hand and a pear compote.)

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(Wine with poison or blood in the bottle? There are only two choices.)

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(Yndlingen singing “Wicked Game”.)

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(The S’ beautiful profile and a lamp with one eye.)

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(When we realized, it was already passed midnight, but our journey continues…)


All photos taken by Diana Lindhardt

Photo by Diana Lindhardt

It is SO me… The photo was taken by Diana Lindhadt while my piano performance. Thank you very much for your wonderful gift, Diana!

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A Three Weeks in April and May in 2014

4月某日(木)

この1ヵ月半、日本での日々が忙しくて睡眠不足の日が続いたせいか、関空からアムステルダム行きの飛行機に搭乗するや否や、ホッと安堵のため息が漏れ、目を閉じる。 数日前、東京の友人と京都で落ち合って過ごした2泊3日の旅の記憶がしきりに蘇る。

12年ぶりに謳歌した日本の春。晩春の、いささか妖艶に過ぎる美女のような趣の京都の美しさを堪能しきった旅であった。

日本からヨーロッパに向かうとき、自分はいつも少しナーバスになるようである。軽く閉所恐怖症の傾向にある私は、暗い機内でゆっくり息を吐き、来る狂奔の3週間に備えて少しでも体力を温存しようと、眠る体制を整えた。

4月某日(金)

日本の伝統色に「勿忘草色(わすれなぐさいろ)」というのがあるが、今日のコペンハーゲンの空はまさに和色の勿忘草色。今年は日本の春と、ほぼ1ヶ月遅れの北欧の春、2度の春を謳歌することが叶った。

あまりの心地良さに、ほとんど陶然となって角のカフェでラテを飲んでいると、何人かの顔見知りが通りかかって「あら、Eriko!お帰り!!」と声をかけてくれる。

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(勿忘草色の空)

カフェを出ると、以前私のコンサートで衣装を手がけてくれたデザイナーに、京都で買ったヴィンテージの金銀糸の刺繍が入った黒の羽織をプレゼントとして渡しに行く。非常に喜んでくれ、早速着てみては胸元にアンティークのいぶし銀で作られたブローチを飾ったりしている。蜂蜜のようなこっくりしたブロンドに渋い墨色の羽織が意外なコントラストとなって、美しい。何度もお礼を言いながら、パテントのハイヒールを鳴らしつつ彼女は颯爽と街へ繰り出して行った。友人の俳優がシアターに出演するので、それを観るのだと言う。羽織の袖がハタハタと視界から消えた。

夕方。金曜日というので、たくさんのギャラリーオープニングに招待され、自転車でギャラリーホッピング。コペンハーゲンに来た年、最初の数ヶ月はそれほど忙しくもなかったので、それこそ何百とギャラリーの展示会を回ったものだ。おかげで、コンテンポラリーアートには随分慣れ親しむことができた。たまたま日本人アーティストの展示会も開催中で、覗いてみる。

夕食は久々にイタリアンレストランに席を取った。私たちの隣に座った男性がちょっとしたきっかけからいろいろ話しかけてきたが、彼が席を外した隙に私の友人が耳打つところによると、かの男性はマインドフルネス(瞑想)認知療法で有名な権威だそうだ。 彼によって鬱病を克服し、非常に感謝する患者もいれば、一方でコカインにまつわる黒い噂も後を絶たないという人物。

私の直感から言えば、そこはかとなく胡散臭いにおいがしたが、聖人のヴェールを被った俗な人間の話というのはなかなか面白いから困ったものである。私たちはなんとなく彼のペースに巻き込まれ、フンフンと最後までご高説を聞く羽目になった。

会計を済ませ、告解室を出た2匹の哀れな子羊たちは神妙な面持ちでお互いの顔を見つめ合う。暫く無言で歩き、その後は降りかけられた聖者の金メッキの胡粉を落とすべく、アルコールでの浄化儀式が必要ということで意見が一致。ニューヨーカーの陽気なバーテンダーが作るカクテルでたちまち元気になる子羊たち。

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踊り疲れて丑三つ時に帰宅。

4月某日(土)

コペンハーゲン桜祭り。今年は例年に比べ開花が早かったせいか、既に半数が葉桜の風情だったが、緑が萌え立ち始める晩春の北欧も美しい。ただ、恐ろしいほどの賑わいで、歩くこともままならず早めに退散。

練習後、夜はパワーガールズたちとの恒例の夕食会。カジュアル志向のコペンハーゲンに峻厳な拒否を表明するが如く、私たち3人は夜出かけるとなると過剰なほどドレスアップする。クリスチャン・ルブタン主催のパーティーがあった時など、私は2mのトレインを引いたドレス、友人は上から踝まで黒とゴールドのブロケード織りのガウンに伯爵夫人の被るような帽子で待ち合わせ場所のレストランに現れ、ウェイターはこのはた迷惑で場違いな客をどうして扱ってか分からず、テーブルの脚に躓(つまづ)いて転ぶわ、水はこぼすわで大変であった。

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(今宵はヴェールを被って)

3人揃いシャンパンで乾杯すると、早速近況アップデートを始める。ひとしきり話していると、私の横に座っていた男性が控えめな様子で会話に加わってきた。聞けば、モントリオールの有名レストランのシェフで、ここ数ヶ月はスカンジナビア・キュジーヌの研究のため、ノルウェー・デンマークの有名どころのレストランを回っているのだという。彼はモントリオールの食事情、私は日本の食文化について情熱の限りを尽くして語りあう。

楽しい夜であった。

4月某日(日)

練習に明け暮れる。

夕食後、オートクチュールデザイナーの友人とお茶をする。彼女は今でも思わず人が振り返るほど美しいが、モデル時代の昔は、ちょっと尋常でないほど蠱惑的な瞳で、彼女を見る者全てを魅了した美の化身であった。また、多くの芸術家たちのアフロディーテでもあった。

彼女は私の二律背反的な性格を直感的に理解しており、下手な同情はしないが経験に基づいた素晴らしい名言を連発する。

私が憧憬する、年上の美しいお友達である。

4月某日(月)

親友との再会&練習。ピアノソロリサイタル”Dies Irae(怒りの日)” まであと4日。

4月某日(火)

コペンハーゲンにはファッションブティックがずらりと並んだ通り(Kronprinsensgade)があり、そこを歩くと必ず知り合いに会うことから「HejHej(ハローハロー)通り」とあだ名されている。

ミーティングに向かう途中、その通りを歩いているとはたして「Hejhej! Eriko!!」と通りの向こうから声をかけられた。顔を向けると私の妹分の友人が大きく手を振っている。歳は離れているが非常に気があって、コペンに戻ったら一番に会いたい人の1人であった。偶然の邂逅を喜び合う。 軒を連ねるブティックの1つに勤めているというので、立ち寄って早口でおしゃべり。彼女とは、アートパフォーマンスと教育を融合させた”Sisters Academy”のメンバーとして、オーデンセで非常に濃厚な2週間を共にした仲だ。

私のリサイタルに来てくれるというので、その時にもっと話そうねと、ミーティングに行く途中だった私は投げキッスしながら足早にブティックを出る。

カフェ、Atelier Septemberでミーティング。この人の物事を見るアングルは本当にインディビジュアルで面白い。

その後は練習。夜はリサイタルのビジュアル・進行について詰めるべく、助演女優を含む何人かと集まってブレイン・ストーミング。

4月某日(水)

練習とレッスンの1日。小学生の生徒が私の弾く様子をビデオに収めて、格好よく編集して見せてくれる。私は感心しきり。彼女は早速そのビデオをInstagramにアップし、すると待っていたかのように幾つかの「いいね!」がつく。私は自分の小学時代を思い出して苦笑した。もはや、平成と昭和の今昔を比べることさえナンセンス。

5月某日(木)

コンサート1日前。入念な練習を終え、Cava Barへ足を急がせる。午後5時。以前フラットをシェアしていた2人の女友達と待ち合わせしているのだ。

春分以降、目覚しく日の伸びているヨーロッパ。仕事後の一杯を楽しもうという人で、カフェやバーは人であふれ返っている。私たちは運良くテラスに席を得て、ロゼで乾杯。

彼女たちとは1年に満たない共同生活だったが、隠れ家のような不思議な空間で暮らした、ひどくインティメイトな日々で、たった半年前まで一緒に住んでいたのにそれはもう遠い遠い昔のことに思われる。毎日何かしら可笑しなことがあり、例えば廊下の靴脱ぎ場はある日突然下の写真のようになる。

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(靴脱ぎ場。真ん中に花瓶。その周りにタロットカードとマトリョーシュカ)

シアターそのものの晩餐会もやったし、モーニングコーヒーを一緒に飲んだり、幾つかの秘密も共有しあった。

思い出話+笑い+Cava3杯。少々足をふらつかせながら、それぞれ次のアポイント場所に向かった。

4月某日(金)

コンサート当日。開演が20時半と比較的遅いため、招待されていたハットエキシビションのプレミアに顔を出すことができた。本日は招待者のみのイベントであるのに、多くのファッション関係、プレスで賑わっており、明日からの盛況を予想させる。

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何人かの友人も作品を出展しており、私も久々に帽子を新調しての参加。

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(新調の帽子をかぶって)

時計を見ると、リハーサル開始まであと15分。慌てて友人たちに別れを告げて、会場までタクシーを飛ばす。

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(リハーサル時の会場、Domeの中からの風景。向こう側に運河)

午後4時、リハーサル開始。全てが順調に進んでゆく。午後6時、サポーター達到着。午後7時、軽く軽食。午後7時半、メイクと着替え。午後8時15分、フォトグラファーがコンサート直前のアーティストを撮りたいと、ポートレイト撮影に来る。午後8時半、開演。

リハーサル、コンサートのフォトギャラリーはコチラ→http://www.erikomakimura.com/2014/05/piano-recital-dies-irae-the-concert-series-of-dusk-till-dark/

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(「欲望」を黒いヴェールで覆い隠して)

「Dusk till Dark」 夕暮れから夕闇まで・・・。このドームでのコンサートシリーズのタイトルの如く、夕暮れ時の、淡やかなサーモンピンクと薄染めの藍が混じる空が、コンサートが進むに連れ、藍の割合を増し、濃い群青色の闇が会場のドームをすっぽりと包み込んだところで演奏終了。休憩なしの1時間20分。「妬み」、「強欲」、「欲望」、「怠惰」、「高慢」、「飽食」、「憤怒」の七つの大罪を旅した私の「Dies Irae」は終わった。

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たくさんの方々に来て頂き、ただただ感謝。愛する友人たちに楽屋秘話を打ち明け、共に大笑いする。私を疲弊させ切った重いテーマのリサイタル後の、友人との呵呵大笑。私が一番必要なものをくれるこの人たちと、これから先も縁で結ばれますよう・・・。

長い1日だったのでもうこのまま帰りたかったが、この後ファッションイベントのアフターパーティーに参加すると約束してしまったため、疲労した体に鞭打ち、タクシーに乗り込む。・・・とその時、1m90cmはあろうという傾国の美女・・・もといトランスヴェスタイトの男性が、私をタクシーの奥に押し込んで、自分も乗り込んできた。彼(彼女)もコンサートに来ていたのだった。

この人とは約1年前、やはり私のコンサートで出会った。私は会った瞬間、彼の強烈な外見と個性にすっかり毒され・・・ではない、魅せられてしまった。その抜けるような長身に比して、体重は56kg、さらさらの長髪、股下1m以上、そしてウェストときたら、タオルを絞り上げたかのようにか細いのである。

パーティー会場で他の友人たちと合流すると、まるでデヴィッド・リンチの映画のような、実に奇妙で、実に不可解で愉快な夜を私たちは共に過ごした。

5月某日(土)

午前9時に携帯のアラームが鳴る。昨夜の帰宅は確か夜中の3時過ぎだった。床に落ちていた携帯をやっとの思いで拾い上げると、昨日のコンサートに来てくれたゲスト達から、幾つものメッセージが入っていた。温かい言葉に満ちていて、何度も何度も読み返す。ソロコンサートの後は、充足感よりもまずは虚無がベタベタと這い寄ってくる。このうっそりとした厄介なブラックホールからの脱却には、こうしたお客さんからの声が何よりの助けとなる。

半時間ほど甘い言葉と軽い頭痛と濃く淹れたエスプレッソを交互に味わってから、出かける準備にかかる。今日は、いつもお世話になっている友人の、フォトシューティングのアシストをする約束をしているのだ。 フォトグラファーが車で迎えに来て、友人と3人、北シェランドに広がる森へ向かう。

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(北シェランドの森と湖)

北シェランドの風景の美しさを描写するには、私に詩的要素が欠けているので控えよう。

それにしても。今日と昨日のこのコントラストといったらどうだろう。けぶるような木漏れ日の森、静寂に過ぎる透き通った湖に囲まれ、私は呆然とする。昨日の出来事がグルグル頭を駆け巡る。数百人のファッショニスタが集まるプレミエ、自身のコンサート「怒りの日」、異形の美しいトランスヴェスタイトと踊り明かした奇妙な夜・・・。

友人の撮影を手伝いながら、あまりに無防備に綺麗な自然の中に立っていることが次第に我慢ならなくなり、じりじりし始める。やっと終わった時はホッとして車に乗り込むと、フォトグラファーがスピード違反で捕まってもいいから、一刻も早く私を家に連れ帰って欲しい・・・とけしからんことを願いながら、助手席のシートに深く身を凭せかけた。

40分後、帰宅。もう今日は何もせずゆっくり過ごそうと決めたのに、それなのに。

誘われるまま、新しくオープンしたホテルのレストランで食事し、その後2件もバーをハシゴした私は何かに憑かれているに違いない。

私のDies Iraeはまだまだ続く。

5月某日(日)

来る怒涛の週に備えて、準備に走りまわる一日。Cafe Europaで非常に美味しいランチを取りながら、アーティストと実のあるミーティング。その後は自転車を飛ばして、なかなか会えなかった友人の元を訪ね、彼女の生後2ヵ月半のべビと束の間の対面。またまた自転車を矢の如くすっ飛ばし・・・。

5月某日(月)

本日は私のフォトシューティングの日。次回のリサイタルのためのポスター写真撮り。日本でのコンサートシリーズ「七つの大罪」のVol1、「憤怒編」が7月19日に神戸で開催される運びとなっている。「憤怒」を表すアイコンとして、ユニコーン、ドラゴン、狼が上げられるが、私はそのうちのユニコーンと撮影がしたかった。

ユニコーンは勿論空想上の生き物だが、アーティストの友人が以前、馬の頭の剥製にドリルで穴を開けて角を付け、ショーで使ったという話を聞いており、私はすっかりそれを借りる算段をしていた。

しかし、実際その友人に会って、彼女が創作したユニコーンを貸して欲しいとお願いすると、キョトンとした顔をして、

「ああ、あのユニコーンなら、とっくに腐っちゃったわよ」

と応えがあった。私は混乱した。

「腐った?どういうことかしら?」

「あの馬の頭はね。知り合いのお肉屋さんから買ったの。剥製じゃないわよ。本物の馬の頭。だから、ショーで使った途中からすでに腐り始めちゃったのよ。ドリルで額に穴を開けたときは、血が飛び散ってそれは大変だったわ。」

・・・こういうアーティストの友人に会うと、私など本当にごくごく一般的にありふれた普通の人間なのだとホッとする次第である。

ユニコーンとの撮影の夢はあえなく破れた。残るはドラゴンか狼だが、私は狼を選んだ。狼の毛皮らしいものを探しに探したら、なんとか見つかったのだ。それを纏(まと)って撮影に挑む。

私が信頼しきっている親友との撮影は大笑いの連続で、本来撮影は非常に疲弊する作業だが、彼女のお陰でスムーズに事は進んだ。

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(あらゆる小物を使ってテストフォトを撮っていく。この写真はテーマに合わずボツ)

ところで話は大きく変わるが、私は毎日何かしら失くし物をする「失くし物クイーン」である。携帯、財布、ジャケット、バッグ、記憶、パスポート、(何人かの)恋人(ハハハ・・・))、と果てしなく失くしに失くし続ける。今のところ失くしていないものといえば、大事な親友だけである。これは非常にありがたいと言わねばならない。

昨日も、気に入りの赤いルージュを失くしてしまった。今日の撮影にどうしても必要ということで、撮影の合間に近所のコスメティックショップに買いに行く。何百本も並ぶ口紅の中から、真っ先にこれだと選んだ一本のルージュに付けられた名前が

Envy(妬み)

であった。コンサートが終わって3日経つというのに、私はまだ七つの大罪の支配から逃れられないでいる。

5月某日(火)

不安になるほど予定が詰まっていたが、全てのアジェンダを無事に終えて帰宅。午前1時半。

一番重要だったのは、週末スウェーデンはマルメで行われるSisters Academyのパフォーマンス内容についての会議で、総勢13名のパフォーマー、演出家、フォトグラファーなどが集まってアイディアを出し絞る。

3時間ほど白熱したディスカッションが続き、フレームワークの外堀を固めたところで解散。

ミーティング会場を出ると、デンマーク人お決まりの、「明日もあるから1杯だけ」を唱えながら、7人でバーに繰り出す。

5月某日(水)

かなり早起き。今日も綱渡り的な仕事の入り方。しかし、朝早くに精神科医の友人が電話をかけてきて、非常に深く、胸が透くような会話があり、お互いカタルシスを感じながら近々の再会を誓って電話を切る。体の疲労は精神の充実で十分補えるのだ、と再確認しながらレインコートを羽織り、仕事場に向かう。

レッスンを数人分こなす。世代を超えたこの愛しい生徒たちとの交流を毎回非常に貴重なものだと感じる。

終了後に1つミーティング。それから週末のスウェーデンでのショーのための買い物を済ます。

買ったものリスト

孔雀の羽根1,2m×10本

ありとあらゆるサイズのパンティー10枚

黒総レースのロング手袋

黒レザー紐10m

白絹の50年代風ブラウス

劇場用血のり

・・・この買い物リストを見て、私が変態もしくはサド・マゾの女王でないと誰が言い切れようか。

非常に疲れて帰宅。夕食を口に運ぶのも辛い。白ワインのコルクを抜いてグラスに注ぎ、バスルームでバスタブにお湯を張る。行儀が悪いのは百も承知で浴室に1冊本を持ち込み、湯の中に身を沈める。ワインをちびちび舐め、本が湯気でふやけるのも構わずページをめくっているうち、よい香りのバスオイルを垂らしたバスタブの中で私は幸せを取り戻し、ほとんど法悦とも言える境地に至る。本来、私という人間は至極単純に出来ているのだ。

すっかり本を台無しにしてお風呂から上がり、髪を拭っていると、友人から電話があった。

「1杯だけ。本当に1杯でいいから付き合って。」

・・・デジャブだろうか。昨夜も同僚たちからこれと全く同じセリフを聞いたような気がする。しかし、友人の言うようにもしグラス1杯で終われば、世界中のバーは潰れるであろう。なのに、コペンハーゲンのバーはどこも人いきれで汗ばむほど込み合っている。

そして、私はなぜ赤いリップスティックを手に取っているのだろう。「Envy」と名づけられた紅すぎるルージュ。今日こそゆっくり眠るべきなのに・・・。

5月某日(木)

朝、目が覚めて窓際の鏡にちらと目をやると、真っ赤な口紅を塗った半開きの口と焦点の合わぬ目がこちらを見返してきた。どうやら友人からの誘いを昨夜断りきれなかったらしい。そして当然のことながら、グラス1杯では終わらなかったらしい。

口紅を落とし、熱いシャワーで禊(みそぎ)する。友人からのフランス土産の練り香水をほんのり首筋に擦りこむと、私は機嫌よくバスルームを出た。二日酔いというものを知らない幸運な私は、薔薇の香りに包まれ、髪は半渇きのまま友人宅に向かう。

彼女の家で、先日撮った写真のリタッチを開始。そして、色味を吟味して文字の配置とバランスを考え・・・と、細心の注意を払いながら、日本でのコンサートシリーズ、「七つの大罪Vol1 憤怒編」のための、気の遠くなるような細かい作業を伴うチラシ作成に入る。

この親友なしでは、私の今までのプロジェクトは絶対成し得なかったであろう。

夕方おいとまし、家に戻って大急ぎで明日からの旅の準備をすると、夜は私がこの1週間心待ちにしていた友人宅でのディナー。

Sancerreのワインをポンッと開けて、何度も乾杯する。彼女の創る料理は優しい味がする。コペンに戻って以来初めての和食で、美しく面取りされたかぶらの炊いたのがとろけながら喉を通ってゆき、鳥のつみれは口に含むと滋味がゆっくり広がっていく。おかわりをもらい、私は目を細める。海外在住者には貴重食材中の貴重品、魚沼産の極上のお米でふっくらご飯を炊いて、お茶碗に盛ってくれた。

コペンハーゲン中に轟きわたるほどの爆笑を繰り返した後、名残惜しくおやすみのハグを交わす。

明日からの大きなプロジェクトに向けて、心身ともエネルギーを蓄え帰宅。

5月某日(金)

スウェーデンはマルメへ。同僚の1人が車で迎えに来てくれる。車内は3人+ショーのための山のような荷物。私の10本の孔雀の羽根もトランクの上でフワフワ舞っている。

車はやがて、デンマークとスウェーデンを結ぶエースン橋を渡る。本当に美しい構造の橋で、渡るたびに惚れ惚れしてしまう。

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しかし、渡橋代は日本円で片道約6,500円。驚きの値段である。

コペンを出て約1時間ちょっとで、会場であるMalmö Inkonstに到着。すでに多くの同僚が演出家たちを手伝って、作業に取りかかっていた。今回のSisters Academyは「Feast(饗宴)」の名のもと、sensuous(感覚的)な社会への喚起を促し、詩的な旅をゲストたちと共に体験していく。

黒塗りの会場の真ん中には20mほどの長いテーブルが置かれ、黒とレースのテーブルクロスの上にはローストチキンや梨のコンポート、色とりどりのカップケーキ、ニシンの酢漬け、マカロンなど、前菜、メインディッシュ、デザートが無秩序に溢れ返るように並び、何台もの銀の燭台の蝋燭が、それらの食べ物を怪しげに照らし出す。私のピアノはテーブルとテーブルの間に配置され、私はそこでディナーもとれば、演奏もする。

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(Feast((饗宴))のテーブル)

準備をしながら、古代ローマ時代の話をふと思い出した。かの時代、高貴の人々はしばしば饗宴を催し、寝そべりながら延々と食べ続け、ぶどう酒を干していった。お腹が膨れると、奴隷の差し出す孔雀の羽根を喉に差込み、食べたものをリバースし、また飲食を続けた。まさに酒池肉林の極み・・・。

「饗」宴程度ではなく、いっそのこと「狂」宴にならないか、と淡く期待しながら、遅くまで準備&ミーティング。

長い一日が終わり、主催者が借りてくれたアパートへ向かった。同僚の女たち4人は道すがらお菓子を買い込み、明日も早いので早く眠らねばならないのに、まるでティーンネイジャーのようにリビングに座りこんで、罪のない話に大笑いが止まらない。

どれだけしゃべったか。姦(かしまし)娘たちはようやくソファから立ち上がると、仲良く歯を磨いて、ガヤガヤとベッドに入ってしばらくすると、やがて揃って寝息を立て始めた。

5月某日(土)

パフォーマンス当日。開場は19時。

週末だからか広場に朝市が立ち、新鮮な野菜、フルーツが朝露に濡れたまま、色鮮やかに軒下に山積みされている。思わず足を止めそうになるが、9時からのミーティングに遅れるわけにいかず、テイクアウトのカプチーノを持ったまま、会場に急ぐ。

会場であるMalmö Inkonstでは、我らSisters Academyは来年2015年に1ヶ月に渡るボーディングスクールを開校予定。今夜の饗宴は言ってみればそのアペタイザー的な役割を担う、プレポップアップイヴェントに当たる。

細かいタイムスケジュールが組まれ、演出家たちの手伝いの合間にサウンドチェックがあり、私は他のパフォーマーとピアノの元でリハーサル。歌を歌うパフォーマーもいるし、John Cageの名作「4分33秒」を俳優と共演することになっているので、その最終打ち合わせもあり、混乱しない方がおかしいほどの忙しさだが、みな黙々とそれぞれの仕事に没頭している。

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(サウンドチェックの様子)

18時半にはコスチュームへの着替え、メイクも全て済み、会場はゲストを迎えるばかりまで整った。19時、最初のゲストが到着。

饗宴のフォトギャラリーはコチラ→https://www.flickr.com/photos/108171819@N03/sets/72157644616439342/

午前0時。最後のゲストたちが会場を出て、饗宴は幕を閉じた。

5時間のノンストップパフォーマンス。共演者はみな、床に突っ伏している。

やがて、誰からともなくそろそろと起き上がると、それを合図にしたかのようにサウンドエンジニアーが大音量でDJし始めた。それまでの完全にコントロールされたキャラクターの仮面ををかなぐり捨て、私たちはトランスがかったように踊り始めた。余っていたCavaをバンバン開け、ボトルから直接喉に液体を流し入れる。

宴は完全に果てた。いや、真夜中0時を過ぎて、今まさに始まったところなのだろうか。

私の問いに答える言葉はない。

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(私のトークンである6つの手と私の右手)

5月某日(日)

昼まで片付けやら次回のパフォーマンスの軽い打ち合わせをしてから、3台の車に分乗してマルメからコペンハーゲンへの帰途につく。昨夜のパフォーマンスへのさまざまな思いや批評が去来するのは誰しも同じで、しかしそれを消化して言葉に出来るようになるまでは胸に秘め、次のミーティングまで取っておこうというのは、言わずとも全員一致した考えのようで、皆笑顔で別れを惜しみ、それぞれ帰宅していった。

1時間ほど仮眠して、ミュージシャンの友人宅へお邪魔する。2ヶ月ぶりの再会。ジャンルは異なれど、等しく音楽に憑かれた者同士惹かれ合い、去年から徐々に友情を深めてきている。

彼女は非常に多忙な人で、本当は私と入れ違いに今日からスウェーデンへ行く筈だったが、同じく多忙を極めていた私の予定に合わせてわざわざ旅立ちを明日に延ばしてくれたのだった。

彼女お手製の、フンギとグリーンアスパラのリゾットに、パルメジャーノ・レッジャーノをたっぷりとかけ、白ワインで乾杯。

来年あたりを目処にコラボレーションを実現させようと誓い合う。誓うたびに乾杯を重ね、私たちはどんどん深い世界へと藪を掻き分けながら入っていく。芸術的にも人間としても響きあうものを持つ者同士の会話は、同性異性問わず、官能的なまでのレベルに到達することがある。

今夜はまさしくそれで、脳を痺れさせながら私は家路についた。レズビアンだったら私たち今夜どうにかなってたわね、とお互い笑いながら頬にキスし合って別れた。

5月某日(月)

彼は全く油断のならない男である。彼というのは、アンティークブックショップのオーナーのことである。彼はさもなんでもないことのようにイケナイことばかり私に教育するのだが、本当は非常にシャイなことを私は知っている。だから、会うときはいつも私はワインを携えていく。そして、それで唇を湿すうちに、彼の口は非常に滑らかになってゆき、諸々のイケナイ会話が展開されていくのである。

2人の友人も加わり小さなサロンが形成される。私は自分より何層倍も知識と経験があり、ユニークなアングルから躍りかかるように物事を捉えてゆく稀有な有識者たちを見つめる。マルキ・ド・サド、フロイト博士の妻の生涯、70年代ポルノ、スカルラッティ、或る統合失調症のアナーキストが処刑された経緯・・・。どの話も面白すぎて、この場を一生離れたくない。

閉店が近づいた時、明日のロングフライトで読むための一冊を選んで、と頼むと、「非常に君らしい一冊だよ」と渡された本の題名が

「導かれて・・・鞭(ムチ)」

であった。本当に油断のならないMr.チャーミングである。

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私はこのMr.チャーミングが大好きなゆえに、わざと1年に数回しか彼を訪ねないという天ノ邪鬼な態度を取っているのであるが、さて次に会うのはいつのことになるか。

日本に明日飛ぶので、夜はしばしのお別れを偲ぶため、友人主催でメキシカン料理屋にて食事会。みんなありがとう。

(追記:夜、ベッドの中で今日買った本をパラパラとめくると、それはそれは過激な内容であった。まさか発禁扱いじゃないでしょうね・・・。成田空港の入局管理局で見つかって、捕まらないでしょうね・・・ドキドキ)

5月某日(火)

もうやり残したことはない・・・。カストロップ空港のラウンジでこの3週間を振り返りながら、ファイナルコールを待つ。これから日本へ飛び、立ち上げたプロジェクト「七つの大罪」コンサートシリーズの、企画・遂行に全力を投じなければならない。

まともに睡眠さえ取っていない狂奔の日々から一歩引き、暫くはレッスン室に籠もった落ち着いた生活を送ろう。一人になって、依頼されたパフォーマンスの案を練り、インプットに励む。

そう決心して機上の人となった12時間後。

私は東京のしゃぶしゃぶ屋の個室で、友人と笑いながら忙しく箸を動かしていた。

その後根津美術館に行き、やや盛りが過ぎたとはいえまだ十分に美しい庭園の菖蒲に見惚れ、尾形光琳の燕子花図と丸山応挙の藤花図の二元的美と技巧に、心がざわめき揺さぶられる。

nezu2(根津美術館の素晴らしい菖蒲園)

日本の土を踏んだ瞬間から、またもや激しく動き回りたい衝動に駆られる。常軌を逸脱した狂奔が胸を渦巻く。

いったん落ち着かなければ・・・と神戸に向かう新幹線の中で再び自分に言い聞かせる。

今夜こそ私は眠る。今日見た菖蒲の群生の残像をまぶたの奥に投影させながら、目を閉じる。まずは泥のように深く深く眠る。


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