Photographer Diana Lindhardt in Japan
Behind the Fusuma フスマノカゲデ
the envoy 使者
In the Silver Grass Field 芒野にて
Saint Tokyo 聖東京
Japanese Silence 沈黙
Fate イノチ
More photos by Diana Lindhardt here: https://www.flickr.com/photos/113316806@N06/sets/
Behind the Fusuma フスマノカゲデ
the envoy 使者
In the Silver Grass Field 芒野にて
Saint Tokyo 聖東京
Japanese Silence 沈黙
Fate イノチ
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10月某日(木)
デンマークより、フォトグラファーの友人が来日。今朝成田空港に到着したとのこと。彼女とは午後に京都駅で落ち合う手筈となっている。
明後日に奈良でのピアノリサイタルを控えている私は、ドレスや靴、楽譜を詰めた大きなスーツケースを引いて神戸の実家を出た。
家を出る直前、プログラムの印刷が無事上がったことを確かめ、明日の親族での夕食会の予約を入れ、フォトグラファーが予定通り新幹線に乗ったのを確認し、10月中に宿泊する9つのホテルの予約を完了させた私を見て母が言う。
「また帳尻(だけ)合わせている!」
(沈黙。言い訳の言葉見つからず…)
…じゃあ行って来ますと元気に手を振る。そう、一旦請け負ったことはなんとか帳尻を合わせ、万一合わせられなかった時は、自ら「責任」という名の落とし前をつけて生きていかねばならないのである。
京都まで約1時間半。私にとって移動時間は至福の時で、企画のコンセプトを思いつくのは大抵電車の中だ。
16時。京都駅で、フォトグラファーと再会。「セーターは必要ないからね。日本はまだ29度もあるから」とあれだけ何度も書いたのに、絵に描いたようなノルディック柄のウールのセーターを着ている!
ノースリーブのサマーワンピース姿の私とハグを交わすや否や、早速からかわれる彼女。あゝ愛すべきデンマーク人。言うことを聞かない、この頑固でチャーミングな国民性。
もう日暮れどきだったので観光は諦め、錦市場をひやかし、私の気に入りのおばんざい屋に入って再会に乾杯。9月にもコペンハーゲンでディナーを共にしたが、話は尽きず。ホテルに戻って温泉に浸かりながら話し、部屋でも芸術論から罪のないゴシップまで延々話し続ける。彼女が大好きだと言うコアラのマーチを食べながら。
日本のトイレのテクノロジーに驚き、私があげた「蒸気でアイマスク」の機能に驚き、そうこうするうちにやがて可愛らしいすうすうという寝息が聞こえてきた。私もすぐに寝落ち。
10月某日(金)
奈良県は五條市へ移動の日。
思いがけず早くに目が覚めてしまったので、フォトグラファーを起こさぬようそっと部屋を抜けて、誰もいない露天風呂に身を浸す。悦楽、愉楽のモメンタム。
(朝の温泉に浮かんだヴィタミン)
それにしても、この1年の慌ただしさといったらどうだろう。ヨーロッパと日本を5回往復、新しくパフォーマンスアートの世界に飛び込み、日本で新プロジェクト「七つの大罪シリーズ」を立ち上げ、さらにもう1つ大きな企画が産声を上げようとしている。
その合間に練習やレッスン、ミーティング、リハーサルもあるのだが、私には本を読む時間もカフェで放心する時間もある。こうして温泉に浸かる時間も。
1日36時間を与えられた者の悦び。
やがて時計は8時を指し、名残惜しくも浴場を出た。
さて、旅は京都駅から始まる。
幼い頃、毎夏休みを過ごした五條は、私のノスタルジーが凝縮された旧い町で、惚けるほど遊んで、神戸に帰る夏休みの最後の日、別れたくないと言っていとこ達とオイオイ泣くのが恒例行事だった。
しかし、遠い・・・。
京都から乗り換え4回。京都、大阪、そしていったん和歌山に入って、奈良に戻るという不合理な旅で、乗り換えの合間合間にISETANで買い求めたお弁当を開いては閉じ、の繰り返し。
約3時間後、やっと五條のホテルにチェックイン。
ホテルからは歴史深い新町通りを歩いて、会場の宝満寺に着いた。
ちょうど良いタイミングでピアノ運送会社も到着し、屈強の3人衆が1トン近い巨大なグランドピアノの搬入作業を始めた。お寺の急な階段を四肢踏ん張りながらピアノを引き上げる作業は見ていて辛いほど。
いつも思うが、コンサートやショーというのは、とんでもない数の人々の助けがあってようやく成し得る努力の結晶である。
ようやくピアノ設置が終わり、調律師がやって来るまで練習に没頭。
(荘厳の中の調律)
調律師の方が到着し、私は着替えてフォトグラファーとの撮影を開始。今回、彼女の来日が決まった時、私たち2人が属するパフォーマンスアートグループのリーダーから、日本プロジェクトの打診があり、撮影してくるようにとミッションが下りた。テーマを組み立てながら、限られた時間で極度の集中のなか、撮影は進む。
リズムに乗ること。タイミングを掴むこと。そして全幅の信頼。
これによって大抵の芸術が成立しているように思う。音楽、演劇、陶芸、彫刻、写真。
お互いの疲労が極に達した時点で撮影終了。長い1日であった。
夜は皆で和食屋さんの膳を囲む。すぐ前を流れる吉野川で取れた天然の鮎にかぶり付いた。
旬が広がる。
(Food Porn! 料理の写真を撮影してSNSで公開することをフードポルノと言うのだそう)
10月某日(土)
「七つの大罪シリーズ」Vol.1 憤怒編のリサイタル当日。
14:00開演のマチネーのため、朝から慌ただしい。この辺りの名産品の柿の葉寿司や和菓子の差し入れが各家から入り、生まれ育った町ではないにせよ、故郷を持つとはこういうことかと素朴な厚意を甘酸っぱく温かく感じる。
(着物姿で撮影するデンマーク人のフォトグラファー)
会場はありがたくも満員御礼で、開始前に従兄弟の僧が美音の鐘の音を轟かせてくれ、静寂が戻りきったところで舞台に上がった。
16:00、演奏終了。
関西一円、東京、そしてデンマークからはるばる駆けつけてくれた友人達との再会は本当に胸に沁みる。
舞台の上での2時間、私は小さな生死を経験する。始めに渦が生まれ、その渦が生み出すエネルギーはやがて暴発寸前まで高まり、そしてその先にあるのは無である。
この小さな死、無のあとの再生期間をどう過ごすか。それによって、その後の音楽家としての「輪廻」の在り方が決まってくると思う。
公演後、奈良駅へ向かった。駅隣接のホテルに1泊。
(本日の衣装と楽譜)
10月某日(日)
東大寺へ。小学生の時に来たきりなのでゆうに30年ぶりだろうか。
雨に潤った奈良公園では愛らしい鹿たちが人間をジッと観察している。この公園では我々人間の方が異邦人である。否、大して当てにならぬ本能しか持たぬ人間こそが、地球上どこに在ろうと異邦中の異邦なのかも知れぬ。動物の持つ確かな本能が羨ましい。
(L’Etranger)
あおによしの奈良の都はそれなりに情緒があるが、観光地の悲しさか、土産物店が醸し出す俗っぽさと哀愁ときたらどうだろう。
しかし、一歩大仏殿の門をくぐると、多くの観光客にも関わらずそこには荘厳があり、大仏さまが静かに愁いの中に鎮座ましておられた。
仏教の力が増大しすぎたのを恐れた桓武天皇が、政教分離を目指して都を奈良から京都に移したのが794年。デンマークの友人にそれを告げると、なんと勇気ある果断かと驚いていた。
ヨーロッパの歴史を紐解くと、確かに首都移しの理由としては異例なのかと納得する。しかし710年に平城京に首都が固定される以前の日本の王朝は、天皇1代限りで遷都を繰り返していた。
「死穢(しえ)」を嫌ったからだと、以前読んだ「逆説の日本史」という本にあったのを思い出した。
外は強い雨が吹きさすび、大仏殿の前は色とりどりの傘で埋め尽くされている。
(憂いの大仏さま)
夕方、京都に移動。閉店間際のアンティーク着物店に友人を連れて行くと、普段は冷静で聡明な彼女の理性のバランスが崩壊するのが手に取るように分かり、可笑しかった。
6枚お買い上げののち、おばんざい屋で梅酒のロックのグラスを鳴らしあった。
10月某日(月)
朝方は台風で大荒れだったらしい京都。2人とも思いっきり寝過ごして、午後になってからやっと街に出た。
台風一過後の空気はフワフワと頼りなく、しかし湿度はぐんと下がって、街歩きには絶好の天候。
国内外の友人が訪ねてくれるお陰で、私も京都に来る機会が増えた。しかし歴女の性(さが)か、通りを歩いていても、私は今の京都を見ていない。平安の昔や、応仁の乱で焼け爛れた、或いは天下布武の最終目的地であった戦国の頃の京ばかりを感じてしまう。
今この瞬間目に映るものを、過去の記憶や教育に影響されず、ただ純粋に楽しむというのはなかなか難しい。
円山公園の辺りは大抵観光客でごった返しているのに、台風の影響か、今日は人影とて無し。いつもはちっとも良いと思わないが、本日はなかなか風情あり。
清水寺への道にはさすがにわらわらと人が集まって来た。そして門まで登り着いた瞬間、台風一過の空に、一筆書きで描いたような虹がさっと架かるのが見えた。まるで趣味の悪いカレンダーかのような、人工的なまでに美しい、青い空と虹と門の朱のコントラスト。フォトグラファーの友人が「It is almost too much! (嘘みたい)」を繰り返しながら、しきりにシャッターを切る。
(Almost too much!!!)
去年、友人と訪れた永観堂の紅葉は圧巻であったから、1ヶ月遅ければ是非彼女に見て欲しかったし、撮って欲しかった。しかし、今の時点で、京の都の紅葉はまだそこはかとない気配のみ。
夜は、宿近くのおばんざい屋でサーロインステーキを焼いてもらう。ワサビ、塩、ライムをチュッとかけて食べるステーキ。見事なマーブル模様の霜降りはさすがWagyūクオリティー。このようなステーキは初めてのようで、フォトグラファーは至福の時を味わった模様。
宿に戻り、私は持ち込んだ仕事に没頭。彼女は温泉へ。
10月某日(火)
ミーティングとレッスンのため、京都から神戸へ戻る。私の神戸の友人がフォトグラファーの観光に付き合ってくれることになり、非常にありがたい。ミーティング後、夜遅くまでレッスン。そして、夜中までプログラム作りや月末の神戸でのイヴェントのための文面作成し、就寝3時。
10月某日(水)
抜けるような青空のもと、一路箱根へ。寝不足が続いて少々辛いが、多少疲れている時の方が逆に良い案が浮かんだりする。新幹線で、12月締め切りの企画書に手を付け始めた。来年のコンサートのプログラムにも少々手を加える。
箱根の宿で、東京の友人と合流するのが楽しみでならない。また、信じ難い出来事が次々と巻き起こるであろう。
新幹線はやがて小田原駅に滑り込んだ。
〜続く〜
Dear Margo Guryan,
I am delighted to play your super charming “Chopsticks Variations” in my home country Japan, finally!!!
The concert venue is a beautiful buhddistic temple and the reason I would like to play your variations is following:
When I was at the age of five, I was reading a children’s book lying down in a buddhistic temple where one of my relatives was a head chief . It was a very hot summer day. Lying on the tatami mats in the temple’s huge room kept me cool. My relative served me a slice of watermelon and I was busy reading and removing the seeds from watermelon at the same time.
The story of the book was about buddhistic “nirvana”. In the book it said that when people are hungry, they would be served delicious food and one pair of long long chopsticks. You feed the food to the person sitting in front of you at first, then the person would feed you on the next turn.
The story striked me strongly and the memory has been staying in me vividly.
When I got an opportunity to play a concert in the temple, I knew I MUST play your “the chopsticks variations” in there!!!
The concert takes place on 25th, October. I will think of you and play for you, Margo!!!!
Warmest regards from Japan,
Eriko
(And millions of thanks to Taeko Kasama, who spent hours of hours to make the beautiful flyer! You are my eternal friend…
親愛なるマルゴ
来る10月25日、私の生まれた日本で、やっと貴女の曲を弾く機会を得ました。
「お箸のバリエーション」・・・。貴女が作ったこのチャーミングな曲を初めて弾いたのは、2011年、デンマークでの東日本大震災のためのチャリティーコンサートでした。
あれから3年経ち、日本でのお寺でのコンサートのお話が持ち上がり、私が真っ先に思い浮かべた曲は、貴女の「お箸のバリエーション」でした。それには私の幼年時代の或る記憶が深く関係しているのです。
あれは私が5歳の時。暑い夏の盛りで、私は祖父が生まれたお寺の本堂で、寝転がりながら本を読んでいました。ひんやりとした畳の上で読んでいたのは、子供用の絵本で、お寺の蔵書らしく「極楽」という題名の本でした。
実はその前に同じシリーズの「地獄」を読んでいた私は、恐ろしさにブルブル震えていたのですが、「極楽」の章は例えようもない美しさで描かれており、小さな私の胸は深い安堵で満たされていくのが感じられました。
「極楽」では、人が空腹を感じると、美味しそうなお膳が目の前に現れます。お膳には長い長いお箸が添えられています。そして、お膳の向こうには優しそうなお友達が座っています。
まず、そのお友達が、その長い長いお箸を使って、あなたにお膳のご飯を食べさせてくれます。そしてその次はあなたがそのお箸でお友達に食べさせてあげる番です。
そのシーンは美しい色彩のついた絵で描かれており、この物語は私の幼い脳裏に強烈に焼きつき、その後も今に到るまで、お寺の本堂の芳ばしい畳の香りと共に想い出す、ノスタルジアとなっています。
親愛なるマルゴ、5歳だった私は日本、海外で多くの経験をし、様々な国籍の様々な人と知遇を得て、また日本で演奏することとなりました。
幼年時代に、お寺で得たニルヴァーナとお箸の記憶を、大人になった今、お寺で貴女の「お箸のバリエーション」を弾くことによって、繋いでゆきたい・・・。
その思いを胸に、チャーミングに、愛らしく、ユーモアに富んだ演奏を目指します。
貴女にいつか逢える日を、心待ちにしています。
英里子より
(そして笠間妙子さん、今回も貴女と一緒に物語を紡ぎ出せた幸せを噛み締めています。気の遠くなるように長い作業を本当にありがとう。心から感謝しています!)
ところで、話は変わるようだが、私という人間は過去の出来事をアッサリ忘れてしまう。まるで中国史の王朝交代劇のように、一つの時代がハッキリと幕を閉じると、今度は全く異なる次の時代が始まり、過去の記憶は綺麗さっぱり忘却の彼方である。
(ちなみに)
日本史: 前政権の参謀がチャッカリと新政権の閣僚に収まっていることが多々あり。新時代以降も、前時代の血脈が「なんとなく」溶け込んで生き残ってゆく。
中国史: ある帝国が完膚なきまでに焼き滅ぼされ、完全な新帝国が建国される。
私の記憶の歴史は、間違いなく中国史型である。