【一日一ピアニスト】リサイタルまでの日々①〜⑩

【一日一ピアニスト①】

7月16日(月・祝)に開催のピアノソロリサイタルまで3ヶ月を切りました。

 

芸文の神戸女学院小ホールで弾くのは今度で5回目。前回2017年1月14日のパフォーマンスでは、前半を終えて休憩に入るや猛ダッシュでバックステージに駆け込み、舞台監督が私の長い髪を一気にバリカンで剃り上げて、後半は丸坊主で臨んだのを思い出しました (どんなコンサートや…)。

 

今回は同ホールでは初めてのクラシック一本勝負。スタインウェイDを、時に最愛の愛人の如く、時に脳天にイカヅチ落ちろと呪う相手の如く、喜怒哀楽愛憎の全ての感情と日々の鍛錬で培った技術でもってかき鳴らします、押忍💪。

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【一日一ピアニスト②】

私はリサイタルのプログラムを決めるのがおそらく世界で13番目くらいに遅い。現時点で決まっている曲は2曲。そのうちの1曲は即興なので、楽譜が存在するプログラムという意味では1曲しか決定していないことになります。

その曲の名は「熱情」と申します。ベートーヴェンという今は亡き偉い人が書いた作品です。

👽👽👽

高校生の時にほんの数ヶ月間、ケタ外れに変わり者の教授のレッスンを受けていました。どれくらい変人かというと、なんと教授なのにレッスンをしないのです😨。ピアノから遠く離れたソファに寝転がり、ワタシが一通り弾き終わると何か呟いている。よく聞こえないので彼のところまで行くと「そうじゃないんだよ」とのたまっています。

 

「どうしたらそうじゃなくなるんですか?」と聞くと、「自分で考えろ」というありがたいお返事。

 

なので、自分で考えて再び弾き始めました。生意気盛りの高校生だったワタシは、このク◯ヤ◯ウ(失礼🙏)の息の根をどうやって止めてやろうかと、もの凄くよく考えながら心を込めて弾きました。

 

最後の音を弾き終えると、ワタシは無駄にデカい目で教授を見つめました。また何かモゴモゴ呟いている様子。再び彼の元へ足を運びました。

 

「1回目よりは良くなったが、まだ違うんだよな」と仰ったところで、次の生徒が来ました。

 

ぼったくりバーかと見紛う額のレッスン料をテーブルに放り投げ、彼に軽く呪いをかけてからレッスン室を出ました。ソナタを全楽章2回弾いただけで、福沢諭吉氏数人分です。あっ、書き忘れておりましたが、その日に弾いた曲は、ベートーヴェンの「熱情」でした。

 

今日、かの曲を練習しながら、あのぼったくり… じゃない、人の持つ潜在能力を引き出すことに長けた教授のことを懐かしく思い出しました。あの頃より、今のワタシは格段に自分でよく考えて弾くピアニストになったと思います。教授の素晴らしい助言のおかげです。何度か呪いをかけてしまった教授よ、本当にありがとうございます🙏。

(美談調にまとめてみました。)

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【一日一ピアニスト③】

昨日に引き続きベートーヴェンの「熱情」を練習後、プログラム選曲のため数十曲を弾き散らしています。モーツァルトに取り掛かったところで、ドイツ人の大御所中の大御所であるヴァイオリニストのことを思い出しました。

 

初めて彼の室内楽のレッスンを受けに行った時のこと、第一声は「キミはウィーンに住んだことはあるかね」でした。

 

ウィーンではなく、ベルリンに住んでいますと答えると「ウィーンに5年以上住まないと、モーツァルトを弾いてはいかんっ」とまさかの居住地によるレッスン拒否。

 

乳母日傘の箱入り娘、ヒトに逆らったことがないエリコナデシコ🌺は、「あぁそうですか」とあっさり楽譜をまとめて帰ろうとしました。そうしたら「いや、帰ってはいかんっ」とまた怒られました。一体どっちやねん。

 

レッスン室の扉を閉じて彼の元に戻りますと、今度は「ボクの部屋からE.T.A.ホフマンの◯◯という本を持ってきたまえ」との仰せなので、またもや扉を開けて、その本を取って参りました。ちなみにホフマンさんとはドイツを代表する作家、作曲家、音楽評論家、法律家です。

 

ミスター大御所は私から本を受け取ると、それから延々2時間に渡ってホフマンさんがいかに偉大かという内容の講義を行いました。彼の著書を読まずしてモーツァルトを弾くことはまかりならぬ、と。講義の内容の94%は本の引用文でした。

 

あまりに退屈なので、何度も「もういいです。その本、買いますから」と言おうと口を開きかけましたが、大御所ヴァイオリニストを恐れる室内楽メンバーがワタシを濡れた子犬のような懇願の目で制するので、仕方なくおとなしくしていました。エアピアノで練習したりはしていましたけれど。

 

ようやく講義から解放され、レッスン室を出た途端、ワタクシはハタと気づきました。

 

ホフマンさん、ドイツ人やんかっ。ウィーンに5年以上住んだことないやんかっ。

 

👨🏻👨🏻👨🏻👨🏻👨🏻

 

そんなこんなで、モーツァルトをプログラムに入れるべきか否か、未だ決められぬワタクシなのです。

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【一日一ピアニスト④】

リサイタルに向けての試行錯誤メモ、【一日一ピアニスト】が、まるで天璋院篤姫にお仕えする幾島のやふな口調ですねと親友から嬉しいお言葉を頂戴しましたので、図に乗ってその路線で書き連ねたいと思います。普段がべらんめぇなワタクシですので、時には「このク◯野◯」などとあられもない言葉も飛び出すことがあろうかと存じますが、平にお許しを🙇‍♀️。

 

今日は主にショパンを攻めてみました。ワタクシはショパンと同じくらいの身長ではなかったでせふかとふと思い出し、彼の旅行ビザ(26歳時)を調べてみましたところ、

 

身長: 170cm
髪、眉毛、髭:ブロンド
額: ノーマル(ノーマルな額って何ですの?逆にアブノーマルな額とは?カナヅチでも突き刺さっているのでしょうか)
瞳: 灰青色
顎: 丸型
顔: 卵型
鼻: ノーマル
肌: 白色
.
.
.

体重: 40kg

 

ひぃぃぃぃっ、吹けば飛びそうっ。

 

ショパンには確かジョルジュ・タマゴサンドウィッチ夫人でしたかしら🍳、そんな感じの名前の7歳年上の恋人がおりました。このエビカツサンドウィッチ夫人🦐の書いた、「ルクレツィア・フロリアーニ」という小説は、ショパンとの関係を暴露したと言われる作品。ワタクシはこれまでコンサートで数え切れぬほどショパンを弾いてきましたのに、恥ずかしながらまだこの小説を読んでおりません。別れた後にオトコとの暴露本を書くようなオナゴはどうでおじゃるの?そんな訳でジョルジュ・メンチカツサンドウィッチ夫人🍗になかなか興味が持てないのですけれど、どうやらショパンを弾くことになりそうなので、彼が9年の長きに渡って愛した女性についてもよくよく調べねばなりませぬ。

 

そんなこんなで、お夜食に今からサンドウィッチを食べます🍞。

 

注: ショパンの恋人で小説家の正式なペンネームは、ジョルジュ・サンドです。サンドウィッチとは何の関係もありません。

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【一日一ピアニスト⑤】

ワタクシ、ちょっとばかり人生を振り返ってみますと、なんと大学/大学院生生活を12年も送っていたことに気づきました。京都で6年、ベルリンで4年、そしてハノーファーで2年。「今、大学何回生ですか?」「はい、大学12回生です🙋」

 

…. 突き刺さる沈黙 …. みたいな。

 

セクハラ・モラハラ・パワハラが大きく取り上げられている今日この頃ですが、ワタクシはおそらくそれらが普通にまかり通っていた最後の世代の芸大生だったのではないでしょうか。

 

ワタクシが受けた公開処刑の1つに、ド・ミ・ソの和音を2時間弾かされ続けたというのがあります。スイスのチューリヒでの出来事だったと記憶しています。

 

公開マスタークラスが、世界の名だたる音楽家たちによって素晴らしいコンサートホールで行われ、プロを目指す音大生にとっては夢のまた夢のような1週間でした。

 

確かハンガリー人の教授だったと思います。彼自身、ピアノが弾けるのかどうかは不明ですが、その怪物的ドSな指導方法で賛否両論の嵐を巻き起こすことで有名との噂は聞いておりました。結論から申しますと、ワタクシは「否=ピ」に一票です🙋。

 

その日の彼の獲物はエリコという名の、野に咲く可憐なスミレのようなオンナノコでした(殴り倒して下さって構いません🌺)。

 

多くの音大生が聴講する中、彼はワタクシが弾くシューベルトのソナタの冒頭のド・ミ・ソが気に入らず、0分0秒から2時間0秒まで延々その3和音を弾かせ続けたのです。

 

彼の罵倒の語彙力は圧巻でございました。「オマエの脳みそはネアンデルタール人以下だ。貴重な存在だから、博物館に飾ってもらったらどうだ」「そんなクソみたいなド・ミ・ソが弾けるなんて、ある意味天才だ。オマエは将来性がある」「オレはオマエが弾くそのピアノになり代わってみたい。痛めつけらるマゾキズムの極致を体験出来るじゃないか」等々、少し変態臭のかほり漂う罵詈雑言をド・ミ・ソを弾く度に仰るのです。聴講生たちは耐え切れず、次々と退席していきました。

 

普通は泣いたりしてハンケチーフでそっと涙を拭ったりするのでしょうが、ワタクシにも少々変態の要素があるのでしょう。彼のあまりの語彙力と表現力の豊かさに、この◯◯野郎(本当にごめんなさい🙏)は、ピアノ教師ではなく小説家になれば良いのに、などとおせっかいにも彼の転職先に思いを巡らすようになっていったのです。

 

数百回ド・ミ・ソを弾いて、公開レッスンは終わりました。人生であんなにもド・ミ・ソを奏でたのは初めてです。ホールにはもはや人っ子ひとりおりませんでした。

 

少々疲れたのと、やはり怒りというのは後からやって来るものなのですね。あの変態教授に刺客を放とうかと迷っておりましたが、その夜のコンサートで弾くようにと突然お達しがありましたので、刺客の友達に電話をする案は一旦保留することに致しました。

 

コンサート終演後、やれやれと思いながらバックステージでパッキングをしていると、何とくだんの教授が立っているではありませんか。

「Oh, エリコ。可憐なる日本のスミレの花よ🌺(←ココはワタクシの創作)。You are absolutely fantastic!」と叫んで、特大のテディベアのようなハグをしてくる教授。ほっぺに接吻まで。ひぃっ。

 

ワタクシは混乱しました。お昼のレッスン時のド・ミ・ソと、コンサートで弾いたそれには全く違いがなかったのに、一体何が彼のお気に召したのか全然分からなかったからです。

2歳からピアノを弾いておりますが、未だ音楽とはなんぞやと不思議に思うことしばしばです。

 

そんなこんなで、7月16日、シューベルトは弾きません(((o(*゚▽゚*)o)))♡

😂

(写真は、刺客を放つか否かの決断を下す寸前の超不機嫌エリコ。笑)

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【一日一ピアニスト⑥】

昨日はド・ミ・ソのお話でしたが、今日はラ・ド・ミのお話です。

 

ポーランドの旧貴族のお城でコンサートをさせて頂く機会がございました。

優美極まりない舞踏の間での演奏。ラヴェルのピアノトリオでの幕開けです。精緻で大胆、官能美に満ちた見事としかいいようのない素晴らしい曲です。

 

冒頭はラ・ド・ミの和音で始まります。極度に指先でコントロールしてその三和音を完璧なバランスで奏でることが要求されます。

 

500人ほど収容出来るのではという巨大な広間のど真ん中に置かれた美しいグランドピアノ。胸が高鳴ります。ワタクシは鍵盤を覆う蓋をそっと開けました。

 

ひぃぃぃぃっ、ラとミのキーがありませんけれどっ😱。

 

ラ・ド・ミの和音で始まる曲なのに、ラとミのキーが欠けているとはっ。何かの冗談でしょうか。そもそも誰も気づかなかったのでしょうか。それにしても運命の悪戯にしては、あまりにもあまりにも過酷ではありませんか。

 

つまり「ド♩」だけしか弾かれへんやんかっ😭。

 

ワタクシがこめかみにバキバキ青筋を立てるのを見て、付き添いで来ていた年配のポーランド人ピアニストがジャパニーズ暴れ馬の口封じにかかりました。

 

「エリコッ、私たちピアニストはそれぞれの会場にあるピアノのコンディションの如何に関わらず、最上を努めるのが仕事なのよっ。あなたもプロなのだからベストを尽くしなさいっ」

 

《そう、アタシは北島マヤ👩🏻(漫画ガラスの仮面の主人公)。ラとミがなくても天才的な想像力でもって、「ド♩」だけでラとミを表現し尽くすのよっ》

 

👼🏻👼🏻👼🏻

 

そんなん出来るわけないじゃろがっ💢(´༎ຶོρ༎ຶོ`)

 

その日のコンサートのことは全く記憶にございません。ヒトの忘却機能とは本当に便利なものですね。演奏会の模様はテレビで放映された筈なので、記録として残っているのが恐ろしい限りですが…。

 

しかしラヴェルへの愛は変わりません。たとえ、ラとミが抜けていたとしても、貴方はホントに素晴らしい。モーリス・ラヴェル。天才中の天才です。

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【一日一ピアニスト⑦】

渡欧まであと数日となってしまいました。向こうに参りますと、それこそ24時間ノンストップで走り続けなければなりませんので、せめて日本にいる間はリサイタル試行錯誤メモを書き続けようと思います。たわいもない内容で、恐縮至極に存じますが🙏。

 

【一日一ピアニスト⑤】でしたためましたが、ワタクシは12年間も大学に籍を置いておりましたので、それはそれは沢山の学びの機会を頂戴しました。現在、何足もの草鞋(わらじ)を履く生活を送っていてつくづく思うのですが、教えるという行為は最も骨が折れ、また責任ある仕事です。ワタクシのように「はい、センセイ👼🏻」としか言わない、物足りないほど従順でエンジェルのような生徒ばかりではございません(エリコの頭上に薙刀100本落としてよし)。しかも留学生の場合は、言葉の壁による意思の疎通の困難が待ち構えております。

 

ワタクシがドビュッシーのレッスンを受けている最中のことでございました。まだドイツ語が覚束ない頃のことです。凡その内容は分かるのですが、最終的に相手がAをしろと言っているのか、それともBなのかが分からない現象がしばしば起こってしまうのが、新しい語学を学ぶ者を悩ませる大きなポイントです。

 

その日、教授がワタクシに言いたかったのは「Aのように弾け」でした。しかし、ワタクシのお花畑な脳は「Bのように弾くのだ」と理解して、いい気になって曲の最後までBバージョンの解釈で鍵盤をかき鳴らしました。

 

恐ろしい沈黙の後、教授はおっしゃいました。

 

Ich bin wütend.
(ワタシ ハ 激怒 シテ イル)

 

*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)’・*:.。. .。.:*・゜゚・*

 

wütend とは非常に強い言葉でして、まさに「激怒」。

 

もう16〜7年も前の話でございますが、思い起こすたびに、あぁ、ひと昔前に旋風を巻き起こしたギャル用語、「激おこぷんぷん丸」という言葉が何故まだその当時は存在していなかったのか、悲しみにくれるばかりなのでございます。

 

教授のお言葉をそのまま「私は激怒している」と直訳するのではなく、

 

「ボクったらキミに激おこぷんぷん丸だおʕ•ᴥ•ʔ(ᵔᴥᵔ)ʕ•ᴥ•ʔ(ᵔᴥᵔ)」

 

と意訳すれば、そんなに衝撃を受けずに済んだのではないでしょうか?

ちなみに「激おこぷんぷん丸」には6段活用があることをご存知でしょうか。

・おこ(弱め)
・まじおこ(普通)
・激おこぷんぷん丸(強め)
・ムカ着火ファイヤー(最上級)
・カム着火インフェルノォォォォオオウ(爆発)
・激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリーム(神)

…. だそうです。

 

そんなこんなで話を戻しますが、教授が望んでいたAバージョンの解釈のドビュッシーをプログラムに入れるべきか否か。

 

答えは、「否」でございましょうかねぇ…。

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【一日一ピアニスト⑧】

突然ですが、ワタクシは関西で言うところの「イラチ」です。これは、イライラしている人、短気な人ではなく、「せっかちな人」を意味します。

 

典型的なイラチのエリコがなぜピアノの練習だけは根気よく何時間も続けられるのでしょう。自分でも不思議です。

 

恥じらう年齢でもないので申しますけれど、まだベビ👶の頃から幾星霜の月日をピアノ椅子に座って過ごしておりますので、ワタクシのお尻には座りアザが仲良く2つ並んでいます。

 

これを「Oh, なんて美しいんだ。まるで薔薇が二輪咲き誇っているようではないでおじゃるか🌹🌹!」と賞賛の眼で見つめる白馬の王子さま🤴とhappily ever after (めでたしメデタシ) になる人生だと良いですね。来々々世あたりですかしらね。

 

さて、異様にせっかちなくせに、異様に深く物事を考えるワタクシでございますが (ただしそれは仕事のことだけで、プライベートは超テキトー)、必ずしも考え過ぎることが良い方向にいくとは限りません。この際「イラチ」であることを利用して、さっさとリサイタルのプログラムを決めてしまおうではないでしょうか。

 

イラチ=せっかち=やたらコトを急ぐ=なんだかやたら動き回っている=音楽でいえばやたら早いパッセージの曲=フランツ・リストさん🤴🏻

 

… イコールが全くイコールで繋がっていない不条理、そしてかなりぞんざいな例として扱ってしまったフランツさんには大変失礼ですが、7月16日の大事なリサイタル以外にも仕事が恐ろしくチョモランマ(山積み🗻)しているのです。この、ドン引きも甚だしい酷すぎるギャグを活字にしてしまうあたりからも、ワタクシの追い詰められた精神状態が垣間見えるというものではありませんか。

 

もうフランツさんの曲を弾くことに決めてしまって良いですよね?

 

フランツ・リストさんという方は、今で言うところのとんでもないイケメンでございました。ショパンさんの1つ歳下で、当時のおフランスの社交界で彼と人気を二分しておりました。

 

彼はエンターテイナーの要素も多分に持ち合わせておりました。演奏会中、白皙の額に滴る汗。それを拭ったハンケチーフをさっと放り投げると、観客のご婦人連がその布をむしり取ろうと、ヒステリー状態になったそうでございます。そのあまりの性的魅力に、失神する(ふりをした)ご婦人もたくさんおりました。

 

(ちなみにワタクシ、去年の節分の日、大阪松竹座で歌舞伎を観劇しておりました。終演後に、とある歌舞伎界のスーパープリンス(なの?)が投げた節分の豆が入りの袋を片手でキャッチしましたが、全くもってヒステリー症状は起こらず、歳の数だけ豆をポリポリと食べただけでした。)

 

👹👹👹👹👹👹👹

 

クラシックピアニストはソロリサイタルの際、暗譜で弾かねばなりませんが、その習慣もフランツさんの気まぐれなエンターテイメント性のなせる技から始まってしまったことなのです。

 

むむっ、フランツめ、余計なことをしよってからにっ。

 

されど、フランツさんの曲を弾く時は、楽譜を見る暇もないほど手を動かさなければならないので、楽譜は逆に邪魔です。また、作曲家であるのと同時にスーパーピアニストでもあった彼なので、パッセージの運指に無理がなく、一旦手が覚えてしまえば割と弾きやすいのかもと思ったり致します。

 

ってなわけで、フランツを弾くけっ💪。

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【一日一ピアニスト⑨】

ワタクシには多くのアダ名/芸名がございます。例えば【一日一ピアニスト⑥】でしたためました「ラ・ド・ミ事件」が勃発したポーランドでは、

 

👸ヘンドリフスカ・マキムロフスカ👸

 

と呼ばれておりました。戸籍上の本名は、

 

👸🏻エリコ・マキムラ👸🏻

 

ですから、怖ろしいほどゴージャスで異国風なスパイスがパンチを効かせておりますね。

 

そのアダ名について想い出した途端、ヘンドリフスカ・マキムロフスカの「欲望」という名の導線の先から、チリチリと炎が燃え立ち始めました。

 

ポーランド以外の国での芸名も欲しい。例えば、ロシアでのワタクシの芸名は何というのでしょうか。

 

👰🏼エカテリーナ・ボルシチオイシフスカヤ・マキムロツカヤ👰🏼

 

あたりでございましょうか。なぜかミドルネームが加わって、更にラグジュアリアス。

 

👰🏼エカテリーナ(仮)👰🏼は太古の昔からロシアという国に強い興味を抱いております。チェーホフ、トルストイ、ツルゲーネフ、ドストエフスキー、ナボコフ等の錚々たる文豪作品に触発されたのが最初で、次が音楽。ショスタコーヴィッチ、プロコフィエフ、スクリャビン、ラフマニノフなどの曲をたくさん弾くようになりました。

 

あらっ、大事な方が一人抜けておりませんでしょうか?

 

👨🏻ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー👨🏻

 

ピョートルさんも、関西人と同じで「イラチ(=せっかちの意)」だったのですね。あら、いけない。イラチではなくて、イリイチでございましたね。

 

(我激烈的ゴメン寝)

 

若かりし頃の短絡的なワタクシは、ピョートルさんの過剰なメランコリーとメルヘンの世界に耐えられませんでした。そしてあの濃厚極まりない浪漫、あのナイーヴな叙情をグロテスクなキッチュと捉えていたことも合わせて告白しなければなりません。まるで、お好み焼きを飲み物として注文し、ごっきゅんごっきゅん飲むやふな。この表現でご理解頂けますかしら?まず無理でございますわよね。だってワタクシでも理解出来ませんもの。

 

(大丈夫。ワタクシ、まだ、正常です)

 

しかし、歳月を経てエカテリーナも変わって参りました。彼のあまりに名曲すぎる名曲を、ただただ虚心なく、あぁ美しいと、名曲の極意たる滋味をしみじみ味わえるようになってきたのです。

 

チャイコフスキー、プログラムに入りそうです。

 

エカテリーナ・イラチカ・マキムロツカヤ拝

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【一日一ピアニスト⑩】

今日から海外出張でして、ただいま車で空港に向かっているところでございます。気軽に旅に出られる便利な世の中になったとは申せ、飛行機の中で閉所恐怖症に悶えながら10数時間を過ごすのは大変辛く存じます。

 

乗り物のお話が出ましたが、実はワタクシの曽々祖母がお嫁入りの時に乗って参りましたお駕籠(かご)がまだ残っており、大事に保管されているマキムラ・エリココナッツ家。数世代後、まさか鉄の塊に乗って大空を忙しなく旅する凶暴な娘っ子が一族に現れるとは、おばあ様は夢にすら思われなかったに相違ございません。

 

旅💼旅💼旅💼旅💼旅

 

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトさんは神童の名を欲しいままにしておりましたので、幼き頃からステージパパに連れられて、ヨーロッパの各都市をツアーで周っていらっしゃいました。暖房・冷房もない馬車で、凸凹道を延々旅するのはさぞかし辛かったろうと胸が痛みます。

 

旅の無聊を慰めるつもりだったのでしょうか、ヴォルフガングさんはたくさんの手紙をママンや姉、親戚宛てに書くのですが、さすが天才。マキムラ・エリマキトカゲ🦎の書く凡庸なコラムなどとはそもそも次元が違う、ケタ外れのタガの外れ度。脅威のぶっ飛び度なのでございます。それでは突然ですが中継です。マンハイムのモーツァルトさんを呼んでみましょう。

 

「モーツァルトさーん!」
「はーい👦」

 

(以下、モーツァルトさんが従妹のベーズレちゃんに宛てた恋文。ワタクシの創作ではありません、念のため。)

⬇︎

・・・ごきげんいかが?どんな服を着てるの?

 

―お通じはまだいいかい?ひょっとして、かさぶたも出来てるかい?ぼくのことでちょっと悩んでる?ときどき白墨で書いてる?

 

―ぼくのこと、やっぱり時には思い出してる?ときどき首吊りしたくならない?

 

もしかすると、ほんとうに怒ってるの?哀れで間抜けなぼくを。快く仲直りをしてくれない?
さもないと、ぼくの名誉にかけて、バーンと一発やらかすぞ!どうせきみは笑ってるな。

 

―万歳!ぼくらのお尻を和平条約調印のしるしとしよう!

 

たぶんきみはもうぼくに抵抗できないと思っていたよ。そう、そう、ぼくのアレは元気です。

 

2週間後にはパリへ立つけど、今日もひとク◯たれておこう。もし、そちらのアウクスブルクの町から返事をくれるつもりなら、ぼくが受け取れるように、早く書いてね。

 

でないと、ひょっとしてぼくがもう旅立ったあとだと、受け取るのは手紙の代わりに1通のウ◯チ。

◯ンチだ!―ウ◯チだ!おお、ウン◯!
―ああ、なんてヒドい言葉だ!

 

―ウ◯チ!―ポ🈲チ!―こりゃうまい!―ク◯ミソ、くらえ!―ク◯!―なめ🈲

―ああ、おいちっち!―◯ソ、な◯る!―こりゃ快感だ!―ク◯ッタレ、くらって🈲◯ろ!

 

―ウ🈲チ、ポ🈲チ、🈲ソ、🈲🈲🈲!

(マンハイム、1778年2月28日)

 

そ、そ、それではワタクシ、行って参ります✈️。皆さま、ごきげんよう!

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