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November, 2014 Vol.4 2014年11月の記其の4

11月某日(日)

友人の9歳の娘は、私と友人が恐ろしくドレスアップして出かける度に、アタシも行きたい、アタシもオンナノコなのだから仲間に入れて欲しいと、可愛らしく唇を尖らせる。

私は友人に提案した。3人でガールズブランチに行こう。行く前に、みんなできゃあきゃあ言いながらネイルを塗り、パールをぐるぐる巻きつけ、ビーズ刺繍が入ったドレスを着て出かけるのよ。

昨日、ブランチへの招待状を友人の娘に渡しに行ったら大喜びで、嬉しくてどう反応したらいいかの分からず、母親の胸にぐりぐり頭を押しつけていた。可愛いすぎる。

というわけで、私たち3人はめかしこんで、Cafe Glyptoteket へ到着した。このカフェは博物館Glyptoteket の中にあり、壮大な彫刻や室内樹林された巨木を眺めながらのブランチは大変人気がある。

大人と同じメニューを頼んで満ち足りきった様子の友人娘。この子には愛に対する不安や揺らぎが少しもない、と安堵する。多少甘やかされていようが、ある程度の年齢まではタップリ愛されながら、安心の中で育つといい・・・。

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(博物館Glyptoteketにて1枚。ついついこういう構図で撮りたくなってしまう)

親娘と別れると、午後から練習に集中した。次のコンサートには、新しくチャレンジする曲もプログラムに入れてある。とにかく、少しでも時間が空けば練習したい。

夜はガールズたちとお食事会。異国に住む気の合う同胞の友人たちと会うことは、何をおいても優先させたいコト。みんな、初めて会った時よりさらに綺麗になっていっており、真摯にその道を生きる人たちはこんなにも輝くのかと、よいエネルギーをたくさん貰った。仲良くしてくれて本当にありがとう。

私の1日はまだ終わらぬ。名残惜しくもバイバイすると、本日最後のデスティネーション、VEGA へ。元祖エクスペリメンタル・ロックバンド「Swans」のショーに招待されていたので、気合いを入れ直して会場に入る。

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(SWANS)

2年前にこのバンドを初めて聴いた時、私の100万個ほどの聴覚細胞は死んだと思う。とんでもないド級のノイズメタルで、私と友人達はステージに上がって踊り狂った。完全にトランスに入ってしまい、スタッフに警告を受けたくらいだ。

何度も反復されるメロディーが特徴的で、休憩なしの3時間のコンサート。どうやって家まで帰ったのか覚えていないほど痺れた。

会場のVEGA にはたくさんの友人知人が集まっていた。日曜日の夜遅くにこんなハードコアなノイズ音楽を聴きに来る輩というのは、明日が月曜日だということを屁くらいにしか思わぬ社会のハミ出し者たちである(断定)。

前回も感じたが、彼らの反復による音楽はクラシックの世界から見ると単純と言えば単純なのかもしれない。しかし、彼らが創り出す爆発的なエネルギーはほとんど性的と言ってもよく、繰り返されるバスの爆音を浴びているうちに、衝動的に叫び出したくなるほどだ。

コンサート終了後、完全にトリップしてしまった友人たちと共に馬鹿騒ぎしたい気分だったが、次の日のことを考えてそのまま家路に着いた。先ほど書いたことと相反するようだが、ハミ出し者の私にも一応月曜日は巡ってくるのである。

11月某日(月)
昨夜のノイズでまた聴覚細胞が100万ほど死んだと思われる中、朝早くから日本と電話でやりとり。大幅に時間をくってしまい、11:00からのミーティングに大遅刻。ゴメンナサイ。

5時間かかったが、ようやくチラシのグラフィックも8割がた仕上がり、本当に嬉しい。仕事が少しずつ前進してゆく喜び。

明日は午前中に演出家とブレインストーミング、午後からは、メンバーとファンド申請の申し込み書制作。準備のため、今夜も夜更けまで仕事。

11月某日(火)
見事なブルースカイ!

今朝は、演出家とそのアシスタントとのミーティングでスタート。昨夜練った案をみなでシェアする。しかし、急遽決まったミーティングだったせいもあって少々準備不足だったと自覚。

私は、それぞれの分野のプロフェッショナルと話していて、自分の足りない点を認識するのが好きである。バカの1つ覚えのように同じテクニックばかり使っていたのだな、とか、なるほどその手があったか、とか、そんなことができるのか、など、発見の連続である。

しかし、ものすごいディティールに関する質問が続き、連日の疲れも重なって私は次第に煩悶し始める。ほとんど音を上げかけたが、そこをグッと耐えて質問に答えてゆく。

「これ」を経験するために、私は今、グループワークに身を置いているのだ。「これ」とは、自分の弱点をプロとの会話から徹底的にほじくり出す作業である。

自主企画のショーでは、良くも悪くも自分がボスで、全ては私の頭の中にあり、言葉を尽くしてサポートメンバーにイメージを伝えてゆく。予算も限られているため、大抵のことは自分でやらざるを得ない。

しかし、今属するグループにはしっかりと予算が付いており、プロによる人手がある。演出家に自分の空間をデザインしてもらい、衣装はイメージを伝えておけば買っておいてくれる。ライトデザイニングのプロもいる。

一見恵まれているようだが、この際私は確固としたイメージをすでに持っていなければならず、1人1人のプロにそれを伝えなければならない。どの色のカラーライトをどの角度からどの範囲でどれくらいの強さで照らしたいのか・・・。自分でやる時のように、「いろいろ試しながら」というのは無理だ。一発で伝える必要がある。

午後3時。次のミーティング相手が気遣ってくれて、このカフェまで来てくれたので大いに助かった。この時点ですでに4時間ぶっ続けでディスカッションしており、私は息をするのも辛くなっていた。

気持ちを切り替えて、ここからは全く別の企画立ち上げの話。

ゼロからの手書き草稿を手に、この企画をどう立ち上げ、どうファンドを取るか、これまた数時間かかって第1のマイルストーンまで話を進めた。

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夜、ベッドの中でこの日記を書きながら、体力に不安を覚え始める。今週も来週も再来週もこの調子だ。移動も多く、スウェーデンに行ったり、日本へのフライトもある。

大丈夫だろうか。

11月某日(水)
今日は1日レッスン日。

レッスン時の生徒との会話から学ぶことも非常に多くて、今後、演奏家としてだけでなく、教育についてもしっかり学んでいきたいと強く思う。

日本で6年、ドイツで6年の計12年も大学・大学院生だった私は、とんでもなく長い期間教育を受けてきたが、教育において知らないことがまだ限りなくある・・・。

最後のレッスン後は、先日に続いてまたお友達が美味しい夕食を饗して下さった。家族揃っての温かくて楽し過ぎる会話。

この家族はトリリンガル(3カ国語ペラペラ)である。状況やそこにいる同席するゲストの国籍に応じて、速やかに言語をスウィッチする。これはもう家族全員の努力の賜物で、誰か1人音をあげたらなし得ない偉業だ。今日は私に合わせてくれて、終始日本語での会話だった。

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ドイツのハノーファー音大生時代、私はベルリンから通っていたのだが、その折よく医者のご夫妻のお家に泊めて頂いていた。本当に親切な方たちで感謝に堪えないが、正直そこでの時間が苦痛で仕方が無かった。

教養高く、食事どきの会話はドイツの偉大なる詩人たちの押韻やメタファー、音楽と文学の相互関係、ミュージアムで観た絵の分析など、テーマは興味深いものだったが、なにぶん私には難しすぎた。

(その時点で)4年ドイツにいても、この会話についていけない自分のドイツ語力を私は毎回呪ったものだ。そして同時に、そこそこのドイツ語レベルの私に、なぜ大学の文学部レベルの韻やメタファーの話をするのか、せめてもう少し日常レベルに会話を引き下げてくれないものだろうかと、理解に苦しむ自分がいたのも否めない。

医者ご夫妻の私への接し方は正しいのだ。その国に住む外国人は、その国の言語を正確に話し、正確に理解するべきだ。言語はインティグレーションへの最短の手段の1つなのだから。

しかし、最も話しやすい言語で、伝えたいことを伝え合うのがそんなに悪いことであろうか。私の英語のレベルはドイツ語よりもかなり高く、ご夫妻もそれは承知だった。どうしてもリルケの韻の話がしたいのなら、英語で弾む会話が出来たのではないか。その晩彼らは延々詩について話し続け、私はほとんど何も返せないまま終わった・・・。

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これは私が国民性というものをきちんと理解していなかった頃の、幼い愚痴話である。日本では場を「読」み、「行間」のニュアンスを理解しながら会話することが多いと思う。対してドイツでは、自分の主張を最も的確な言葉で相手に伝えることが非常に重要である。リルケについて私と「中途半端」な英語で話し合っても、彼らにとって意味がないことだったのかもしれない。

国民性の話をすると、すぐに人をステレオタイプ化する狭量な人、と思われることもある。しかし、少なくとも21世紀前半の現在、国民性というものはハッキリと存在する。これを無視して外国人がその国に住むというのは無知蒙昧と、この10数年で学び尽くしたと思う。

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素晴らしく楽しい時間を過ごさせて頂き、温かな家族に見送られて帰途に着く道すがら、対照的なドイツ時代の出来事をふと思い出した。

長い間会っていないが、あのご夫婦は今どうされているだろうか・・・。

11月某日(木)

午後、気の重い案件についてミーティングがあった。2時間の話し合いで本当に疲れきってしまった。しかし、解決の糸口が見つかったのが何より。

楽しいことばかりではないが、生きている限りは出来るだけ温かい人、美しいものに囲まれて過ごしたい。そのための努力は決して惜しむまい。

夜は、知人が出演するパフォーマンスに招待を受けたので、観に行った。1971年制作の映画、Pink Narcissusへのオマージュ的パフォーマンスで、私の知る最も美しい男の子の1人が主演。

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(映画、Pink Narcissus。1971年制作。主人公のナルシズムをいかんなく映し出したカルトムービー)

演じる知人は確かに美しかった。しかし、コンテンツに欠け、美しい以外それ以上でもそれ以下でもなかった。

ショー鑑賞後、猛烈な空腹を抱えたまま同行の友人とチャイニーズレストランへ駆け込む。美しいナルシスト像はあっという間に吹っ飛び、私たちは海老のワンタンスープで冷えた体を温め、春巻きを囓り、メインの黒胡椒と肉、野菜の炒め物を仲良くシェアしながら、呆れるくらい喋りまくった。

それにしても、と思う帰り途。人の心に刻まれるようなパフォーマンスをするとはなんて難しいことなのだろう。今年は忙しすぎてあまりコンサートや観劇を経験できていないが、去年などは1週間に5回コンサートやオペラを観に行っていた。しかし、今に到るまでそのうちの一体幾つの演奏を覚えているだろうか。

中途半端なことは出来ない。「失うものなど何もない」といった時期はもう過ぎてしまったのだから。

11月某日(金)
12月のコンサートに向けて午前中は練習。

ランチはダンディーな殿方と。この方はしばしばチャーミングで楽しいメールを下さり、私は胸トキメカセながらそのメールを読むのである。今日も非常に楽しいひと時だった。

夜までもう一仕事。

アフター6、友人のギャラリーオープニングにお邪魔した。彼女はいつも素晴らしく前衛的なアートをSNSに投稿しており、私に新世界を見せてくれるメンターだ。オープンング、おめでとう。

親友と落ち合って、メキシカンレストランでセビーチェをオーダー。

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(Four legs going out.)

コペンハーゲンは小さい小さいと言うが、面白い人がわんさかと住んでいる。ベルリンに6年以上住んだが、これほど面白い人たちと出会ったかは疑問である。

目の前の友人も、怖いくらいの才能の持ち主。NY、ロンドン、パリ、東京からもアツイ視線を受けているアーティスト。

近いうちにNYに行こう!と気勢を上げた。

11月某日(土)

今週やり残した仕事を一気に片付けていく午前午後。情けなくなるほど、延々と終わらない作業。

夕方から餃子を100個作り、夜の友人宅でのクリスマス会に持参した。まだ11月なのに、もうクリスマス会。

友人宅では、伝統的な焼き豚料理、レバーパテ、ニシンの酢漬け、ミートボール、サラダがズラリと並び、そこに餃子は非常にチグハグで可笑しかったが、餃子はヨーロッパ人には大人気である。今夜もあっという間に無くなってしまった。

私はまじまじとテーブルを見つめた。このテーブル図はそのまま、ここに座っている人たちと私の縮図であろう。10数人のデンマーク人に1人の日本人。デンマークの伝統的なクリスマス会に、1人餃子を100個作って持ってくる極東の女。私は1人でこっそり笑った。

2時間ほどで席を辞し、今日最後のアポイントメント場所へ。会を途中で抜けるのは気が引けるが、友達が開催するショーに前々から招待を受けているのだ。遅れちゃったけれど、誕生日プレゼントね、とチケットを写真集とともに送ってくれた優しい友人。

会場にはたくさんの友人が集まっており、みな過激に着飾っている。ショーの内容は割愛するが、それはそれは長い夜となったのだった。

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(ドラッグクイーンの友人と。写真をありがとう、Marie!)

 

異邦人たちの晩餐会 Vol.1

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Thank you very much for wonderful photos, Mikiko Zenitaka!!!

 

 

Diana Lindhardt x Eriko Makimura

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  I am ready for diving into absurdity.

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静かな狂気の眼

A Two Weeks in October, 2014 Vol.2

前編はコチラ→ http://www.erikomakimura.com/2014/10/a-two-weeks-in-october-2014-vol-1/

10月某日(木)

昨日は箱根の宿で東京の友人と無事合流。お宿の濁り湯に浸かり、お食事を頂き、夜はフォトグラファーの友人と3人、布団を並べて仲良く川の字になっての就寝となった。

今日は生憎の曇り空だが、私たちはススキ野で有名な仙石原と大涌谷を訪れるべく、宿を後にした。

ススキ野は台風の影響で紅葉が遅れているそうだが、曇り空から時折光がさす瞬間、ススキの穂が光を受けて煌めくのが美しかった。英語でススキはSilver Grass というそうだ。銀の大地。

 

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(仙石原のススキ野。ススキは英語で Silver Grass)

ロープウェーで大涌谷へ。まるで絵に描いたような物見遊山である。いとをかし。

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 (大涌谷で長寿を願い、温泉卵を食す。)

 

夕方。箱根を後にして、東京はお台場に向かう。箱根の大自然と一変、東京のsci-fi な夜景で驚いてもらおうと、少々不便ながらお台場の高層ホテルに宿を取ったのだ。

今回の旅では万事ツイている私たちだが、ここでも部屋が大幅に屋がアップグレードされている。カーテンを開けるとそこには悪い冗談のように、レインボーブリッジ、東京タワー、スカイタワーの3点セットが借景として準備されていた。

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ヨーロッパではこのような夜景は珍しい。フォトグラファーの友人の興奮の余波がこちらにも伝わってくる。彼女は今まで世界各国を散々旅しているのだが、今回の日本トリップで、そのダイナミックで多角的、豊潤、複雑にして神秘的な歴史と文化のレイヤーに完全に魅せられてしまったらしい。

私も彼女の目を通して、日本を再発見している。

この国の独自性。

例えば11世紀、ヨーロッパがまだ沼に覆われていた頃、日本では既に、世界最古にして最高芸術と讃えられる小説「源氏物語」が紫式部によって紡ぎ出されていたのだ。

そして21世紀の今、政治・経済両局面において長らく混迷が続いているとは言え、音楽やバレエ、ファッション、前衛アートの国際コンクールでは日本人が入賞・入選しないことの方が珍しいし、日本のミニマリズム、洗練、そして凄烈な追求の精神を愛してやまない欧米人は非常に多いのである。

ホテルを出てゆりかもめに揺られながら、私は今後の自分の在り方について思いを巡らせる。近未来的な風景が広がる中、刻一刻と変容して行く東京に居て、自分のスタイルを確立するなどというのはツマラナイ、「変容を柔軟に容認して行くこと」こそが自分の道であるという、不意の閃きがあった。

ちっぽけな今までのスタイルなど、ドブに投げ棄ててしまえ。

少々青臭くはあるが、ゆりかもめでのこの突然の啓示にしばし茫然とする。あゝ、このままあと5時間ほどゆりかもめに揺られていたい・・・。

しかし、その唐突な啓示に頭を痺れさせつつ向かった先は、立ち飲みならぬ、「立ちトンカツ屋」であった。会社帰りの酔いどれサラリーマンでごった返す中、同郷の友人と3人、ハイボール、梅干しサワーでカンパイ。そう、アーティストとしての啓示とヒレカツと梅干しサワーが三位一体となって、体内をグルグル駆け巡ってなんの混乱も来たさないのが牧村英里子という人間の特徴である。

友人と楽しい夜を過ごし、フォトグラファーとはホテルに戻って再びコアラのマーチタイムである。そして、糖分補給したところでフォトセッション。

午前3時。ようやく就寝。

 

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(借景とフォトグラファー)

 

10月某日(金)
朝、フォトグラファーが目覚めるまで、ベッドの中にPCを持ち込んで仕事。今日こそ寝過ごそうと思ったが、今月末にまた本番が幾つかあるし、来月頭からはヨーロッパに戻る。少しの空き時間にも仕事を片付けて行かねばならない。いったん仕事にかかると私は此の世とは遮断された無我三昧に入る。その間、親しい友人たちはいつもそっとしておいてくれる。有難いことで深く感謝している。

午後からは合羽橋。目的は陶器買いにトチ狂うことである。今年で3回目だろうか。東京に寄るたび、この道具屋エリアで散財する私である。

ところで話は変わるようだが、私の生まれついての性質は、リスクテイカーである。またはギャンブラーとも言う。イチバチ勝負の修羅場向きに出来ている。

このことを熟知しているが故、私は自ら危険には近づかない。実生活では近づかない代わり、その代替として、パフォーマンスアートの世界で無茶をやって、ウサと普段溜まっている危険への渇望と欲求不満を存分に晴らすのである。

そして、ここから話の核心に迫っていくが、昨春、お友達と京都を訪れた際に、彼女が或る骨董屋さんに連れて行ってくれたことがあった。そして扉を開けた刹那、私の中の「お道具」に対する欲望のトグロが渦を巻き、うねり始めたのである。

コレは危ない。ハマったら、ピアノやら家やら、下手したら(買い手はいなさそうだが)いっそのこと身売りさえしかねない・・・。

私は小学生の頃から、青山二郎や小林秀雄、白洲正子の本を読んでおり、骨董やら何やら、オタクな雑学に埋もれながら生きているオンナである。猛烈な好奇心に物理的な対象(すなわち骨董お道具)が加わるとどうなるか。猫にカツオ節、破産は間違いなし、である。湯呑み一椀のため、私はピアノを売るタイプの狂気の人間なのだ。

・・・というわけで前置きが長くなったが、合羽橋である。この辺りの、罪の無い価格の陶器類で、適当に物欲をあやしている程度に抑えておくがよいのである。

(今のうちは)

楽しい。お買い物に付き合ってくれているお友達は、驚くほどいろんな分野に精通している。そして、ここが重要なのだが、一緒にいてただただ楽しい。このような友に巡り合えて、全くもって幸運である。

夜は韓国料理、その後はお友達の計らいで、素晴らしい夜景を臨めるプライヴェートバーに案内頂いた。

Tokyoとはマコトに面白い街だ。これまで多くの国の様々な街を訪ねたが、目下私の一番のお気に入りが、Tokyo。

10月某日(土)

午前4時45分起床。私は死んだ鯖を両肩に2匹ずつ乗せたような気分で歯を磨き、半分眠りながらフォトグラファーと地下鉄の駅に向かった。

そう、我々は築地市場に行くのである。4匹の死んだ鯖どころではない、何千匹という、生きた明石鯛や、シャコや、タコや、凍ったマグロの解体を見るのである。そして、お寿司を食べるのだ。そう、朝の6時半に、雲丹やらアジやらトロのお寿司を。

友人と駅で合流し、さて市場に着いてみて我々は絶句した。
物凄い数の男たちが、なんといったらよいか、そうだ昭和版のセグウェイのような乗り物に乗って、場内を暴走してゆくのだ。

そしてその男たちというのが、この平成の世ではもう滅多に見られないような「The Otoko」、とでも言うような、それは格好いい勝新太郎的な荒くれオトコたちなのである。

私はしばし幻惑されてしまった。どれだけヨーロッパ生活が長かろうが、西洋音楽をやっていようが、結局のところ私の中に流れる濃き暑苦しき昭和の血潮は、こういう「ザ・勝新」の世界を前にして燃えたぎってしまうのである。
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半ば茫然としながら、私たちはお寿司屋さんを目指した。ああ、日本の行列。並んでいる。朝の6時半にお寿司を食べるため、人々は列をなしている。私もそのうちの1人なのだ。

3時間半待ちという怖ろしい噂を耳にしていたが、幸い2〜30分程度で席に通される。

…起きられないだの、朝は食べられないだの、アレンジしてくれた友人に散々ぶうぶうと文句を言っていたのに、私は雲丹を含む寿司9貫を間食し、人一倍築地を楽しんでしまった…。

友ヨ、ワガママナエリコヲ許シ給ヘ。
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築地を後にして、フォトグラファーの友人を空港に送り出すまで、東京のありとあらゆる場所に出没した筈だが、あまり記憶がない。

夜半、なんとか神戸の実家に辿り着いた。2週間ぶりの惰眠を貪る。

10月某日(日)
レッスンと練習の一日。Back to the disciplined life である。

今年は綱渡り的なスケジュールでここまで来てしまった。しかし、仕事をしながらではあるが思いがけず6日間の休みを取ることが出来て、友人たちと日本を味わい咀嚼し、その旨味にただ感動した。

今回、各所で体験したことは、滋養となって今後の創作に活かされてゆくはずだ。そして、休暇中に生まれた幾つかのプロジェクトも、そのうち動き出すことだろう。

これから来年4月の終わりまで、また狂気の日々である。数日レッスン室に籠もって、アチラの世界に行ってまいります。

続く・・・。
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うふふっ

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